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光と色彩の画家「モネ」

午後から六本木「国立新美術館」に向かいました。
黒川紀章氏の設計によるうねるガラスの外観。1階の一番奥が会場で私が着いたときは最後尾が40分待ちの看板でした。けれど比較的列も短く、それほどのストレスは感じませんでした。

さて、「モネ」です。

色を学び、美術を教える身としては、これほどまで「色彩」と「光」にこだわった画家に注目しないわけにはいきません。

今回の展覧会は作品に密着することなく、観客の頭越しであっても大半は距離を置いて鑑賞することに徹しました。その方がモネの意図を酌みやすいことはこれまでの経験で知っていたからです。近くで観たら、それは荒々しいタッチの絵の具のぬたくりにしか見えません。離れてみると途端に光溢れる現実の風景が浮かび上がってくる、それが「モネ」の絵です。

私は制作年代と作品に注目しました。

若い頃のモネは、それこそ伝統的で、ありがちな、いわゆる明暗法による風景を描いていました。まるでコローやミレーといったバルビゾン派の画家を彷彿とさせるような森と川の風景にはむしろ驚きました。これは1850年代ですから、モネがまだ10代の頃の作品です。丁寧な筆致の中に、水面の映り込みといった生涯彼がテーマにした画題がすでに描かれています。

ルネサンス以降、西洋の絵画は明暗画法(キアロスクーロ)と透視図法により、空間と立体感の三次元的表現こそがその目的とされてきたという歴史があります。絵画においては、物がそこにある感じ、つまり再現性が重要でした。「光」は、「闇」とのコントラストによって初めて成立し、あたかも室内に明かりをともす効果や舞台照明のような劇的な表現によって生まれるものではなかったでしょうか。テンペラ画にしても油絵にしても、いわゆる「陰影」は、あらかじめ下塗り段階でつくったモノトーンの明暗表現に負うことが多々あります。それにおつゆがけをして色みをつけるといった表現がなされていたわけですから、もともと色そのもの持っている明るさ・鮮やかさを利用する術を持たなかったのではないかと考えます。そもそも「固有色」の考え方で、物体に固有の色がついていると思われてきた長い歴史と連動しているのではないでしょうか。

そして「印象派」の時代がやってきます。

見逃してはならないのがロマン派のドラクロアやターナーの系譜。ここに荒々しいタッチの中にきらめく光や色の可能性を感じたのかもしれません。そして戸外で描くバルビゾン派からの影響。自然主義がまさにモネの生涯にわたる徹底した現場主義に繋がっていると思わざるを得ません。

さて、その現場主義を支えたのが「チューブ入り油絵の具」だったということは以前書かせていただいたとおりです。そしてその絵の具こそが画面上で光を放つ高彩度の絵の具であったことはモネの作品の色からも想像がつきます。もちろん色の現象としての補色対比は以前の画家も意識的に使っている事実がありますが、もちろんモネも色の対比を駆使しています。それにしてもモネは本当に鮮やかな「赤」を多用しています。また、「青」も「緑」も「オレンジ」もかなり鮮やかな色が使われているのがわかります。合成顔料が頻繁に作られるようになり、その技術の恩恵がモネの作品の数々に示されているようです。鮮やかな絵の具とそれを対比的に使うことでさらに生まれるまばゆさ…。

画家のパレットは厳しく色の配置が定められ、まんま光り輝くような鮮やかなものです。つまりパレット上で混色することは極力避け、画布にそのままの絵の具がのせられ、粗いタッチで置かれたことの証です。なので作品は絵の具本来の鮮やかさが失せず、それが画面の明るさに繋がっているのです。

たとえばモネの風景画に「雪」が登場しますが、雪の白さが見事に表現されています。モネにかかると水墨画のような無彩色の画面にはならず、影色が「青」や「紫」であったり、明るい光の当たる部分にはごく少量ながら「赤」や「緑」さえ登場します。それらが離れた地点からはいかにもそれらしく、まばゆいばかりの外光が見る者を魅了します。これは点描画法の理論的な根拠である「併置混色」の効果です。

展覧会ではモネにインスパイアされた画家たちの作品も展示されていました。そこにはなるほどモネの追求した「光」とその表現のために使った様々な「色彩表現」からの影響を見ることができました。スーラも色彩理論を実践した画家ですが、モネの経験値が踏襲されているに違いありません。しかし、スーラはどうしても絵画というよりも実験的でありすぎます。しかしそのことがひょっとすると、絵=再現という常識的な図式を破っていく方向へと転換していった流れそのものかもしれません。さらにドランともなると「色彩」こそが絵画を成立させる最重要要素となっていきます。ドランにとっては空間や立体感は問題ではありません。絵画の方向性は描かれる物の再現というより、いよいよ純粋に色と形の追求へと向かっていきます。

特に、晩年の白内障を患ったモネの極端に荒々しいタッチは、絵画の常識を覆すようなパワーさえ感じましたが、抽象表現のジャクソン・ポロックなどもこうしたモネからの流れであると感じずにはいられません。

モダンアートの世界に至るまでの影響力を考えるとき、光を追求し続けた「モネ」の偉大さが身にしみます。

戸外であくことなく、目の前にある光り輝く世界を自分の絵画で表現しようとしたモネ。

今ではUVカットの化粧品や繊維が当たり前になっています。私などもそうした紫外線対策をしないとどうもお肌のシミが気になります。最近「○デイアキュビュー」の宣伝アンケートで目の紫外線対策について考えさせられました。今でこそ化粧品をはじめとするUVカット商品はたくさんあります。オゾン層破壊が原因で悪玉の紫外線が以前よりも増して降り注いでいるという事実も知っています。

ではモネについてはどうでしょう。19世紀から20世紀をまたいで、日がな戸外で光を追求し続けた訳ですから彼の目も紫外線の影響を少なからず受け続けたに違いありません。晩年、白内障を患いながらも描き続けた彼の作品を見つけたとき、作品に釘付けとなり思わず涙がこみ上げてきました。記憶を頼りにパレット上の色を画面に置いていく日々。画家の苦悩は図りしれません。悩みながらも描くことをやめなかったモネの心中はいかなるものだったのでしょうか。

筆致の大まかさに、いつもの観客の雑音には「短時間で描いたんだろう」というものが多かったのですが、「睡蓮」の連作では、光が刻々と変わってしまうので、ジヴェルニーの庭にキャンバスをいくつも置き換えて時間帯ごとに何日も継続して描き続けたというモネ。常に時間との闘いを演じていたのだろうと思います。夕日が沈むオレンジに染まる画面。戸外では一瞬の出来事ですが、それを何度も何度も日を追って追求していくあくなき執念には頭が下がる思いです。

こうして、若冲の時は間近でべったり時間をかけて堪能する鑑賞でしたが、今回は一定の距離をおいての鑑賞形態を取りました。どちらも浸りきることができたのには大満足でした。

光溢れる明るい世界をキャンバスに再現する手法をこの世に示してくれた偉大な画家モネの目は確かだったようです。今回そのことをお伝えできたら幸いです。

さてさて私の方ですが、モネ展のあと、「21-21デザインサイト」の「チョコレート展」を観ました。とっても楽しい展示でしたよ。これこそ気楽にご家族や友人はたまた恋人と連れだって行かれたら楽しさを共有できる展覧会です。

私?一人でクスっと笑ったり、おおっと感嘆したりとちょっぴり淋しかったかな。会場の雰囲気は「金沢21世紀美術館」の展示と通じるところがあってなかなかおしゃれでした。入り口でチョコレートをいただいたときは「新しい!!」と感じました。それこそ味覚も含め五感で楽しめる展覧会です。(館内での飲食は×ですけど)

京都ももっとがんばらないと!!って感じました。