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代々木運動公園で開催中のシャネル・モバイルアート展。東京のアートシーン体験の一つとして、是非とも観覧したいと東京出立の直前に情報をゲットして強く思ったのでした。

そして15日、予約券(入場料0円)はありませんでしたが、「薔薇空間」のBunkamuraに足を運ぶ前に、渋谷駅でNHKふれあいセンター行きのシャトルバスに乗り込み、代々木公園にむかったのでした。会場到着はぐるり回って11:00ちょっと前でしたが、すでに多くの方がキャンセル待ちの列をなしていたのです。黒ずくめの係員から「予約券がございませんと、2、3時間ほどお待ちいただくことになるかもしれません。」と言われましたが、この際致し方ないと最後尾で待ち始めた矢先でした。一人の女性が近づいてきて、「お一人ですか?友人が来られなくなったのでよろしかったら…」と12:00のチケットを差し出して下さいました。

リアルにラッキー!!と感じたと同時に「ラッキー!ありがとうございます。はい一人です!」と言って、まさに「渡りに船」とばかり、一切の遠慮も躊躇もなく、差し出されたチケットを受け取っていました。

入場待ちのグループがまた現れると、さきほどの係員が近づいてきましたので、「12:00のチケットが手に入ったのですが…」と言うと、30分前にゲートに集合と告げられました。すでに並んでいるグループの方々にばつが悪いので、目の届かない日陰で読みかけの本を読んで30分待つことにしました。

予定通り、ゲートを通過し、待合シートで待機しました。そして予定時刻になり、12:00予約の組が会場内に案内されました。

入場は二人ずつ、入り口シートでイヤホンをつけられ、流れてくる音声の指示で鑑賞者は行動します。

物語仕立てになっており、声の主の先導でインスタレーションや映像を個別に鑑賞していきます。

ペアで入場と言いましたが、その相手とは交流があるわけではありません。ただ、時間差が短いので、動き出すタイミングが計れてしまうので、つい意識してしまいます。

こうした各人が自由に鑑賞するのではなく、先導によって移動し流れていく鑑賞体験は初めてですし、流れがスムーズで何よりも「静か!」。要らないおしゃべりが聞こえてこないのが画期的。あくまでも鑑賞が個人的なレベルで行われているし、鑑賞に浸れるというのが新しいしユニークな形態でした。

モバイルアート展は今回、香港に続いて2箇所目。次はニューヨークにパビリオンが移設されて開催されます。

その建物は、100号記念の「CASA」にも載っていましたが、ザハ・ハディトという女流建築家の近未来的で流体的というか、ドームのような仮設の施設で、先にも書きましたが、インスタレーションと映像の展覧会です。

音声は約40分。そのガイドに従って、作家のそうした展示物を鑑賞していくのです。

主催者がChanelですから、自ずとそのテーマは「袋」すなわち「バッグ」です。特に豚皮のキルティングのバッグをテーマに展示物が構成されています。あのシャネルのバッグを鑑賞中に何度も何度も手を変え、品を変え見せられ続けました。最後には印象的なピンクのどでかいバッグも登場し、見る者を圧倒しました。

しゃべる者もなく、静かにそして整然とこれらの展示物を観ていく姿…。帰りに何かの展示を別会場で行っているとの係員の補足説明がありましたし、立派なパンフレットもいただきました。この規模の展覧会を無料で公開とは。しかも音声ガイド付きです。

これは洗脳的でもあるし、CMやアドバタイズメントとは異なる新たな企業広告スタイルなのだろうと正直感心いたしました。

それにつけても、なかなか奇抜な企画ではありました。同展は7月4日まで。週末の各曜日3回ほどが追加で予約を受け付けます。その週の木曜日以降ファミマかチケットぴあで予約ができるようです。興味のある方は是非。

それにしても、待ち時間少なく鑑賞できてとてもラッキー。チケットを譲って下さった方に感謝!です。
by my-colorM | 2008-06-19 23:29 | アート
本日から「コロー展」。前回の「ウルビーノのヴィーナス」の観覧時に同展の前売りチケットを購入。待ちに待った開催でした。

入場できたのは1時過ぎ。新幹線から山手線に乗り継ぎ直接会場の国立西洋美術館に向かいました。
インフォメーションに大きな荷物を預けたあと、早速音声ガイダンスを利用しながら進みました。1/4ほど進んだところで、今回の企画をされた方の講演会があるとの館内放送が入りました。2時からのその会にぜひとも参加したいと、近くの係員さんに相談の末、音声ガイドを一旦戻し預かって頂き、荷物を預けたインフォメーションに戻って、聴講券をもらい参加することになりました。

初日にはこうした特典がありますね。そういえば、国立博物館の「薬師寺展」初日に観覧した際もやっていました。

聴講券を呈示すると、同時通訳機が手渡されました。コロー展の立役者(コミッショナーというそうです)の一人、ヴァンサン・ポマレット氏はフランス、ルーブル美術館絵画部長の肩書きを持つ人です。そして日本のコミッショナーは高橋明也氏。本展開催にあたり取り組んだ研究をまとめ、コローの足跡を訪ねた「コロー名画に隠れた謎を解く!」の著者です。というわけで、フランス語の同時通訳がなされたわけです。

講演が始まると、いきなり美術史学的な既成概念をまず打ち破らなければならないと言及されました。

印象派が戸外での油絵制作の始めたとの捉え方があるが、17・18世紀の動物画家においてもしかりで、すでに、コローも小品ながらも戸外で油絵を描いていたのだという事実を知るべきだというのです。コローが学んだアカデミーでも、デッサンやルネサンス期の作品模写とともに、戸外での写生の重要性を教えている点を無視することはできないと付け加えました。

また、原色の使用についても(あたかも印象派以降の専売特許のように考える向きがあるけれども)、18~19世紀の画家達はすでに赤・青・黄を用いて画面に明るい光や動く水、湖面などを表現しようとしていたし、影は黒で表すのではなく、影にも色があることを承知していたことも見逃せないとしています。

さらに、固定的な見方として、新古典主義が長い間、様式美を追求するあまり、クリエイティブとはいえないとされてきました。そしてその反発として画家の思想や感情の自由が求められ、写実主義的なドラクロアのようなロマン主義の美的傾向へと進んでいったとする美術史の流れがあるというのです。そうした見方もコローを通して変える必要があるのではないかとの提案です。コローに見る感情表現の自由度、写実性は新古典主義の思想から教授されている事柄が多いという事実にふれて論じているのです。

シスレー、モネ、ルノアールと同時代に晩年のコローはいわゆるスヴニールつまり「思い出」という主題で過去のスケッチや習作を再構成して情緒豊かで音楽的なニュアンスをもった風景画を描いています。印象派の画家達が最も影響を受けたであろうとされる、未完成で筆致の荒い部分を残したコローの初期のイタリアで描かれた絵画傾向は、コローの死後公に知られるようになったのであって、印象派の画家達はそれらを見て参考にすることは出来なかったはずだとしています。その点から、コローを印象派の直接の先駆者であるという位置づけはいささか強引ではないかと指摘していました。

絵画傾向の変遷については、西洋美術史において非常に受け取りやすいように流れが説明されていることが多いように思います。いわゆる美の系譜といってもいいでしょう。紋切り型で図式的、模式的ともいえるスッキリとしたストーリーも教科書を作る上では必要なのかもしれません。

しかし、こうした異論が真っ向勝負の形で投げ込まれても、にわかに理解できるものではありません。もうしばらく熟成してみたいと思います。

ところで、私が今回の展覧会で自分の目で知り得たことを記しておきたいと思います。

まず、コローが初期のイタリア時代にコロセウムの風景を同時期に時間帯を変えて描いていたとわかったことです。この手法はモネが光をとらえる方法としてとった手段と同じです。また、後に夕焼けの風景を描いた作品はモネの夕暮れの風景の色とほとんど同じでした。モネがコローの絵からインスピレーションを受けたとしても不思議はないだろうと直感しました。

つぎにコローは風景の中に取り入れる人物に緑の補色である赤を多用します。帽子だったり、胸飾りだったりその取り入れ方は色々ですが、アクセントとして小面積の赤が様々な絵に登場しています。これらの色づかいや筆致がゴッホや点描画を実践する印象派の画家達に影響を与えたとしてもやはり不思議ではありません。

さらに、コローの描く人物は衣服が大胆に省略されており、細密な描写がなされていないため、塊の量感が見るものを圧倒します。こうした塊の表現は風景画における省略の表現からも見て取れますが、そうしたとらえ方がセザンヌを彷彿とさせますし、荒い絵の具の打点のような筆致が印象派の画家達の絵の具を画面においていく表現へとつながるように思えるのでした。

だからコローが先駆的としても何ら異論はないんですが…。

未整理で恐縮ですが、とりあえず今のところの展覧会の感想です。
by my-colorm | 2008-06-14 21:51 | アート
朝7時頃帰宅した息子。さすがにほったらかしてお出かけも出来ず、お昼ご飯をつくって起こすまで眠っていました。

で、起きるまで何度も何度も携帯アラームが…っと思いきや、不在着信の連続だったらしく、お友達やら先輩やら何件も電話がかかっていて、起きてからも携帯を度々。今日のお出かけの予定を昼下がりからに変更したようで、ヴァイオリンを始めました。

2時過ぎ、ようやく行動開始。上野に向かいました。

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年末。今年最後の展覧会となるのは「ムンク展」でした。

ムンクと言えば「叫び」ですが、今回はその超有名な作品は来ていませんでした。その前後の「絶望」「不安」という、構図、色共によく似た作品が展示されていました。

そして、今回の展覧会で私の中の単純な図式、つまりムンク=「叫び」の図式がほどけました。
ムンクは「装飾画家」を自称していました。そして「フリーズ」という独自の展示様式を模索し続けていたのです。

「フリーズ」というと今時、凍る、働かなくなるといった意味に取りがちですが、ここでいう「フリーズ」は西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、彼は帯状に自分の作品を効果的に架けることで、一枚の作品では語り尽くせない、相乗効果としてのテーマ性のある空間をねらいました。ある種の「シリーズ」といったらいいかもしれません。

彼は自分の多くの作品を手元に置いておき、アトリエを「フリーズ」の試作品のように展示替えをしながら試行錯誤を繰り返しました。絵は空間の装飾として扱われるものとし、テーマを決めて描き、並べたのです。

幼い頃に母や姉を亡くしたムンクは繰り返しメランコリックな作品を描き続けました。私の中で最も共感がわき起こった作品は「病める子供」。14才のムンクが姉の病死を目の当たりにして何度も描いたこの題材の集大成であるかのようです。ムンクの作品を続けて見ていくうちに、何か誰かの葬儀に会葬しているかのような沈鬱なムードに引きずり込まれました。
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             「病める子供」(1925年)


彼のフリーズを注文する依頼主が現れ、様々なエスキースを残し、精力的に描き続けるムンクでした。けれども自分のテーマ性を重視したあまり依頼主の希望にそえずに受け取りを拒否されたというエピソードを残しています。彼の頑固な一面を展覧会で見ることが出来ました。

そして、後半のフレイア・チョコレート工場の装飾やオスロ大学講堂の壁画、幻の市庁舎の労働者フリーズにはそれまで見てきた、『「生」と「死」と「不安」の画家』という見方を覆すような、自信にあふれた力強い作風の、人間愛に満ちた彼の新たな側面を見た思いがしました。展覧開催後には自然と沈鬱なムードは払拭され爽快な気分になっていました。

さて鑑賞が終わり、ミュージアムショップでのお買い物は倉敷美術館で見ていたからなのか俄然惹きつけられた「マドンナ」のポストカードとそれを入れられるファイルノート。いつもは購入するカタログはやめておきました。

買い物を終えると閉館間際で日もとっぷり暮れて暗くなっていましたが、ふと外に目をやると、ロダンやブールデルの彫刻が置かれた前庭がクリスマスイルミネーションで飾られていました。

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               ロダン「考える人」確認できますか?


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        ブールデル「弓を引くヘラクレス」とロダン「地獄の門」


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        遅ればせながらクリスマスツリーのイルミネーションです


これは「光都東京LIGHTPIA2007」に期待大になってくるというものです。残りの2日のうちのいずれかで行くべきですかね。

はてさて、混雑まみれになるんでしょうか。雨が気になるところですが…。

   私の街http://my-colorm.myminicity.com/
   2つめの小さいビルが建ちました。
   こちらにもどうぞお立ち寄りくださいね。
by my-colorm | 2007-12-27 22:20 | アート
今日は、六本木まで出かけ、私の使っているブログサイトで見つけたあるセミナーに参加しました。が、その報告はもうちょっと整理してから…。

で、そのセミナーが3時半過ぎに終わりましたので、さあどうしましょ。ということで、向かったのが六本木ヒルズ。森ビルで2つの展覧会をやっています。前回のル・コルビュジエ展は昼間でしたが、今回は夕刻。きっと夜景がきれいなんだろうなぁとの期待もあって、土曜日ですから夜間も延長していますし、のんびり2つを観ることにしました。(混雑が予想されたので新美術館の「フェルメール展」はやめておきました。)

まずは「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展。これはいきなりガツンと来ました。コンテンポラリーアートということで、若干引き気味に足を踏み入れたのですが、あに図らんや。これはなかなか魅力溢れるアーティスト揃い。残念ながら、私め、あまり日本の現代アートには造詣が無くて、四谷シモンさんと内山英明さんしか存じ上げませず…、ちょいと情けないのでしたが、お一人お一人の美術にかける情熱をいろいろと発見し、ホント感動いたしました。

なかでもサイケデリックにも見える高彩度色が鮮烈な、できやよいさんの作品一枚一枚に引き込まれました。イラストチックな作品ではありますが、気の遠くなるような積み重ねが、全体としてまぶしいほどの光を放つ作品です。その色彩の美しさは筆舌に尽くしがたく…。ああ、願わくば欠片でも手元に置いておきたい。そんな衝動に駆られました。印刷にしてしまうと…、う~ん伝わりませんねぇ、あの魅力は。

気の遠くなるようなと言えば、さらにお若い版画家でいらっしゃいますが、冨谷悦子(ふかやえつこ)さんの細密なエッチング!!燃え立つような赤い壁面に作品はあるのですが、角に展示室が続くと思いきや突然自分の姿に驚く…縦長の大きな鏡だったんですね。ま、そうした展示場のサプライズにも幻惑されつつ、超細かいニードルワークに見入ってしまいました。左下のプリントナンバー1/30が妙に気になり…。ということは手に入れるチャンスがあるのかも(幻想です!!)これまたコレクションしたい作家の一人です。

大いに笑ったのが、田中偉一郎さん。彼の作品はどれも意表をつくモノが多いのですが、一人で見に行っているのに声に出して笑ってしまう作品なんですね。たとえばですが表札というのは縦長なモノですよね。ところが田中にかかるとビヨ~ンと横に長くなってしまうんです。あり得ない数の家族の名前。子宝に恵まれるとこうしたモノにせざるを得ないんでしょうか。題して「子づくり表札」。魚拓に至っては、スーパーマーケットのお刺身が拓本されてしまいます。そしてなんと言っても一番可笑しかったのは「ハトの命名」です。神社か公園で撮影した何気ないハトの群れなんですが、一羽一羽映像を止めて名前のテロップがつくのです。その名前がありそうでいちいち面白いんです。これには隣で観ていたカップルと一緒に大声で笑ってしまいました。

…というように、観て楽しいだけでなく、今回は「計算の庭」という、一枚の数字カードを持って「×3」とか「÷2」とか「+8」といった白いゲートをくぐり、「73」という計算結果にならないとゲートを出られないという観客体験型の展示がありました。佐藤雅彦さんと桐山孝司さんの作品です。数字カードはたくさんあって、6種類の計算ゲートを選んでくぐり、答えにたどり着くという参加者にとっては非常に知的なゲームですが、その理論は奥深そうです。

こうした展覧会は森美術館ならではという気もしますし、これだけのアーティストをそろえられるあたりがやっぱ東京だなぁと思いました。

毎回毎回刺激的な東京出張!!です。

さて、続いて森アーツセンターギャラリーでやっている「Coats!」展も観てきました。MaxMaraの裏側を見せてくれる展覧会。MaxMara歴代のコートやそのデザイン画や生地見本などが展示されています。パーツごとの製造工程のビデオなども面白かったのですが、しつけや待ち針なしで直に縫製してしまうところが大胆。驚きました。

そして、そして。2つの展覧会の後はゆっくりと夜景を見物。ホワイトルームならぬビニール系のホワイトクッションチェアが、座り変えるたびに中の光が7色(多分…)に変わっていくという、ぼ~っとするにはぴったりのリラクゼーション体験をしました。側面にロゴが書いてあったんですが、残念ながら覚えていません。が、昨日の色彩心理を生かした癒しグッズに間違いありません。監修が誰なのか、気になるところです。

素晴らしい夜景を見て、このまま東京基地に帰るのももったいない、と言うわけで、映画を一本観ることにしました。

その時間たまたまやっていたのが「マイティ・ハート-愛と絆-」。スリリングで臨場感があり、サイコサスペンスかと思わせるところもありましたが、実映像(パウエル国務長官・ムシャラフ首相など)が登場し、実話に基づいた作品であることに気づかされました。そして衝撃のラスト!とっても重い内容でしたが、アンジェリーナ・ジョリーの迫真の演技に胸が潰れそうな悲しみを覚えた感動作。私の心にいつまでもガツンと残る一本でしょう。

こうして、帰宅は10時半を回りました。息子は高校の時の友人と食事をし終電目指して帰ってくるそうな。

東京最後の明日は、息子の大学の学園祭にちょっぴり顔を出してみようと思います。サークルの特別演奏会でうまくすると20分程度出演できるそうで。どうなることでしょうか。
あぁ、それでこちらに遊びに来ているのか、お友達が。っとようやく気づいた私です。


アートの先端・東京、面白いですね。ホント。
by my-colorm | 2007-11-24 23:50 | アート
午後から六本木「国立新美術館」に向かいました。
黒川紀章氏の設計によるうねるガラスの外観。1階の一番奥が会場で私が着いたときは最後尾が40分待ちの看板でした。けれど比較的列も短く、それほどのストレスは感じませんでした。

さて、「モネ」です。

色を学び、美術を教える身としては、これほどまで「色彩」と「光」にこだわった画家に注目しないわけにはいきません。

今回の展覧会は作品に密着することなく、観客の頭越しであっても大半は距離を置いて鑑賞することに徹しました。その方がモネの意図を酌みやすいことはこれまでの経験で知っていたからです。近くで観たら、それは荒々しいタッチの絵の具のぬたくりにしか見えません。離れてみると途端に光溢れる現実の風景が浮かび上がってくる、それが「モネ」の絵です。

私は制作年代と作品に注目しました。

若い頃のモネは、それこそ伝統的で、ありがちな、いわゆる明暗法による風景を描いていました。まるでコローやミレーといったバルビゾン派の画家を彷彿とさせるような森と川の風景にはむしろ驚きました。これは1850年代ですから、モネがまだ10代の頃の作品です。丁寧な筆致の中に、水面の映り込みといった生涯彼がテーマにした画題がすでに描かれています。

ルネサンス以降、西洋の絵画は明暗画法(キアロスクーロ)と透視図法により、空間と立体感の三次元的表現こそがその目的とされてきたという歴史があります。絵画においては、物がそこにある感じ、つまり再現性が重要でした。「光」は、「闇」とのコントラストによって初めて成立し、あたかも室内に明かりをともす効果や舞台照明のような劇的な表現によって生まれるものではなかったでしょうか。テンペラ画にしても油絵にしても、いわゆる「陰影」は、あらかじめ下塗り段階でつくったモノトーンの明暗表現に負うことが多々あります。それにおつゆがけをして色みをつけるといった表現がなされていたわけですから、もともと色そのもの持っている明るさ・鮮やかさを利用する術を持たなかったのではないかと考えます。そもそも「固有色」の考え方で、物体に固有の色がついていると思われてきた長い歴史と連動しているのではないでしょうか。

そして「印象派」の時代がやってきます。

見逃してはならないのがロマン派のドラクロアやターナーの系譜。ここに荒々しいタッチの中にきらめく光や色の可能性を感じたのかもしれません。そして戸外で描くバルビゾン派からの影響。自然主義がまさにモネの生涯にわたる徹底した現場主義に繋がっていると思わざるを得ません。

さて、その現場主義を支えたのが「チューブ入り油絵の具」だったということは以前書かせていただいたとおりです。そしてその絵の具こそが画面上で光を放つ高彩度の絵の具であったことはモネの作品の色からも想像がつきます。もちろん色の現象としての補色対比は以前の画家も意識的に使っている事実がありますが、もちろんモネも色の対比を駆使しています。それにしてもモネは本当に鮮やかな「赤」を多用しています。また、「青」も「緑」も「オレンジ」もかなり鮮やかな色が使われているのがわかります。合成顔料が頻繁に作られるようになり、その技術の恩恵がモネの作品の数々に示されているようです。鮮やかな絵の具とそれを対比的に使うことでさらに生まれるまばゆさ…。

画家のパレットは厳しく色の配置が定められ、まんま光り輝くような鮮やかなものです。つまりパレット上で混色することは極力避け、画布にそのままの絵の具がのせられ、粗いタッチで置かれたことの証です。なので作品は絵の具本来の鮮やかさが失せず、それが画面の明るさに繋がっているのです。

たとえばモネの風景画に「雪」が登場しますが、雪の白さが見事に表現されています。モネにかかると水墨画のような無彩色の画面にはならず、影色が「青」や「紫」であったり、明るい光の当たる部分にはごく少量ながら「赤」や「緑」さえ登場します。それらが離れた地点からはいかにもそれらしく、まばゆいばかりの外光が見る者を魅了します。これは点描画法の理論的な根拠である「併置混色」の効果です。

展覧会ではモネにインスパイアされた画家たちの作品も展示されていました。そこにはなるほどモネの追求した「光」とその表現のために使った様々な「色彩表現」からの影響を見ることができました。スーラも色彩理論を実践した画家ですが、モネの経験値が踏襲されているに違いありません。しかし、スーラはどうしても絵画というよりも実験的でありすぎます。しかしそのことがひょっとすると、絵=再現という常識的な図式を破っていく方向へと転換していった流れそのものかもしれません。さらにドランともなると「色彩」こそが絵画を成立させる最重要要素となっていきます。ドランにとっては空間や立体感は問題ではありません。絵画の方向性は描かれる物の再現というより、いよいよ純粋に色と形の追求へと向かっていきます。

特に、晩年の白内障を患ったモネの極端に荒々しいタッチは、絵画の常識を覆すようなパワーさえ感じましたが、抽象表現のジャクソン・ポロックなどもこうしたモネからの流れであると感じずにはいられません。

モダンアートの世界に至るまでの影響力を考えるとき、光を追求し続けた「モネ」の偉大さが身にしみます。

戸外であくことなく、目の前にある光り輝く世界を自分の絵画で表現しようとしたモネ。

今ではUVカットの化粧品や繊維が当たり前になっています。私などもそうした紫外線対策をしないとどうもお肌のシミが気になります。最近「○デイアキュビュー」の宣伝アンケートで目の紫外線対策について考えさせられました。今でこそ化粧品をはじめとするUVカット商品はたくさんあります。オゾン層破壊が原因で悪玉の紫外線が以前よりも増して降り注いでいるという事実も知っています。

ではモネについてはどうでしょう。19世紀から20世紀をまたいで、日がな戸外で光を追求し続けた訳ですから彼の目も紫外線の影響を少なからず受け続けたに違いありません。晩年、白内障を患いながらも描き続けた彼の作品を見つけたとき、作品に釘付けとなり思わず涙がこみ上げてきました。記憶を頼りにパレット上の色を画面に置いていく日々。画家の苦悩は図りしれません。悩みながらも描くことをやめなかったモネの心中はいかなるものだったのでしょうか。

筆致の大まかさに、いつもの観客の雑音には「短時間で描いたんだろう」というものが多かったのですが、「睡蓮」の連作では、光が刻々と変わってしまうので、ジヴェルニーの庭にキャンバスをいくつも置き換えて時間帯ごとに何日も継続して描き続けたというモネ。常に時間との闘いを演じていたのだろうと思います。夕日が沈むオレンジに染まる画面。戸外では一瞬の出来事ですが、それを何度も何度も日を追って追求していくあくなき執念には頭が下がる思いです。

こうして、若冲の時は間近でべったり時間をかけて堪能する鑑賞でしたが、今回は一定の距離をおいての鑑賞形態を取りました。どちらも浸りきることができたのには大満足でした。

光溢れる明るい世界をキャンバスに再現する手法をこの世に示してくれた偉大な画家モネの目は確かだったようです。今回そのことをお伝えできたら幸いです。

さてさて私の方ですが、モネ展のあと、「21-21デザインサイト」の「チョコレート展」を観ました。とっても楽しい展示でしたよ。これこそ気楽にご家族や友人はたまた恋人と連れだって行かれたら楽しさを共有できる展覧会です。

私?一人でクスっと笑ったり、おおっと感嘆したりとちょっぴり淋しかったかな。会場の雰囲気は「金沢21世紀美術館」の展示と通じるところがあってなかなかおしゃれでした。入り口でチョコレートをいただいたときは「新しい!!」と感じました。それこそ味覚も含め五感で楽しめる展覧会です。(館内での飲食は×ですけど)

京都ももっとがんばらないと!!って感じました。
前回のGW。

一日は息子とお出かけして「ダ・ヴィンチ展」を観に行き、昨年夏にうさみさん、まどねこさんと行った「じねんじょカレー」で再び体によさそうな薬膳カレーをいただき、その先の本格インド料理の「ダージリン」(だったっけ?)でお茶しました。一度行ったところを訪ねるのも楽しいものですね。残りの日は息子の部屋(=私の基地)のお片付けで終わってしまいました。雨降りの単独行動では、テンション下がりますものね。

さて、今回こそ「大回顧展モネ」を観に新美術館に出向きます。7月3日までの会期。この週末に行かないともうチャンスはないのです。NHK「迷宮美術館」で取り上げていたので、どんな作品が来ているのかがわかりました。色の勉強をしている身としては、特に今回は見逃せません。事後、一回飛ばしてしまった「今日はいろの日」のスペシャルバージョン(おおげさ)として記事を書こうと思っています。(まだ、ダ・ヴィンチ展もろくにレポートしていないのですが…)

15日(金)は前日までの宿泊学習の回復措置(泊を伴う勤務の場合、勤務時間の回復のため退勤が早まります)ですので、夕刻新幹線でひとっ飛び。まずはモネ展を8:00まで鑑賞するつもりです。夜の鑑賞の方が混雑を避けられるということなので…。

あぁ東京。上野国立西洋美術館の「パルマ展」も観たいな~。
出かける前にまた展覧会チェックしておこうと思います。お薦めがあればコメント下さい。

「ダ・ヴィンチ展」は6月17日までですから再びもありでしょうけど、駆け込み観覧で混雑するんでしょうね。

もちろん晩は美味しいものをいただきたいと思います。いいとこありませんかね。

来週の日曜日は、カラコの試験日ですね。mixiのコミュの方は東京基地で対応しようと思います。受検の皆さん、追い込み頑張って下さいね!
by my-colorM | 2007-06-10 09:33 | 日記
そう。「若冲展」追加レポートです。なかなか更新できず申し訳ありませんでした。もう昨日が最終日だったというのに…。

ま、しかし、私自身の心覚えに記しておこうと思います。

とりあえず、どんなにつらい待ち時間であっても、来た価値あり!!の逸品ぞろい。これほど若冲に浸れるとは思いませんでした。本当に贅沢でした。

そして若冲のあの細密な描写を支えたのが、前回紹介した「信仰」であった。そのことが存分に実感できたのです。

若冲といえば「群鶏」に代表される鮮烈な鶏冠の赤と尾の黒そして羽毛の模様やそうした鶏たちの、歌舞伎で言えば見得を切っているような劇的なポーズにその魅力を感じる方々が多いでしょう。確かに私もそのような若冲の真骨頂たる「鶏図」も好きです。

でも今回は「池辺群虫図」に若冲の、生きとし生けるものを照らす仏のこころに到達しようとする思いを実感し、強い共感を覚えました。まるで江戸時代の「本草絵図」を見るような細密に描かれる植物に、蛇や蛙、やもりやかぶと虫、蝶々…、よく見るとおたまじゃくしや蟻も描かれています。若冲らしく、どこにも手を抜くところはなく、細密描写に貫かれた画面はその虫たちの配置にも独特のこだわりを感じました。

おたまじゃくしひとつ描くのも彼にとっては在家修業の一つだったんだろうと思えてくるとその真摯な姿勢がたまらない魅力として際立ってきます。

昨年目の当たりにした、プライスコレクションの「鳥獣花木図屏風」升目8万6000個を超えるとされている異色の屏風絵。(昨年の記事はこちら)これに対する見方が変わってきました。プライス氏が自身の浴室の壁面のタイルにしたほど、氏のお気に入りのあの屏風絵ですが、まるで私には宗教画にすら見えて来るのです。一マス一マスに丁寧に塗り込んでいく過程で積み上げていく来世への徳…。

もちろん、こうした考えは私だけの飛躍した解釈なのかもしれませんが、「釈迦三尊像」と左右15幅ずつに配された「動植綵絵」を身動きもとれないまま、いえ、それを逆手に一部始終を見て取っていくうちに、そんな風に思えてきたのです。

一筆一筆に渾身の技を施していく修行者若冲が私たちに残していった一人の人間としての存在証明。圧倒的な構成力で、描かれたものの一番印象的な姿を、見る者に焼き付けていくようでした。


並び始めてから帰路につくまで結局4時間余り。足が棒になりましたが、私の内面世界は充実し、豊かなものに満たされた思いでした。

若冲、120年ぶりのお里帰り。これを機にこのような展覧会が数年に一度でも実現しますことを祈ってやみません。
by my-colorM | 2007-06-04 10:31 | アート
ハイ。ようやく相国寺承天閣美術館「若冲展」に本日行って参りました!!

朝、二歩ぐらい出遅れて、会場時刻の10:00にはまだ電車の中におりました。ちょうど「ダ・ヴィンチ展」でも同じことをしていたような気がします。無反省な性格は自業自得へと自らをどんどん追いやります。

地下鉄烏丸今出川駅からはかなりスムーズに相国寺に向かったのですが、案の定、長~い列が始まっていました。

最後尾に陣取ったのは10:17分。早速、携帯で混雑状況をチェックすると「75分以上」の待ち時間とありました。アチャ~。昨日弐代目・青い日記帳の「若冲展」若冲展インターネット先行プレビューのようすを読ませて頂き覚悟したつもりでしたので、こんなことでへこたれるわけには行きません。

今日は好天に恵まれ、朝から日差しも強く、持参のお帽子が役に立ちました。松の緑が美しく、初夏の陽気が心地よかったのはつかの間。止まったり、歩いたりの不定期で不自由な動きの連続にうんざりしつつ、いかにも場当たり的な高彩度の緑色の仕切りフェンスに囲まれ、これでは松の緑も台無しと別なところで苛立ちを覚えてきました。

実は私には列をなして美術鑑賞に参加するときに、耐えられないと思うことがあります。それは周囲のおしゃべり。特に今日のは強烈でした。

列に入って40分ほどで券売所を通過しました。そこからは美術館脇を、館内でまだ並んで歩いている人がいるんだ!とガラス越しに中を確認しながら、グルリと列をなして囲む状況にありました。

ちょうど改めてその列に入ったあたりから女子学生らしい2人連れが後ろでひっきりなしに若冲の絵と人となりを評価すべく話し込んでいました。絵についての印象についてどう思うか、つっこんで話している様子なのですが、その内容はどれも追求不足で中途半端な内容です。なのに妙に断定的で、論拠、論点がずれていても平気で納得してしまっているようなのです。

「桃山時代によくでてくる絢爛豪華な感じだよね」「狩野なんちゃらとかの雰囲気だね」「絵を解釈すると、まずはなんといっても様式美だよね」「若冲って性格的にはダ・ヴィンチに似ているかもしれないね」「何のために描いているんだろうね、絵が好きだからというのはいえるだろうけど、う~ん理解不能なんだよね」「若冲の絵はどれも人間らしからぬ絵ってかんじがする」「でも山水画にはない魅力があるよね」「西洋画と比較しているからかな?リアルさはたしかにあるんだけど他の絵とはたしかに印象が違うよね」…。

何をいちいちとは思いますが、気になったので、彼女らの解読不能な言葉を羅列してみました。これを読んで皆さんは私がどんなじくじたる思いでいたか、お察し頂けるでしょうか。彼女らはとりもなおさず若冲ファンで、その魅力に惹かれてやってきているのは十分わかります。でもただただ絵の前に佇んで見て欲しい。そしてそのとき感じられた解釈は自分の中で温めて頂きたい。まとめないで欲しいのです。答えを急ぐ必要はありません。一言一言に疑問を感じながら若い人への余計なお世話的な気分が沸々と吹き出して来ました。

それにしてもあとどのくらい一緒に並んで歩くのかを考えると気が遠くなる思いさえしてきました。聞きたくもないのに耳に入ってくる、雑音としては最悪な部類で、頭痛を催してきたほどでした。できるだけ声が遠ざかるように列を少しずつ移動しながら進むことにしました。

内容が世間話ならまだいいんです。ほとんど実害はありませんから。でもくれぐれもこれから観る鑑賞対象に対する持論展開だけはこの際お止め下さい。できるなら行列でのおしゃべりはどうか慎んで頂きたく思います。

さて、そうこうしているうちに並びだしてから60分ほど過ぎました。すると、お年を召した方2人、係員に連れられて引き返しておられます。「…もうあきらめた」そんな言葉が聞こえてきました。ここまで来られて…そう考えてしばらく進むとその理由がわかるような気がしました。いよいよ館内に入場かという期待をもって曲がったその先にまだまだ列ができていたのです。

今日は日曜日。開場時間からすでに長蛇の列です。しかも夏日。美術館周りはテントが張ってあるとはいえ人いきれでムンムンします。おまけに情報が少ない。トイレも館内に入る寸前に一箇所あるのみ。係員はいますが、丁寧な案内であったかというといささか疑問です。お年寄りも大勢見かけますが、この混雑に体力・気力が尽き果てたといったところなのでしょう。お気の毒です。

そうこうしているうちに、ようやく館内入り口に到着しました。80分待ちでした。通路は空調が利き、どれだけホッとしたか。しかしそれもつかの間でした。第1会場に入る前もしばらく足止めされました。入場制限です。その後ようやく会場入りしましたがムッと暑く、むせ返るようでした。

そしていよいよ「鹿苑寺大書院障壁画」の第一会場へ!(つづく)
by my-colorM | 2007-05-27 19:22 | アート
待望?の「ダ・ヴィンチ展」レポートを記します。

観覧からすでに3週間を経て、思い出される事柄こそ本当につかんできた印象なのではないかと思います。(言い訳じみて、若干、居直り気味に聞こえますかね?)

そして、その事柄とは…。

今回はPart1として「天才はいかに育ったか」を考えてみようと思います。

展覧会を通して私自身が感じたレオナルド・ダ・ヴィンチ天才の実像とは「無学の自覚を根源とする知への渇望と、そこで得た自分流のやり方による自然観察と表現の総体」です。

私が今回の展覧会を観てきて最も注目したのは「受胎告知」もさることながら、「レオナルドの書斎」の展示でした。2つに分けた展示会場のうち彼の研究成果である手稿とその復元模型とで構成した第2会場の中で、この展示に彼の原点を見た気がしました。

レオナルドは公証人の息子として生まれましたが、婚外子として不遇の幼少期を過ごしました。父親の地位ならば当然受けられたであろう初等教育を彼は受けさせてもらえなかったようです。
その思いが自らを「無学な人」と称する原点となったといいます。

学校教育を受けなかったレオナルドが子ども時代にどのような生活の中で知を獲得していったのかについては、それを詳しく示す展示が見つけられなかったので知る由はありません。しかしながら、家庭教育の条件には、たとえ腹違いの子として生まれた窮屈さはあったとしても、一般家庭のそれとは格段の違いがあったと考えざるを得ません。

かの17世紀の天才ニュートンにしても、豪農の家に生まれながら、絵を描いたり、自然観察をしたり、幼い頃から発明に関心を持ったりという子ども時代を過ごし、家業を継ぐための強い束縛に遭わなかったと聞きます。

レオナルドとニュートンの間にある共通点といえば、絵を好んで描き、自らの目でしっかりと自然観察を積み上げているという点です。特にレオナルドは13歳(17歳では確実)でヴェロッキオの工房に入門したとされるほどで、その実力は十分に推し量れます。レオナルドも多くの時間をスケッチに費やし、自分の目で確かめながら自然や事物に触れていたのでしょう。

とはいえ、「知への渇望」がレオナルドの原動力となったことは間違いありません。

思うに、学ぶ意欲が強い人間は「書物」を手に入れ、そこから思考し、改めて自然や事物の観察を試み、自らの解釈を書き記すものです。

レオナルドが天才であるということは揺るぎない事実でしょうが、これは突然何もないところから湧き出た発明などによって確立されている人物像ではありません。もちろんそのさまざまな分野の研究やその成果を克明に記した手記や手稿、何よりも彼の残した絵画作品における卓抜した技巧や追求があってこそ、天才の名を不動のものとしていることは疑う余地はありません。しかし、忘れてはならないことは、着想や膨大で基礎的な知識の多くをそれまでの研究者の書物から得ているということです。彼の蔵書リストのテーマが多岐にわたることが、彼の好奇心の強さと彼自身の広範なテリトリーを物語っています。まるで一人で総合大学をやってのけている感じがします。まさにマルチ志向、万能といわれる所以です。

さて、自分流のやり方といえば、たとえば「左利き=鏡文字」にその最たるものを感じます。
彼の膨大な手稿、手記において自らにとっての自然な表記が優先されているわけです。左利きの生徒が大変困難な様子で文字を書いている姿は日常よく見かける光景ですが、自らその筆記困難を解放し、追求の手を止めなかったことは大きいのだろうと思いました。

そこで私自身が考えたのは「教育」は天才を育てただろうかという点でした。

「周囲に合わせて調整する」。これは「集団教育」に限らず「教育≒矯正」の名において真っ先になされるものではないかと想像します。今で言うADHDの子どもたちは、ともすると他の生徒との思考パターンや行動パターンの違いから「厄介者」とされがちです。指導の困難さから近年多くの学校現場で問題視され、特別支援の対象となっています。「教育」が、あくまでも周囲との同化を目指すとき、常に指導者側に突きつけられる課題として教育の現場にあり続けるのではないでしょうか。

さて、そうした学校教育にあって、かの「鏡文字」は表記法として受け入れられたでしょうか。答えは「No」です。どんな時代でも「教育」とは前人の教えを伝えることが最優先されます。そしてその知を支える文字は正しく表記することが常に求められ、教育現場での自由度ははなはだ低いものと思われます。レオナルドのような奔放な文字を書く子どもがいたとしたら、指導者にとって目に余り、鼻につき、手を焼く存在として映ること間違いありません。教育の今日的問題は必ずしも現代にのみ適用されるものとは思えません。

レオナルドの時代の教育において、そのおおらかさや柔軟性がいかほどであったかは知る由もありませんし、学校教育制度そのものがいかなるものだったかは想像しにくいのですが、まずは「文字の獲得」というのは古今東西共通しているのではないかと考えられます。

歴史に「もし」、「たら」は意味がないのかもしれませんが、初等教育を受けなかったレオナルドがもしもそうでなかったら果たして天才は存在し得ただろうか…などと想像しながら手稿の文字に見入ったものです。



このようなことを考えながらの鑑賞は全体で3時間あまりでした。

「受胎告知」を日本に持って来るという大イベントに合わせ、知の全貌をつかもうとする意欲的な展示づくりには感心しました。会期も迫ってきますが、まだまだ人気のダ・ヴィンチ。これからという方にもじっくりとご観覧いただきたいものです。

別視点のレポートはまた後日。(あるかな…)
by my-colorm | 2007-05-26 17:34 | アート
-ぼくたちは岐部先生と出会った。いつか追いつきたいと思った。-

先生と教え子のコラボレーション 『岐部琢美』展

会期は4月30日~5月6日まで。静岡県藤枝市にあるアートカゲヤマ画廊にて開催。




先月、高校時代の恩師である岐部琢美先生が退官されると聞き、教え子が集まって「囲む会」を開いた。私の学年から全く知らない代のメンバーも集まっていた。師は武蔵野美術大学を卒業して、37年間県立高校で教鞭を執りながら、独自の「鉄」の世界を築いてこられた彫刻家である。今回の展覧会は師の作品と共に、師が赴任した4つの高等学校の教え子のうち作家として活動している者やデザイナー、会社経営者、学芸員などがそれぞれの仕事に絡めて出品し、開催しているものである。

私はこれといった作品もHPも持ち合わせていないので参加は辞退したが、師への思いは決して他のメンバーにひけをとることはないと自負している。

母校、藤枝東高には私が1年生の時に師は赴任してきた。まだ30歳になったばかり。甘いマスクで高校生の私でさえ色気を感じる魅力的な美術教師だった。

赴任早々、物置同然だった美術準備室を教官室として再生。電気ポットでお茶を沸かす、その教官室では「美術手帖」はただで見せてもらえるし、なにより生徒作品の魅力を本当に感心したという感じで話してくれる先生の言葉や、印象に残っている作家ではジャコメッティーのことを熱っぽく語ったり、自らの彫刻について語ったりするお話を聞くのが楽しみだった。

そしてその空間は美大受験のための指導室となった。夏を過ぎると美大受験を目指した先輩がデッサンを始めた。地元では進学校としてちょっとは名が通る学校だったが、美大ではあまり実績があったとは記憶していない。

師が最初に指導したのはM女史。中学校では水泳部で鍛えた私。美術部にいることが美大へつながることなのだと、そのとき初めて自覚した。

次の年、ストイックとも言える1年上の先輩が、やはり学芸大を目指して指導を受けていた。教官室に踏みいることは自然と憧れとなった。もちろん、部員が教官室に入室することは当然あったが、そこでイーゼルを立て、直接の指導を受けたいという思いはいや増しに増した。

そして3年生になった春から私は、受験で合流したメンバーと共にデッサン指導を受けた。いつか先生と同じ世界に身を置いてみたいという思いが美大志望へと駆り立てた。

すでに兄2人は京都の私大に通っていた。私はどうしても進学したい。美術部に入り、日がなデッサンや油絵に熱中する姿に、薬剤師を薦めていた父は、その願いを取り下げ、夏休みに2週間の名古屋での夏期実技講習会に参加させてくれるまで理解を示してくれた。

美術に進む。その志望は固かったが、浪人はできない。しかも末っ子で女の私が親に願い出るには国立大学しかなかった。

そんな私に先生が示して下さったのが京都教育大だった。前任校の教え子が行っている。私にはうってつけの大学だと薦めて下さった。同じ教育学部でも地元の大学には全く食指が動かなかった私は、強い憧れを持って志望することとなり、一層デッサンに身を入れたものだ。

たしか3年の時だったと思う。静岡で部展を開いた。このことは私たちにとっては大きなイベントであった。私は50号のキャンバスを横並びに2枚継ぎ足して「支配の関係」という作品を発表した。この作品は、乾ききった地面の中に半身埋まりながら、無数の鳥が羽ばたくのを足に紐を付け束ねている巨人を、まさに支配しているかのように半分勝ち誇ったように、女神が薄笑いを浮かべ眺めているといった情景を描いたものだ。自らの自由を獲得したいという願望と周囲を思い通りに支配したいという相反する願望の表出なのだが、私の作品の中では一番大きな作品である。

件の「囲む会」で、師はその作品のエピソードを話された。作品自体の内容はともかく、油絵で50号をつなげて1作品にする発想は珍しいと。赤面したが、もう30年近くも前のことである。それを覚えていて下さったことに驚いたし、同時にありがたいことだと思った。

また、その展覧会場で同じ日に別の高等学校がやはり部展を開いていた。写実的でうまい絵が並んでいた。そのうまさに目を奪われている私たちに、師は声をかけた。「どれもみんな同じじゃないか。お前たちの作品はひとつも同じものがない。その方がいいに決まってるじゃないか。」と。その言葉は私たち一人一人を勇気づけた。その意味するメッセージは私の中で今も強く光を放っている。

そうだ。こうしてあなたの後を追い続けて美術教師をしている。あなたに教えていただいたことは本当にたくさんある。陳腐な言い方だが、断言できる。あなたとの出会いがなかったら今の私はいないと。なかなか追いつくことは難しいが、惜しみなく教えること、いつも理想を語ること、そして自分自身が追求し続ける姿をずっと見倣って行きたいと思っている。
by my-colorM | 2007-04-30 19:49 | アート