夏休みの宿題に「ロイロノート」の活用を取り入れました。
本校赴任して2年目、ようやくこの夏休みに本格的にGIGAタブレットの持ち帰りが始まりました。他校に比べると随分遅くなってしまいました。本校でも、もちろんタブレットの導入がされてはいましたが、授業中、生徒たちの必要な場面ではノートPCが使えましたし、「学習系」という生徒たちが自由に読み書きができるサーバーもあって、ほぼ毎時といってもいいほど、便利に使えていたので、授業でタブレットPCを使う場面がほとんどありませんでした。
ところが、この夏休み中に、便利使いしていた学習系サーバーが廃止され、ノートPCも撤収が決まったというので、急遽タブレットPCを使う展開になったのです。(たぶん、委員会のねらいは逆順でしょうけれど)
持ち帰りの利点を活かして、今年は夏休みの宿題の仕方を変えることにしました。
先ずは1年生の「うつくしい!探し」について。
自分が美しいと感じた何かを創造ノート(クロッキー帖S)に、直接絵で描いたり、写真を撮って(プリントして)貼ったりして、それがなぜ美しいと感じたのかを自分の言葉で説明する、これがこれまでのやり方です。
光村の教科書に、全国の生徒が見つけた「うつくしい!」の写真が、本人たちの短いコメントと共に、口絵見開き3ページいっぱいに並んでいます。
前任校は大規模校でしたから、美術教員は2名配置でした。赴任する前から「発想ノート」と名づけてクロッキー帖Sを活用されていて、研修会で発表された長期休業中の課題「うつくしい!探し」にも注目していました。前述の教科書に載っている生徒作品に通じる実践です。赴任して、もう1人の指導者と話し合いを重ね、今後は学年毎にテーマを変えて、課題の取り組みを通じて学年を重ねるごとに本人たちの捉え方が発展していけるように、私なりのアレンジを加えて三学年で取り組ませるようにしました。
現任校でも「創造ノート」として主に授業の足あとを残すべく使っています。なので、今回も、このノートを持ち帰って例年通りに取り組ませることは出来たのです。
けれど、普段の授業でノートPCに変えてGIGA端末を使う実践を進めていく必要から、私自身が使えるようにならなくてはならず、あえて宿題として活用することに決めたのです。
夏休みの宿題というと、用紙を渡し、描かせて提出させる、作品制作を課す学校もあるでしょう。生徒作品展に出品される作品の多くは、そうした長期休業中に取り組ませただろう、緻密な描画作品です。
前任校に赴任して以来、その考えはなくなりました。
今回のような「うつくしい!探し」は、なぜ美しいと感じたのかを言語化して、本人の中で、一般化させようとする取組みです。であるなら、思考の過程を繋いでつくる、ロイロノートはその意図にふさわしい仕組みを持っていると考えました。
授業で、課題の考え方と取組み方、そして作ったノートの提出の仕方をやらせてみながら、オリエンテーションしていきました。
まずは、教科書の生徒作品でお気に入りを見つけて撮影します。これで、内蔵カメラを使って取り込む方法も習得します。もちろん、彼らがうつくしいと共感するものを探させるのがメインですが。
では、なぜその写真を選んだのかを考えさせます。入力ツールを選択させるとカードを追加できます。ある生徒は、ハート型に並べた水滴の写真を選びました。それに、なぜ心をひかれたのかを「水滴がビー玉みたいにキラキラしていて綺麗だったから(*^ω^*)」と書きました。
ここまでのノートを仮に設定して置いた提出箱にドラッグアンドドロップで提出させます。この作業は本人たちが更にノートを追記しても、同じ動作で上書き保存されるので、途中経過で一旦提出しましょうと声を掛けて待ちます。
さて、先程の生徒。「ビー玉」、「キラキラ」。2つのキーワードが出てきました。綺麗と感じた要素をさらに追求させて、自分の「うつくしい!」に展開させる必要があります。そこで、準備室で見かけたビー玉を探しに行きます。
小規模校である本校の準備室には、大工道具から理科の実験道具など、ありとあらゆる道具、素材、資材、文具、裁縫道具、…何でも揃うので、かつて見かけた物なら探せば見つかるはずです。
はい、見っけ。生徒にビー玉を渡して観察するよう提案します。
教科書のお気に入りは他人の作品です。うつくしい!探しでは、自分で見つけて撮影した作品を提出して下さい。そう加えます。今回の授業で使った教科書は、うつくしい!探しの入口に過ぎません。これが綺麗だ。こうすればもっといい。こうならばどうだ。と、自分なりに試行錯誤して手に入れなければなりません。
その生徒は、手にしたビー玉を作業机の上にいろいろに並べて撮影して、その中から2枚選んで提出、ノートに追加され、上書き保存されました。
写真が撮れたら、どこに魅力を感じるのかをカードに書きましょう。
生徒は次のカードに、「ビー玉と影が綺麗にキラキラするようにした☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆」と書きました。カードには、「影」が追記されました。観察の中で、キラキラする光だけでなく、影にも気づいて、それを効果的に見せようと、試行錯誤する自らの姿を書いています。そう、「キラキラするようにした」です。
前任校の過去の実践発表では、1年生の宿題に、「キラキラ輝くうつくしい!」を課し、身の回りの光り輝くものを集めさせていました。この世界は光に満ち溢れ、数え上げたらキリががないほど、さまざまに光り輝く様を見つけることができます。
うつくしい!と感じ、その美に対して納得のいく説明を試み、自らそれを意図してつくろうとする。美術の育てたい資質、能力の基盤がここにあるのではないかと思うのです。
一方で。
もう1人の生徒は、ものの数分でこのノートを提出して来ました。雪の中にある綺麗な木を選び、昔から雪が好きだからとその理由をカードに書きました。その後、助言を捉え、雪の結晶を追加しました。その画像はネットから拝借して貼り付けています。そしてそれ以上の展開は見せませんでした。
そこで。
授業が終わってから彼に代わって続きを考察してみました。
雪が綺麗なのはなぜなのか→結晶がうつくしい→対称形→六角形(幾何学模様)→どれも違う形→すぐに融けてしまう→儚い。儚さにこそうつくしさがあるのか。では、私が展開するうつくしい!は儚いものを元に考えよう。ならば、融けるもの=氷、雪、アイス。すぐに消えてなくなるもの=花火、霧、雲…。雫も儚いものだな。
いや、それはその生徒が考えなければ、との声が聞こえてきそうですね。
私達のこの世界には、うつくしい!ものが確かに無尽蔵にあるはずです。しかし、それをどれくらい取り込むことができているでしょうか。うつくしい!と感じる感性が育ってないと、いたずらに見過ごして行くのではないか、また、その価値に対して無理解無関心で、理不尽な破壊に繋がりはしないかとも。
だからこその、言葉にして自分の中で一般化してみる作法だと思います。
このワークを繰り返して、うつくしい!を認識する作法を身につけさせ、他者理解をしつつも、自分の感性を自ら育てていく人を増やしていきたいと常々考えているところです。
今回のこの課題は初めて取り入れるロイロノートのお試しのようなものながら、実は深い意味もあるんですよね。久々の授業報告でした。