「コロー光と追憶の変奏曲」初日行ってきました

本日から「コロー展」。前回の「ウルビーノのヴィーナス」の観覧時に同展の前売りチケットを購入。待ちに待った開催でした。

入場できたのは1時過ぎ。新幹線から山手線に乗り継ぎ直接会場の国立西洋美術館に向かいました。
インフォメーションに大きな荷物を預けたあと、早速音声ガイダンスを利用しながら進みました。1/4ほど進んだところで、今回の企画をされた方の講演会があるとの館内放送が入りました。2時からのその会にぜひとも参加したいと、近くの係員さんに相談の末、音声ガイドを一旦戻し預かって頂き、荷物を預けたインフォメーションに戻って、聴講券をもらい参加することになりました。

初日にはこうした特典がありますね。そういえば、国立博物館の「薬師寺展」初日に観覧した際もやっていました。

聴講券を呈示すると、同時通訳機が手渡されました。コロー展の立役者(コミッショナーというそうです)の一人、ヴァンサン・ポマレット氏はフランス、ルーブル美術館絵画部長の肩書きを持つ人です。そして日本のコミッショナーは高橋明也氏。本展開催にあたり取り組んだ研究をまとめ、コローの足跡を訪ねた「コロー名画に隠れた謎を解く!」の著者です。というわけで、フランス語の同時通訳がなされたわけです。

講演が始まると、いきなり美術史学的な既成概念をまず打ち破らなければならないと言及されました。

印象派が戸外での油絵制作の始めたとの捉え方があるが、17・18世紀の動物画家においてもしかりで、すでに、コローも小品ながらも戸外で油絵を描いていたのだという事実を知るべきだというのです。コローが学んだアカデミーでも、デッサンやルネサンス期の作品模写とともに、戸外での写生の重要性を教えている点を無視することはできないと付け加えました。

また、原色の使用についても(あたかも印象派以降の専売特許のように考える向きがあるけれども)、18~19世紀の画家達はすでに赤・青・黄を用いて画面に明るい光や動く水、湖面などを表現しようとしていたし、影は黒で表すのではなく、影にも色があることを承知していたことも見逃せないとしています。

さらに、固定的な見方として、新古典主義が長い間、様式美を追求するあまり、クリエイティブとはいえないとされてきました。そしてその反発として画家の思想や感情の自由が求められ、写実主義的なドラクロアのようなロマン主義の美的傾向へと進んでいったとする美術史の流れがあるというのです。そうした見方もコローを通して変える必要があるのではないかとの提案です。コローに見る感情表現の自由度、写実性は新古典主義の思想から教授されている事柄が多いという事実にふれて論じているのです。

シスレー、モネ、ルノアールと同時代に晩年のコローはいわゆるスヴニールつまり「思い出」という主題で過去のスケッチや習作を再構成して情緒豊かで音楽的なニュアンスをもった風景画を描いています。印象派の画家達が最も影響を受けたであろうとされる、未完成で筆致の荒い部分を残したコローの初期のイタリアで描かれた絵画傾向は、コローの死後公に知られるようになったのであって、印象派の画家達はそれらを見て参考にすることは出来なかったはずだとしています。その点から、コローを印象派の直接の先駆者であるという位置づけはいささか強引ではないかと指摘していました。

絵画傾向の変遷については、西洋美術史において非常に受け取りやすいように流れが説明されていることが多いように思います。いわゆる美の系譜といってもいいでしょう。紋切り型で図式的、模式的ともいえるスッキリとしたストーリーも教科書を作る上では必要なのかもしれません。

しかし、こうした異論が真っ向勝負の形で投げ込まれても、にわかに理解できるものではありません。もうしばらく熟成してみたいと思います。

ところで、私が今回の展覧会で自分の目で知り得たことを記しておきたいと思います。

まず、コローが初期のイタリア時代にコロセウムの風景を同時期に時間帯を変えて描いていたとわかったことです。この手法はモネが光をとらえる方法としてとった手段と同じです。また、後に夕焼けの風景を描いた作品はモネの夕暮れの風景の色とほとんど同じでした。モネがコローの絵からインスピレーションを受けたとしても不思議はないだろうと直感しました。

つぎにコローは風景の中に取り入れる人物に緑の補色である赤を多用します。帽子だったり、胸飾りだったりその取り入れ方は色々ですが、アクセントとして小面積の赤が様々な絵に登場しています。これらの色づかいや筆致がゴッホや点描画を実践する印象派の画家達に影響を与えたとしてもやはり不思議ではありません。

さらに、コローの描く人物は衣服が大胆に省略されており、細密な描写がなされていないため、塊の量感が見るものを圧倒します。こうした塊の表現は風景画における省略の表現からも見て取れますが、そうしたとらえ方がセザンヌを彷彿とさせますし、荒い絵の具の打点のような筆致が印象派の画家達の絵の具を画面においていく表現へとつながるように思えるのでした。

だからコローが先駆的としても何ら異論はないんですが…。

未整理で恐縮ですが、とりあえず今のところの展覧会の感想です。
by my-colorm | 2008-06-14 21:51 | アート