


ならば、日本の伝統文化とは何か。その、当然説明の出来そうな問いが、案外あやふやなものであることも、今回の更新講習の四方山話として提供されていました。日本の文化、芸術を突き詰めていったとき、古来から引き継がれてきた日本固有の文化というものはなかなか見つからないのだと。
日本の文化は、文字はもとより、宗教、建築、芸能、美術、その他もろもろ、多くが中国大陸や朝鮮半島を通って(主として渡来人を介して)、伝播してきたものであるのは明白です。中には平安時代や鎖国政策がなされた時代に独自の発展を遂げたものもありました。
しかし、明治維新に伴う文明開化以降、欧米化・近代化が急激に進むと、中国大陸、朝鮮半島はもとより、オランダやポルトガルといった西洋をも含む異国から伝播し、醸成・発展して花開いた江戸の文化は、古く遅れたものとして、先進的な物や技術・思想に駆逐され、多くが廃れていきました。もちろん、欧米化のもと、工芸品を中心とした日本の優れた文物が、ヨーロッパに紹介されて注目を浴び、独自に、急速に発展した分野もあるにはありますが。
また、明治政府の神道国教化政策のもと、廃仏毀釈が進められ、破壊・遺棄された仏教美術も多く、文化的な損失は計り知れないといいます。さらに度重なる戦争の混乱下、焼失、散逸を余儀なくされたものも少なくないことでしょう。
さて、U氏により再現された土佐光起の色見本のことを、前回取り上げました。氏も、伝統という言葉に意見がお有りのようで、日本の伝統美術とは何か、日本画とは何かについて、様々な切り口で語られました。
まだまだ不勉強な私の頭の中で、氏のお話は実際、消化しきれていません。もやもやしたままでは何だか気持ちが悪い。そこで少し頭を切り替えるつもりで、「日本画とは」で検索を試みました。そこで見つけた山種美術館のHPが秀逸!日本画に関する、アカデミックな解釈として、これに勝る解説は他に見つかりません。とてもわかりやすい解説でしたのでURLを紹介させていただきます。まずは一読を。
山種美術館「日本画とは」
さて、U氏のお話にもどします。氏は、このような日本画のアカデミックな解釈に対して異論を展開されたのです。特に、油絵を主とした洋画と、これまで○○派として伝統的に続いてきたいく筋かの流派との間を分類する材料に、「画材の違い」を取り上げている点に違和感を持たれているようでした。
氏は、今も昔も、日本画だけが、岩絵の具や泥絵の具を膠で基底材に接着するものではないはずだと力説します。「何故なら、大昔は、…」と言って、一つの石をどこからか運んできて、ご自分の手元にコツンと置かれました。
「人と獣の決定的な違いが、この石をどう使ったかにあると私は考えているんですね。」
と。
何が展開して行くんだろう。氏との楽しい日本画談義はまだ始まったばかりです。
つづきは、また次回に。
水簸を辞書アプリで調べると「固体粒子によって水中での沈降速度に差があることを利用して、粒子の大きさ別に分ける方法。陶土の調整や、砂金の採取などに用いる。」とある。具体的な方法は思いもよらないが、お土産にいただいた色粉を見、資料を読み解くと、どうやら、鉱物などの顔料を砕いたものに水と膠を加えて、(多分)乳鉢で擂り、上澄み液を濾し、乾燥させる方法で、粒の大きさの違う顔料を選り分け、取り出すことを云うのだと取れた。顔料は、粒子が細かくなるほど白っぽくなる。つまり、明度が増し、彩度が下がる。乾燥後、ふるいに掛ければ、細かい粒子の明るめの顔料が得られ、残った方はそれよりも鮮やかなものとなるという理屈だ。
続いて氏が見せてくれたのは、土佐光起が残した、土佐派の絵画指南書の中にある色づくりのレシピに基づいて作られた、ベニヤ板半分くらいの大きさの「色見本」標本である。これも今思えばくらいのことで申し訳ない。先の資料を後でじっくり読ませていただいて、より実感が湧いてきた。おそらく光起が書いて残したままの順番で、見本は並んでいるのだろう。
お土産にいただいた資料は、土佐派の絵師達が用いた色そのものと、絵の中で、どの部分に用いるのか指示されている。勿論、目標色は光起の絵画中に求めたのだろう。文書を読み解き、試行錯誤をしながら忠実に色見本を作成されたに違いない。歴史的に古い作品の経年劣化、褪色をも考慮しただろうから、その点を想像するにつけ、今更ながら、氏の研究熱心さを十二分に伝える仕事だと感じる。
U氏の問いは、「日本画とは何か」に集約されると私は思った。
次の回は、そのことを、私なりの解釈をさせていただきながら、お伝えしたいと思います。
さて、友人Kさんの紹介で、始めて訪ねていった見ず知らずの私に、時間を忘れるほど、いろいろと話してくださったU氏。その貴重なお話は、忘れないうちに書き留めなければいけません。
とはいえ、三時間半に及ぶ、ほとんど間断のないお話(失礼にあたるかと、メモをとることなく…)の、どこから書きましょうか。
まずは、訪ねるきっかけとなったことに関わる内容からいきましょう。
ウエマツ画材店は渋谷にあります。Kさんが紹介してくださったのは、日本画を生業にしているKさんに投げかけた、ふとした相談からでした。
中学3年生の授業で、日本画入門と称して、水干絵の具で描かせているが、それを溶く膠液が冬場には固まってしまい、制作に支障が出る。何かいい方法はないかしらというもの。すると、即座に「ならウエマツにいいのがあるよ。冬でも固まらないやつが」の返答。ご自分もよく使う材料だから、「興味があるなら行ってみる?」と言われ、頷きました。
その後、私の知らないところで社長のU氏にアポ取りを済ませ、「社長さん月曜日は2時から研究室に出勤するって。京都の○○さんていう中学の美術の先生が行くって伝えといたから。何なら夕方でもいいって…。」という。なるほど、行って聞くのが早いってことね。これは何が何でも行かなくては!…てな流れで渋谷を訪れたのです。
Kさんから言われた通りに店員さんに伝えると、宮益坂通のとある年代物のビルの十階に案内されました。そこに、社長室兼研究室がありました。
余りキョロキョロ見回すことも出来ず、簡単な自己紹介をすると、勧められるままに、部屋の中央にある作業用の大きなテーブルに向かい腰掛けます。U氏は色とりどりの瓶や容器が並ぶ、その向こうにもちょっとしたスペースがある重量棚を背に、テーブルの対岸に座られました。
「実は」と、早速、件の膠液の話を切り出しました。まずは私から、前提として、私が取り組んできている題材すなわち、卒業制作として、色紙(しきし)に墨彩画を描かせることとその意味、添え文のこと、一緒につくる篆刻のこと、制作の段取り、展示方法、準備物…などを一通り説明、日本画入門と称して、水墨画での練習をした上で、手本をもとにしつつ、アレンジも許して取り組んでいることなどについては特に詳しく話しました。
また、生徒がそれまでの経験の中で、この題材のように指で絵の具を溶くということはなく、多くの生徒にとっては、おそらく最初で最後の経験になるかも知れないので、今後も是非取り組んでいきたいのだという思いもお伝えしました。
そして、そんな大切な経験なのに、膠液が固まってしまい、絵の具作りがままならない状態を何とかしたい。画家は手元で湯煎しながら描くだろうけど、集団で、美術室という限られたスペースではどうにもならない。たまたま前々任者が残した水干絵の具がたくさんあるので、是非使いたい。これまでは7年前の膠液が残っていて、それがたまたま古くて変質し、サラサラだったために、昨年までは困らなかったが、新しく購入した膠液は、冬場の常温で容器の中で固まってしまい、容器ごと湯に浸けて溶かすことが出来ても、皿に小分けすると、途端に固まってしまい、絵の具を溶くどころではない状況で大変困っていること。等、諸々を説明しました。
U氏は、時折、質問を挟みつつ、私の話をうなづきながら、じっくり聞いてくださいました。ひと段落ついたところで立ち上がると、テーブルにいくつかの膠棒とシャーレに溶かして固まったサンプル、そして膠液の容器と透明なグルー、またその固まったサンプルのシャーレを次々に取ってきては私の近くに置きました。あぁ、これが膠ね。ほう、乾燥して固まるとこうなるのねと、それらを眺めている私。
そこへ、不意に質問。「膠を使うのは何故か?」
「はい。そのままでは粉状の絵の具が紙に定着しませんから、糊のようなものでしょうね。」
「その通り。膠はメディウム、つまり、接着剤ですね。」
続いて、グルーの話になりました。これが、氏が長年かけて開発して来られた、Kさんが言ってた例の画材なのでしょうか。
悪い癖ですね。ついつい長くなってしまいました。では、続きはまた。
一人目は偶然、教員免許更新講座で。二人目は、Facebookでのやりとりで、帰省するならと、一緒に三人目を訪ねることになって。
共通項は母校、藤枝東高校の美術部。美術教育に携わることになった原点ともいえます。
高校時代の恩師といえば、担任のI先生や古文のS先生も思い浮かびはしますが、強烈に影響を受けたという点で、再会を果たした三人目の人物、K先生は大きな存在です。
K先生は、母校を卒業して、武蔵野美術大学彫刻科に進まれました。卒業して彫刻家として作品を発表しながら、29歳で高校教師として、別の高校からご自分の母校に赴任された年に、私も入学しました。来られて早々、ガラクタ置き場の様な美術準備室を、モデルを置いて2〜4名がデッサンしたり油絵を描いたりできる部屋にしつらえ、「美術手帖」を読ませてもらえたり、専門の彫刻について、特にジャコメッティについては熱っぽく、私たちに語ったりしてくださいました。参考になる作品があれば、そのよさを私たちに問いながら、具体的に示してくださったり、美術って面白いだろうと本気で思わせてくださる先生でした。
だから、その先生の影響を受けて、美術にのめり込む生徒が少なからずいたのです。
私ももちろんその中の一人です。私の場合、初めのうちは、受験のためのデッサンという意識はありませんでした。中学時代に授業で「大顔面」の面どりの鉛筆石膏デッサンが、ちょっとだけ上手く描けた気がしていました。部活で足を踏み入れた高校の美術室に、ヘルメスやミロのヴィーナスの頭像、ブルータス…などの石膏像がいっぱいあるので、片っ端から木炭デッサンをしていただけだったのです。夕刻、モチーフの明暗が判別出来なくなるまで、木炭とパンにガーゼで、イーゼルに立て掛けたカルトンに目玉リップで固定した木炭紙と格闘していました。楽しい日々でした。
受験のためのデッサン指南に、再会二人目の人物Mさんが準備室にやって来ました。武蔵美の建築科を目指すと言う彼女は、決められていたはずの制服のベストは短く、スカートは長め。カールした髪に、少し化粧っ気のある、ちょっとませた感じのお姉様でした。頭が切れて、数学とかが好きとか言ってるのがなんかギャップがあって、印象的な先輩でした。デッサン練習の成果もあって、見事に希望の進学を果たし、東京へ。1年後、たしか私が武蔵美を受験するときに泊めていただいたのがお会いした最後でした。数年前にたまたま本ブログを訪れてくださり、建築の仕事で活躍されている近況を知ることとなりました。それから、実際、再会したのはつい先日ということになります。
2年になると、美大系の受験のためにと、同学年の女子が二人、美術部に入部して来ました。その二人は、私と同じ中学出身で、一人はお家が広告デザインをされていたと記憶しています。彼女たちは基本形の鉛筆デッサンから始めて、静物画のデッサンを件の先生の指導で進めていきました。その中の一人が、教員免許更新で声をかけてくれたKさんです。Kさんは、先生の勧めもあって、日本画科を目指すことになりました。
恩師のところには、他にも美大系を目指しているものが何人もいて、その影響を受けていますが、こうして、生徒に応じて、的確に進路指導、受験指導をしてくださったわけです。
私はというと、同い年が自分の進路をしっかり目指していることに焦りを覚えつつ、迷っていました。兄二人が京都の私立大学に進学したので、選択肢が限られていました。国公立、兄のいる京都なら進学も許してもらえるのではと目論見ました。美術は自分の中でどんどん膨らむ夢。美大に合格する力はまだ全然身についてはいないが浪人も出来ない。揺れに揺れる心に、K先生が方向づけしてくださいました。
こうして、美術教員になる道筋をつけてくださったのですが、その恩師を、先日、実家に向かう途中で訪ねたのです。
そこには、二年前に脳梗塞で倒れながら、復帰を果たし、右手を左で補いながら、作品に向かう彫刻家として現役でいらっしゃる先生の姿がありました。自身の美術に対して少しも変わらない思い、ぶれない様子に、この人に学んだんだことは、今も私の核としてあると、しみじみ思ったものです。残り少なくなってきた教員生活に、全力で当たらねばと気持ちが引き締まる思いでした。
三人で話しているうちに、再会二人目のMさんに、もう絵は辞めたのかと尋ねられて、「いやぁ」と首を傾げてしまいました。正直な思いから、出た答えでした。というのも、自分の中で、作家として絵を始めたことがないのです。だから辞めたのかと問われても実感がまるでない。
逆にいつ始めても「あり」というのが、K先生の答えでした。とても温かいその言葉に救われる思いでした。
先生のお家を後にして、懐かしさの余り、高校時代に描いた自分の作品に会いたくなりました。実家は、幹線道路の建設のため、立ち退きにあい、1/4ほどの三角形の土地を残して移転しました。家族には必要のない私の作品は、その土地に据えられた物置小屋に置かれたまま、数十年経つわけです。
今日、その地を訪れると、処分されずにそれはありました。物置のスチールの壁面に触れていた部分は、結露のせいか木部は腐り、紙は朽ち去り、絵具は剥落していましたが、一枚の自画像はほぼ無傷でした。その一枚を救い出して、現住所に送りました。
高校時代の恩師、先輩、同級生と旧交を温め、さらに、自身の美術に真摯に取り組んだ過去とも再会を果たしたこの夏は、私の何かが動き出すきっかけになりそうな気がしています。
追記:再会なって、家に届いた高校時代の自画像。部分ですが…。

目線が合っているので、どこから見てもついてきます。生活空間にはちょっと大きいF20号サイズ。送ったものの、置く場所に困ります。笑
ちょっと困ったのは、0.2mmのシャープペンシルでした。細いパイプで針のような芯をホールドし、そのパイプの丸みを帯びた先端が紙に押し付けられて引っ込み、芯先が露出するしくみになっています。シャープペンシルの書き味はスルスルとスムーズ。常に細かく筆記し続けることができます。一度のノックで随分たくさん書ける優れものです。
で、困ったというのは、先日受講した免許更新講座に持って行ったのがこのシャープペンシルだったからです。内容はお伝えできませんが、認定試験がありまして、これがなかなか広い解答枠だったのです。
この頃の教員はほとんどがPCで文書作成します。とりあえず入力したものや、別に作成したりされたりした文書を活用して、コピペ、デリート、カット&ペーストを駆使し、作文というより編集することで文書作成をします。手書きで文章を書くことが余りにも少なくなっているので、今回の試験のように、「○○について説明しなさい」式の論述問題にはだいぶ弱くなっているのではないかと思います。
そこへきて、解答枠に見合う(見た目の)量を書くために、細かく書けるシャープペンシルが仇となりました。推敲すべき文章量が思いのほか多くなり、書いては消し、書いては消しで、やたら時間をかけた割には、簡潔とは程遠い論述になってしまいました。もちろん限られた解答時間ですから、どの問題にもとはいかず、結果、配点高めの最後の問題が尻切れトンボに終わってしまうという失敗を招いたのです。(本当のところは自身の準備不足が原因ですけど…(´・_・`) )
この経験から、もっと、普段から手を動かして文章を書く必要があるなぁと考えました。今もおられるでしょうが、昔の物書きは凄いですよね。原稿用紙にスラスラと文章を綴って行った。書く時には文章は構造化され、書き手の頭の中で完成しており、手はあたかもそれを再生させるためのマシンであるかのように。
そこで使われていたのが万年筆ですよね。太めの胴体が手に馴染み、「書き味」という言葉が最も似合う筆記用具ではないでしょうか。
二度目の東京で、代官山にある蔦屋書店に出掛けましたが、そこで見かけたのが万年筆です。高級万年筆は、もちろんそれで仕事をする人にはこだわりのあるブランドがあるんだろうと想像しながら、試し書きのできる、手頃価格の万年筆を試します。すると、紙との独特のこすれ感と続け字の味が懐かしく蘇りました。
中学生の頃、担任の先生が万年筆でとても素敵な文章を書いていらしたので、私も真似して万年筆を使ったりしていたのを思い出しました。最近はフリクションペンで、生徒のワークシートやノートにコメントしてる私ですが、試し書きをしながら、赤インクの万年筆でコメントを書くのもいいかもと想像してワクワク。またもや、衝動買い発生!というわけです。
買ったのは、赤ペン用とお手紙書き用の2本です。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B0007OEDDE/ref=redir_mdp_mobile#immersive_view?1408085481458
赤ペン用には赤のPelikan Pelikano junior。別売りの赤インクと一緒に購入。夏休み明けが楽しみです。テストの採点にも使えるかも。夏休み明けから、私、赤ペン先生ですね。σ^_^;
でも、今年は、京都に帰っても毎日に張り合いがありました。一週間後にはまた東京行きが決まっていたからです。
息子が住むマンションの配管清掃に立ち会ってもらえないかとの依頼に、渋々いえ、それ程迷うことなく応じることにしたのです。勉強だけで充電には程遠い毎日だったから。
既に決まっていましたので、Cさんとの別れ際の淋しそうなお顔に、「すぐにまた会えますよ!」とすかさず声を掛けました。
一週間経って、また東京で再会です。
Kさんのグループ展は本日まで高島屋日本橋店で催されていますが、ギャラリートークのある日がたまたま、件の配管清掃を終えた午後からと、トントン拍子で物事が進んで行きました。
月曜日は息子が出演する公演も予定されてましたが、Kさんから紹介していただいて、画材店「ウエマツ」の社長Uさんとお話をする機会に恵まれました。研究室でお仕事をされていたにもかかわらず、時間を忘れてしまうほど、楽しくあれこれと示唆に富むお話をいただいたのです。話が弾みすぎて、四ツ谷での息子のイベントが19:00からと聞いていたのに、危うく、遅れるところでした。これもたまたまですが、開演が少し遅れて事なきを得ましたが…σ^_^;
Uさんから聞かせていただいた、このときの色に関する様々なお話はゆっくり書かせていただきます。
そして今日は、ブログもあるという素敵な手作りインテリアを見せていただくということで、Cさんを訪ねます。
足を運ぶつもりの展覧会は今3つあるにはありますが、この休暇中に実家にも立ち寄りますし、そこで、懐かしい先輩に連れて行ってもらい、恩師を訪ねるというスペシャルイベントもあります。
というわけで、この夏は旧知にばったり再会したり、新しくお知り合いができたり、奇遇と思えることがつぎつぎと起こり、自然に流れができて、何かが動き出している感覚が心地よく感じられる日々です。
その流れで本ブログも再開する運びとなりました。皆さん、今後ともよろしくお願いします。m(__)m
理由は、デジタルの時代にレタリングはやらないという声を美術科の先生方からよく聞くのですが、私は中学生には学ばせたいと考えており、その確信が持てる内容であればいいとの期待をもったからです。
タイトルは「文字とデザイン」。言葉や情報の伝達に欠かせない「文字や活字(フォント)」の基本的な知識と、その取り扱い方の基礎を学ぶという内容でした。
必修領域の受講生が150名ほどでしたから、7つのコースに平均すれば20名以上は集まる計算ですが、グラフィックデザインコースは10名と、比較的にゆったりと実習に臨める人数で、終始落ち着いた環境でした。
そんな中に、なんと再会したKさんと友人のCさんもいらして、楽しさが何倍にもなったというわけです。
前提講義は2時間。文字の成立から活字(活版印刷術)の発明、その意義と広がりの歴史をスライドを見ながら学びました。改めて知ることばかりで驚きと感動の連続でした。
続く実習の要領を先生がスイスイ手を動かしながら解説してくださるのですが、いちいち気づかされることばかりで見惚れてしまいました。
課題は、4種類の欧文書体から、好きな書体を選択し、大小、ウエイト(字の太さ)の違う活字素材(数種類のフォントファミリーのアルファベットや数字、記号、約物と、その欧文フォントとさらに親和性のある和文フォントでできた情報文字列)を切り貼りして、仮想のフォント見本帳の展覧会ポスターを作成するというものでした。
先生のデモンストレーションは、文字列が数センチ置き換わったり、文字の大きさがほんの少し変わるだけで、たちどころに印象が一変する、さながらマジックを見ているようです。
そう、すっかり見惚れていると、「まぁ、こんな感じです。じゃあ、皆さん、やって見てください。」と。そこで、4種類の欧文フォント成り立ちの背景の資料を渡されて、好きな書体を選んでくださいというわけです。
ざっと歴史を学んだところで、続いて資料で個々の人気の高いフォントの成り立ちや特徴を調べて、そのポスターを作れと仰せなのです。


写真は後に購入した甲谷 一著「きれいな欧文書体とデザイン」名作書体の特色とロゴづくりより[株式会社ビー・エヌ・エヌ新社発行]
(この本がまた素晴らしいのですけど)
私が選んだのは、エリック・ギルの「ギル・サン」でした。
合評会は2日目の2時からということで、素材をいただいて実習が始まりました。
よく、こんな制度は何の意味があるのかと
そもそも、本ブログは、自身の勉強の為に始めたものでした。一つには、文章の構成力を高め、ひいてはわかりやすく相手に伝わる表現力を身につけること、二つ目は、日々の生活の中で、多くの感動を体験し、それを伝えることで、忘れてしまいがちな諸々を記憶しておこうと考えたからでした。
その意味では、これまでも本当は書いて残したかったことはたくさんあったのです。それはそれはたくさん。
ここ最近の私に起こったことは、とても素敵な出来事で、人を介して、多くの学びや導きを与えてくれるものでしたので、少しづつ紹介しながら、記憶に留めておこうと思います。
本ブログに今でも訪問してくださる方々に感謝しております。今後とも初心を忘れず精進してまいります。よろしくお願いします。
特に気になりながら去年の大掃除以来ずっと放っておいた風呂の天井に遂に手をつけました。
前の日、入居当時以来20年使い続けている浴室換気乾燥機が不調となったのです。
スイッチが入らず、大量の洗濯物を冬空で曇天のベランダに干すという全くの想定外の事態に
それから半日かけてネットで取り替えるものや工事費用をあれこれ探しました。
楽●市場での買い物がこの頃の常で、結局色んなサイトを調べた末、高須産業のものを発注しました。
高須産業 BFー161RX 工事費込 24時間換気対応型浴室換気乾燥暖房機
グラファイトeヒーター採用 天井取付タイプ
ハロゲンランプを使うため温熱の立ち上がりが早く省エネ、風を身体に直接当てないから
入浴中に風で体感温度を下げることがないという代物。
運転中に電気ストーブみたいにオレンジのランプが点いているのが気になりはしないかとは思いましたが、9万円程度の出費ならと、いろいろ考えた挙句やっとの思いで発注を済ませました。
運転拒否をしていた浴室換気乾燥機はネットを検索している間になぜか運転を開始しました。
仕事から帰ってきたパパは自分でスイッチを入れて動作するのを確認して、
発注を早まったのではないかというようになじる素振りを見せます。
昨日の今日、業者からの返信はないし、
その間もお風呂は使うでしょうし、洗濯だって…。
古い乾燥機が動いてくれてありがたいでしょ?
でも、もう発注済みだし、いつまた運転拒否するかわからないんだからと自分とパパを納得させます。
さて、いつ工事に来てくれるか返事はありませんがいつ来ても困らないように準備だけはしておかねば。
そこで今回の風呂天井大作戦というわけです。
ここ2ヶ月、楽●での買い物で散財しているのですが、その中のGOODSを試して見ようと…。
昨年メラミンフォームだけでは全く歯が立たなかった、べとついた煤汚れが少し反応しました。
決して軽くスッとはいかないけど、汚れが動いて下の層が見えただけでも期待感が持てました。
大きめなメラミンフォームにその名も『水ピカ』を水で2から3倍に希釈した液を浸し、
普通にお風呂に入るいでたちで風呂椅子に乗っかって手を伸ばします。
垂れてくるしずくを避けながらグイグイこすっていきます。
汚れは少しずつ場所を移動し始め、天井の素地がちょっとずつ露わになっていきます。
その分メラミンフォームがどんどん黒く汚れてしまいます。
洗い場部分の天井の煤汚れ、つまり半分に成果が認められた頃、私はふと思いました。
これは闘いだ!
敵はしぶといこの汚れであり、かつ、もうこれぐらいでいいかと諦めかける自分の弱い心です。
「掃除とは闘いである」
そう考えると、なんだか負けたくないと思えてくるから面白いものですね。
私は昔からこれっと決めるととことんやらないと気が済まないたちでして
これっと決めないことが多いからズボラだと周囲に思われているに違いないのですが…。
シャワーをかけてできた水滴がボタボタ落ちてくるのを避け、しばらく半面側のお風呂に浸かりながら自分の闘いを思いました。
この闘いはあきらめずにやりきれば必ず勝利し、結果達成感と爽快感をもたらす
そして、またもう一つ別の考えが浮かびました。
「人は見栄に支配されているかもしれない」
風呂の天井をきれいにすることにどんな意味があるのか。
使うのは住人だけ、たまにしか帰らない息子を抜いて、今となればせいぜい夫婦二人だけだ。
気にしなければなんてことはないではないか。
だいたい去年の暮れにやりかけて、ほっぽり出してすでに1年が経ったではないか。
それが、何ともはしたない姿で必死になって格闘している私がいる。
この家は築20年にして、なぜこんなにキレイな風呂天井なんだろう!
工事のためにたまたま我が家を訪れる見知らぬ誰かが、多くの施主の中で我が家が隅々まで行き届いているかのように評価するのではないかと、明らかに見栄を張ろうとしているのではないか。
そんな考えがもたげてきて可笑しくなって一人で笑ってしまいました。
とりあえず天井掃除は苦戦の末に完遂しました。
手の届く範囲はすべて雑巾で水滴を拭い、後は古い乾燥機が動いてくれるので乾かせばしまいです。
風呂で長い間使っていなかったグッズを処分したあと、洗面所に戦地を移動しました。
使っていなかった垢すりタオルはハサミで切り分けて汚れ落としに使うことに
さすがに水あかに強く、洗剤いらずで、なぜ今頃になってそれに気づいたのかと思うほどです。
これも楽●市場で安く買っていた不織布のカウンタークロスも、鏡の拭き取りに都合がいい品物です。
洗い物を拭き取ってすぐに食器棚に戻す習慣はこのクロスあればこそ。
何回でも乾かせば使えるところがリーズナブルですが、鏡にも小さく切って使えるのがうれしいですね。
と、まあ、ここまで闘いに勝利し続けたつもりでいました。
ところがです。
あれほど風呂椅子の上で、転倒しないようにと注意を払っていたのに、ついにやってしまいました。
どこからかのたわいのない電話が終わり、洗面所に戻ろうとして勢いづき、濡れていた床に敷かれたマットで滑って転倒したのです。
弁慶の泣き所を風呂の段差の角にぶつけて擦りむき、患部は腫れ上がりました。
幸い他に怪我はなく、一人で孤独に散っていくところまでには至ってはいませんでしたが。
仕事から帰ったパパに、あれこれ片付けられて、特に、もう毛先が曲がって使えてそうにない歯ブラシなのに、無いとみると「勝手にするな」とキレられるわ、キレイになっているのになんら感謝の言葉はもらえないわ。
だから、怪我したのはあんたが買ったそのお風呂マットのせいだ!とぶちまけてしまいました。
確かに、これまでも思わず滑るということがあったではないか、本人もこればかりはと思ったのでしょう。
今朝、お風呂から上がると、その風呂マットが撤去されていました。
こうして年末恒例の大掃除は場所を勤務地へと移って行きます。
27日は職場の大掃除、25、26日に友人と旅行するのでいきなりの掃除です。
できれば身辺は済ませておきたいと休日出勤の予定でしたが、
なんだかすでに闘いに負けている自分がここにいます。
皆さんは怪我されませんよう、くれぐれもご注意ください。
では、よいお年を‼
自分のや息子の卒業式を入れると38回目を数える卒業(卒園)式の直後、思わず同僚につぶやいていた。
「本当にいい卒業式だった。やっと終わったね。だけど、ループする。私たちの仕事はまた、始まるんだよね。」
戻りたくても戻ることができない、学校や友達、先生との別れを惜しむ涙と、それを乗り越え、物事に区切りをつけた晴れやかな笑顔とが入り交じりながら、握手をしたり、ハグしたり、手紙をくれたり、写真を撮ったり…。
一人一人の成長に目を細め、私の中で「今年も送り出せた」というささやかな満足感が湧いてくる。
そうすると、いつもながら、先輩を見送る美術部員(在校生)にそれまでとは少し違う感情が芽生えてくる。
「次はあなたたちだ。来年のこの日を感動の涙と心からの笑顔で迎えられるように互いに精一杯頑張ろう。」
その感情が、2年生の生徒達にも向けられる。一人一人への無言のメッセージ。
これからの1年を充実させていけば、今からでも大きく成長できる。自分の進路の可能性を広げることができる。自分に向き合え、絶対に投げ出すんじゃない!!
教科や分掌の仕事、学年の仕事、生徒対応…、諸々の仕事に日々追われながら迎える卒業式の後の数時間ほど、教師に効果的に心の休息を与えてくれる時間はないのではないかと思えてくる。つかの間の休息の時間を経て、リセットだ。
次の日、私もそうだったが、3年生の同僚は一様にぼんやり停滞していた。今日は公立高校の合格発表という重大イベントがある。朝の打ち合わせの時間、常は朝学活前ということで慌ただしく立って行うのだが、脱力して数人座り込んでしまった。そうか、他学年はともかく、うちは落ち着いて座ってじっくり今日の動きを確認すればいいんだ。暗黙の了解で、皆座席に腰掛けた。
近隣の高校へ向かう先生が学校を出発。発表を見に行った生徒は学校に報告に来ることになっていて、合否結果をうけ、ます担任が対応する。午後、不合格者への対応を改めて学年教師で検討し、保護者へのアプローチを確認して進路確定のために動く。
その他のことはすでに万事動き出している。来年度への準備。学年や分掌が定まっておらず、うまく引き継げるようにしておくことが目下の目標だ。
そう、こうやって一部リセットされて、私たちの仕事はループしていくのだ。
件の「新年の抱負…」だが、こう書くとどうも妙な感じがする。
見た感じ、「で、あるの?抱負は!」って突っ込みたくなるでしょ。それって私だけ?
人間(大きく出た!)、自分の中に大なり小なり弱点を抱えていて、それではあかんなと思って何とか克服しようと努力している、またはそのつもりでいるわけです。年頭に当たり、重い腰を上げ、いろんな言い訳を排除して自分の弱さに対峙する。それが「新年の抱負」なんですね。
私もご多分に漏れず自分自身に誓いを立てようとしているのですが、これがどうもうまくない。
産みの苦しみっていうものかしらん。
何がそうさせているかというと、今私の目の前にあるタイトルが私にとってとても重いものだからなのかも知れません。私はこうします、こうしたいですがすっと言えない。
どうも粘っこい「執着」が私の中には存在する。けれどそれを振り切って軽くなりたい、清々しくありたい。
今、そのせめぎ合いが起こっているのだと思う。
2008年以来、今となってはブームとも言える「断捨離」。ここにその三文字を書くだけでも勇気がいる。
私の今年の新年の抱負…。
私はあの大災害の当事者ではありませんでした。にも関わらず、私の中でさえも変化は起こりました。というより、誰一人免れることなどできなかったのではないでしょうか。
職員室にいて、長く続いた揺れの直後、iphoneで得た目を疑うような速報以来、ネットやTV報道をはじめとして、身の回りに飛び交うありとあらゆる情報が深い悲しみや不安、恐怖をもたらしました。そして後戻りの利かない無情と喪失感。ついで身内や知人への尽きせぬ心配が俄にわき起こりました。隣席の同僚の親類縁者を皮切りに、見知らぬ誰かの身に起きたかもしれないさまざまな出来事やそうした人たちの思いを想像することで、鬱とした心持ちが支配していきました。時を経ても、ずっと澱のように、心の底に沈殿しているのであって、時折何かの拍子に浮かび上がっては、静かに漂い、あるいは激しく渦巻き、緩やかに旋回しながら、また底に沈んでいく、その繰り返しのように思えてなりませんでした。
凄まじい光景が、報道のフィルターを通して希釈されているにも関わらず、また事実のごく一部を切り取った部分に過ぎないと承知していても、私の心を悲しみで満たし、容赦なく圧迫しました。これは本当に現実なのだろうか。こんな事が起こっていいのだろうか。今回は免れたけれども、これから先、別のどこか、または自分のいるこの場所で再び繰り返されるのではなかろうか。
けれどもそれから起こった変化は、阪神大震災の後に似て、いやそれを遙かに凌ぐ規模とスピードでめまぐるしく展開したように思います。
勇気を持って事に当たる。できるかできないかではなく、それぞれの立場でやるべき事をやる。
そうして行動を起こした人々が、私の中の弱気やあきらめや無力感を次々と打ち砕いていきました。
「大丈夫、何とかなる」
この言葉は、4月に転任した学校で、受け持つことになった部員の一人がよく使う口癖だったのですが、いつの間にか私が一番頻繁に発していることに気づきました。小さい意味においては、何ら確信も根拠もない無責任な物言いにも感じられるのだけれど、大きな意味においてはいつも正しいような気がして、私を奮い立たせる呪文になっています。
ただ、この言葉に隠れた本当のところは、「何とかなる」(他力)ではなく、「何とかする」(自力)です。私が、あなたが、事に当たり、状況を打開するのだと強く思うのだという裏の意味を感じながら発しているように思います。
新しい年がはじまりました。大きな悲しみは消えることはありませんが、小さな希望を胸に一人一人が前進することで、きっと何とかなるんじゃないでしょうか。
昨年、いろいろな方と出会いました。ちょっと足を運んだだけで思わぬ人と繋がることもありました。そしてほんのちょっとの勇気でお話しすることができた方もいます。そう、ほんのちょっとというのがおもしろいところですね。今年はどんな出会いがあるでしょうか。
大きな変化や些細な変化。新しい発見や出会い。もちろんこれまでお会いしたすべての皆さん、今年もどうぞよろしくお願いします。
この夏休み、積極的にお休みを取得しておりますが、それも残すところ土日を入れてあと5日となりました。久しぶりに更新して振り返っておこうと思います。
梅雨明け後に長い猛暑日が続いたこの夏、政府観光庁は国民の節電行動を促す「ポジティブオフ」を推奨しました。積極的に休暇を取って、旅行や外出をしよう。それによる一家庭の節電効果は70%の見込みとの目論見から発した取り組みです。スーパークールビズと共にどの程度浸透しているのかはわかりませんが、連日の暑さの中、電力需要が供給を超えない(さすがに90%に達する日もありました)程度で推移しているところを見ると、効果はまずまずといったところでしょうか。
この夏、私がとった「ポジティブオフ」行動の行き先は、美術館。誘い誘われ、出張ついで、買い物ついでにと、例年の夏休みに比べてグンと足を運ぶ回数が増えました。
まずは、「MIHOミュージアム」。友人の車で山越えドライブでお出かけです。夏の青々とした木々のきらめき。森を奥深く進んだ先に突如として現れる広大な敷地。エントランスに咲く蓮の花。美術館へは電動カートで移動しました。山を切って建設し、植栽はもとの山の木々を植え戻したとのこと。ガラス越しにまんま山の景色が広がります。このシチュエーションは他に見たことがありません。まさに圧巻です。企画展は南アメリカの古代の美術品で、十分に楽しめましたが、常設展が予想を超えて充実していました。エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマ、中国、インド、南アメリカ…。各地域古代の美術品をまとめて見ることができる、この美術館ならではのコレクションも必見です。昼食に利用した併設のレストランでは、自然農法で生産された食材のみを使ったメニューが並び、少し値段は高めではありますが、本当においしくいただきました。帰りにパンも買って帰りましたが、どれも美味。よいお土産になりました。
同日、つづいて訪れたのが「佐川美術館」。こちらでは「セガンティーニ展」と、先日亡くなった佐藤忠良館の追悼展、常設展へと足を進めました。「帽子の女」の作品でよく知られた具象彫刻の佐藤忠良。美術の教科書への言葉でなじみが深く、亡くなられたと聞いたときには、改めて作品に触れたいと思ったものです。佐川でこれほどまでの展示がされているとは知りませんでしたので、訪れることができてよかったと思いました。
夏休みに入り、美術部の共同制作で使う和紙の購入のため、改装なった京都文化博物館へ。楽紙館は文博の一角にあります。部活の後から出かけたので、ちょっと遅かったのですが、とりあえず、「日本画~きのう京あす~」(前期)を観ました。京都の日本画壇の重鎮の作品とさまざまな会派の新作展だそうで、画風も画題も様々。会派50音順という展示方法にちょっと驚きを覚えつつ、早足で見て回りました。燃えるように赤い作品に惹かれる傾向にある私に気づきました。後期はこれから行こうと思っています。
夏期研修講座が終わり、東京に旅立ちました。余談ですが、夜行バスで向かうはずでした。コクーンの乗り心地を確かめるつもりだったのです。昼過ぎの落雷で夕刻研修から帰る電車は大幅にダイヤが乱れていたのですが、それが、その晩遅くまで影響するとは思いませんでした。最寄り駅から出るはずの電車が来ません。やむなくキャンセル。当日のキャンセル料が発生。翌日朝一の新幹線で東京に向かうことになりました。
朝早くどうしても東京入りしたかったのは、10:00東京駅出発の「ホキ美術館鑑賞と翠州(スイス)亭会席料理の会」に参加するため。息子はその建物に興味があって、私はNHKの新日曜美術館で観て是非ともと参加を決めた催しだったのです。
(続きは次回に)
ベースは、昨年、前任校で導入した『みやこユニバーサルデザイン』です。昨年は、2009年グッドデザイン賞を関連資料として取り入れました。以前のデザイン学習でピックアップした「グッドデザイン賞2008年セレクト」を2009年版にセレクトし直して発展させたものです。グッドデザイン賞アワードのHPから、コピーライトの指定の無いものを使わせていただいてpptのスライドを作成しました。この東北大震災でも活躍中の、あの「ラップポントイレ」もその過程で見つけたものでした。今年度も新任校で取り入れ、「デザイン」を身近に、また、人智の結晶として扱い、生徒達に未来への希望や社会との豊かな関わりを実感させていきたいと考えています。
その2009年グッドデザイン賞受賞製品の中に、『コロンブスのまな板』というのがあります。これは、通常なら直角にカットする側面に傾斜をつけた新発想のまな板です。その形状が故に、スポンジにて2度こすり、2面を水でジャーっと軽くスイングさせて流せば洗浄終了、かつ、シンクに立てても、水切れがよく、接触面も狭いので乾きが早い。つまり、まな板に求められている『清潔を保ちやすい』という利点を実現しています。従来品の形そのものに着目し、形状にちょっとした工夫を取り入れるという着想、発想の原点を感じた好例としてセレクトさせていただきました。まさに「コロンブスの卵」の逸話通りです。
その着想、発想を自ら「コロンブスの卵」を転じて「コロンブスのまな板」と称したのだけれど、キミ達、そもそも「コロンブスの卵」って、知ってる?
そう尋ねたときに、クラスの半分も手が上がらない。そこで、私は問うてみました。
「卵って、立つと思う?」と。
すると、キョトンとする面々と、「立つらしいな」みたいな顔と、もう一つの勢力…。
その勢力とは、「先生、コロンブスの卵って、つまり、その、卵が立つかってところで、みんながあーだ、こーだ言って無理や…、みたいになったときに、コロンブスが、カツって底をツブして立てて見せたんやんな」というもの。
これには、度肝を抜かれました。
「違うで!それは絶対に違う!私もやってみたことだし、それは何があっても譲れへん!」
半ばムキになって対抗する私がいました。
私の反論は、小学校時代だったっけ?国語の時間に学んだ事を、実際自分で検証した経験が語らせています。
誰もができそうにないと考えていた卵を立たせるという命題を、重心と卵にある細かい突起の存在で可能だとし、実際に立たせて見せた、コロンブスの柔軟で科学的な思考と行動力を紹介した論説文だったのです。その文章に感銘し、自ら実験してみた子ども時代の素直な私。知の素晴らしさを身をもって感じ、勉強好きになるきっかけにもつながったと思います。
にもかかわらず、なぜか、コロンブスが底をツブしたことになっている現代っ子。それも決して低位生徒ではなく、クラスをリードしている生徒が、私の説明に納得せずにいつまでも熱弁をふるう。なんだ、この子達は…?
そんなごまかしの「コロンブスの卵」では、それを引用した「コロンブスのまな板」が霞んでしまうではないか!
そこで私は子どもの頃にやった実験(簡単)を我が家の台所でもう一度やってみました。
もちろん、「卵は立つ」のであります。

影でお気づきの事と思いますが、後ろの食洗機からは離れております。
種も仕掛けもありません。卵だから立つのです。ハイ。
デザイン性のよさに気づかせるこの授業。そもそもこうした安直、ごまかしのお笑いを信奉する目の前の子らに、自分や自分以外の誰かのために、真摯に取り組む姿勢を浸透させる使命を帯びています。
どうやら真実で迫るしかないようです。
この連休で、PC環境や生活家電に少しばかり手を入れました。
まずは、Bluetoothでプリンターをワイヤレスにするという試み。自宅のメインマシンばかりで無く、Mac Bookとも、他のnotebook PCとも繋げたかったのです。そこで、USBコネクターに差すだけのMicroサイズのUSBアダプタを2つ購入。Macの方は内蔵のBluetoothで認識でき事なきを得たのですが、同じ2.4GHzの無線通信帯だったからなのか、いきなりメインマシンのワイヤレスマウスが停まり、動作不能に。(後から単なる電池不足とわかるのですが)既存の電池持ちの悪いロジクールのワイヤレスマウスを交換、同じくこの際ソーラーパワーで動くワイヤレスキーボード(Logicool Wireless Solar Keyboard K750)も購入する衝動買いに走りました。結局、ワイヤレスが進んだのは特に必要ではなかったマウスとキーボードだったという落ちです。
新しくやってきたロジクールのマウス(Logicool Wireless Mouse M505)とキーボードはunifyingという特殊な通信方法だそうで、全くストレス無く設定できただけでなく、レスポンスも早いし、使わないときには電源を切ることもでき、それが決め手で購入したキーボードしたソーラーパワーがとても素晴らしい!!
結果的には、授業で主にプレゼンのために使うPCのワイヤレスマウスとして、感度が良く遠隔で使いやすいというのがわかり、マウスは学校に。そして時間をおいて届いたばかりのキーボードは、今、メインマシン専用の座につくことになりそうです。しかし、キーボードも大切ですね。薄型なので机の端に手を置いて本当に疲れず、打鍵も軽くスムース。ノートPCの打鍵感と似ていて、それでいてナンバーキーもちゃんと付いていて、とにかく言うこと無し。しかも、ディスプレー下のスライドキーボード置き場の下にも収まる薄さ!(最大7.5mm)
注文してから通信トラブルではなかったとわかり、慌てて注文して少し後悔したのですが、機能面で十分に納得できたので、ある意味いい買い物だったと思います。
生活家電では3つ。
いよいよ地デジ化に着手です。何の嫌がらせか、最近TVの画面がブツブツと乱れるようになったのです。TVのせいかとも思いましたが、とにかく対策を講ずるべく、この際blu-rayレコーダー(HDDもちろん)でいくか、TVの買い換えでいくか…。結局高い買い物ですので、簡単に結論も出せず、amazonでふと見たPIXELA PRODIA コンパクトデジタル地上・BSデジタルチューナー( PRD-BT205…7千円台)でとりあえず凌ごうという結論に。
こういうの決めるのは、結局、私単独でリサーチ、判断、注文と相成ります。本日パパが帰宅すると、いきなり地デジになっていて、BSなんかもチャンネルが増えていたりで、きっと驚くんだろうな。
で、件のデジタルチューナー。これまた簡単接続。TVキャビネットから手頃な椅子にブラウン管TVをスライドして移し、つもりに積もった埃を拭き取り、アンテナ線を抜いてチューナーのジャックに挿し替える。一度AVケーブルを手探りで既存のコネクターに挿してみたけど、うんともすんとも言わないので、前面の入力ジャックに挿してみる。すると、地域設定画面に。地域を設定、その後画面の案内通りに進めていくと、綺麗な画質の画面に確かに地デジだったりBSだったりする映像が映っている。これでOK!なんだ、こんなにらくちんだったのねって感じです。ただ、ちょっとパパにはリモコンが小さいかも。ブラウン管TV壊れるまでこれでいくか。今残っているDVD(HDD)レコーダーにはまだアナログでつながっているんですが、これをどうするか…?う~ん、そのうち考えようっと。
2つめは、扇風機。10年以上使っていて、昨年の夏はスイッチを押してもウンウン唸ってなかなかスタートしなかったんですよね。放っておいたらパパは今年もこれでやり過ごしそうなので、この際黙って購入。本日到着しました。それはそうと、日本の電化製品の梱包技術は本当に素晴らしいですね。もう寸分の狂いもなく梱包されてやってきます。電化製品は未だに発泡スチロールが多いけど、それでも製品を保護する技術はすごいと思います。さて、扇風機。これは『無印』で買いました。リモコン付き。音が静かそうだったので決めました。こういうの組み立てるの大好き。程なく組み立てられて試運転。三段階の風量だけど、「弱」がちょうどいい感じだな。「中」も「強」も強すぎる。もっと弱い段階があればいいと思うのだが…。でもお休みタイマーとか、これまでなかった機能が付いているし、ちゃんと動くだけでも御の字。っていうか、今までの使ってたら本当はいけなかったんだよね、絶対。
3つめはヘルスメーター。iPhoneアプリで、「計るだけダイエット」というのを入れたんだけど、これまでのヘルスメーターが500g単位の計測だったので、アバウトすぎるだろうと、これも15年以上使っている製品だけど、おさらばすることにしたのです。こちらも『無印』で購入。他にもBMI値とか体脂肪率とかが計れる代物もありましたが、100g単位で計れるシンプルな計測器で十分。届いたので、梱包を解くと、単三電池が四本必要なのに電池は同梱されていません。ワイヤレスマウスで使い果たしたので、買い置きはもう無い。というわけで、試すのは後日となりました。シュン。
…というわけで、この連休は、買い物三昧。しかもお家にいてネットショッピング三昧の生活をしてしまいました。この楽しいひとときも本日で終了。
明日からは怒濤の学校本格始動!!頑張るぞ!!
追記:
ネットショッピングは、とにかく段ボールを始め、梱包材がたんまり。パパが帰る前に、片付けておこうと作業を終えたところで、ピンポ~ン♪ しめしめセーフ、と思ってインターホンに出ると、またもや宅配便。(低い声で失敗した…)
荷物は息子からでした。クール宅急便でシャンパンが届きました。大好きなピンクのラベル。よく冷えていておいしそうです。
明日への元気が一気に湧いてきました。Thank you.