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「今日はいろの日」というカテゴリを設定して早1年が過ぎてしまいました。
月に1度のつもりでしたが、抜けてしまったときもあり、所期の目的は遂げられていません。

さて、今日は「色彩検定1級2次」の試験日。この試験では、色の知識の応用として、主に条件にあったPCCSのカラーカードを選び、切り貼りをしていく実技が課せられます。

PCCSとは、Practical Color Co-ordinate System(実用的な配色体系)の頭文字をとったもので、別名「日本色研配色体系」といいます。文字通り、日本(日本色研)で開発された、配色調和を求めるのに適した表色系として、美術教育や色彩教育でよく用いられる表色系です。カラーカード199シリーズは、PCCSの大きな特徴であるヒュートーンシステムに基づいて選定されたハーモニックカラー201色に準拠する簡易版で、カラーデザインによく用いられる特別色を含め、199色からできています。

表色系にはその成立や用途に応じて様々な種類があります。色を記号数値に置き換えて表示するこれらの表色系の一つに、絵の具のチューブにも表示される「マンセルシステム」があります。色の表示は色相(Hue)・明度(Vaue)・彩度(Chroma)の順に表記されHVCと略されることもあります。JISに採用されている日本では最もよく使われている表色系といえるでしょう。他にもオストワルト表色系、NCS表色系、XYZ表色系、L*a*b*表色系など級が上がる毎に学んでいきます。

PCCSのカラーカードを使って実技が課せられるAFT主催の「色彩検定」においては、そうした多種の表色系とPCCSとの変換が求められます。さらに慣用色名などとの変換、様々な配色理論やトーンイメージ、明度・彩度などの数値に則ったふさわしいカードの選定など様々な展開ができるようになっていないと太刀打ちできない問題が出題されます。

受検者の頭にはカラーカードの色相(hue)番号、明度(lightness)値、彩度(saturation)値が入っています。そして、たとえばマンセル色相でいうと○○、マンセル彩度はいくつなどと変換していきます。PCCSとマンセルは明度値が同じですので、それらの照合でカラーカードのあたりをつけることができるのです。

実際の問題例では、カラーコーディネートをする対象(部位ABC)を定め、「色相差のないトーンオントーン配色」「使用する色相はマンセル色相の5B」「Aはソフトトーン」「Bは明度8.0の低彩度色」「Cは明度2.5の中彩度色」などと出題され、さらに同じ対象について別の配色パターンが指定され展開していきます。

数値だけでなく色感覚も問う問題が毎年出され、意表をつかれることも。そんなときこそ深呼吸でもして落ち着いてさばいて欲しいところです。

1年に一度のチャンス。そして、1次試験の合格通知が到着してから2~3週間しかないので、1次試験対策と並行して準備をしないと間に合いません。受験生は本当に今日までモチベーションを保ち続けるのが大変だったはずです。


さあ、今年の試験。
頑張って勉強してこられた皆さんの労が報われますことを心よりお祈り致します。

受検の皆さん、お疲れ様でした。今晩はゆっくりお休み下さいね。
   光=色は私たちに様々な影響を与えている。

そこに目を向けて、色の可能性をどんどん押し広げる仕事をしている人がいます。この人こそ「プロフェッショナル」という印象を強く受けた木村千尋先生。妻であり、母でありつつ、色彩を本当の意味で仕事にする「フロンティア」として25年活躍して来られました。誰かに似ているなぁと思わせる長~い黒髪。そう、どことなく萬田久子さんに似ている笑顔の素敵な方でした。その一言一言を発する表情、しぐさ、声色に、仕事人としてのカリスマ性をビンビン感じてしまいました。圧倒的な説得力、人を惹きつけてやまないご本人のコミュニケーション手法の魅力に、3時間の講義中、終始うなずくばかり。「わぁっ、この人スゴイ人やなぁ」という人に出会うことができたのは夏の美術科研修で訪れた大原美術館の学芸課長さん以来です。仕事の出来る人は人前で本当に楽しそうに話されます。

今日は「AFT色彩セミナー」(東京会場)で色の勉強をしてきました。このセミナーには色を勉強したり、資格を取得してこれからそれをどう生かそうかと模索していたり、さらに具体的に仕事を展開している人がその領域を広げようとされていたりという「色」に関わっている人たちが参加していたはずです。後に続く人材を開拓する、そんな使命感で講義をされている印象が伝わってきました。

さて、その中で、いくつかの印象的な場面があったのですが、
その一つに、表情筋を使った、いわゆる「目力(めぢから)」でペアを組んだ相手にメッセージを送るというワークがありました。

ペアを組んだお相手は、これまたなんとMiyabiさん!でした。
受付を済ませて、フリーシートを探しましたが、ちょうど空いている前の席に陣取りました。お隣さんは荷物だけでいらっしゃいませんでしたが、程なく戻って来られ、ふっと会釈したそのお顔に見覚えあり。奇遇でした。そういえば、講師養成講座初日にも横並びにきよりんさん、ジュエルさんということがありましたね。きっと何か深~い縁があるんでしょうね。

と、また不思議なことに、その「目力ワーク」では「私はあなたのことが好き!」というメッセージを送るというお題だったのですが、二人とも「この会議つまらないなぁ」というメッセージに見えてしまったのです。なんと「今日は帰りどこ行こうかな、楽しみ」というメッセージにも見えてしまい…、これはどうしたことかといぶかしがる二人でした。

自信あったんだけどなぁ。何だかとっても不思議でした。表情筋が大切と言うことですが、この言葉を介さないコミュニケーションで、相手に好感を伝えることができるのも大事なスキルなのでしょう。それにしても、何でかなぁ。Miyabiさんラブ!なのになぁ…。

さて、色が人々に与える心理作用、生理作用というのは数々ありますが、新しい分野で特定の色の光を照射し、塩パネルを使ったホワイトルームを光色で満たして、そこに入った人に、様々な心地よい音や触感、また心地よい香りや温度を与え、身体や心を癒していくという五感を刺激する「心理療法」が予防医学の試みとして紹介されていました。光色の色相は特定の波長の振動ですが、それぞれの色相に「○○に効く」というような効能があると言います。色刺激が他の要素と絡んで生理的に作用することが実践段階に入ったと言うことでしょう。

木村氏は「福祉住環境コーディネーター」資格取得も、色の専門家として取り入れたい分野であると強調していました。色はビジネスとしても可能性のある分野です。学んだ「色」を生かして行くには、一歩行動に移すことで人脈をつくり、体験を通して人に伝える事例を増やし、人からは勿論あらゆる手段で情報を集め、自分自身の環境を大胆に変えていくことが必要だと加えました。またそれを実現していくためには色彩心理だけでなく、心理学の他の領域にも多くの学びがあるともおっしゃっていました。

カラー鉛筆から好きな色を選んで、自分の抱える問題をとらえ、それにどういう一歩で踏み込んでいくのか整理していくという宿題をもらいました。近日中に、表紙裏表紙も書き込んで名前を書き、自分自身をナビゲートして行動を起こす自分に変わっていきたいと思います。

スゴイ!の一言で陳腐に締めてしまって何ですが、彼女の仕事歴である25年と言えば、私の教員歴でもあります。その間に木村氏が手がけてきた「色彩心理学」。自らの震災体験から、光や色がトラウマも生むけれども、人を勇気づけたり癒したりすることができると話し、あの神戸ルミナリエを手がけた経緯についても語られました。素晴らしいキャリアに感嘆!あっぱれです。


  「色」を生かせる未来が始まっている。そしてあなたの未来は変えられる。

今も学んでいらっしゃるだろう色彩受験生の皆さんを勇気づけるのも私の仕事。こんな言葉に俄然意欲が湧いてくるというものです。

東京に来てよかった。価値あるセミナーでした。
はい。忙しくやっております。本日は試験2日目。早い帰宅となりました。(久しぶり~♪)

来週からは後期授業に切り替わり、前期には週1時間だった中1の時間数が連続2時間となり、ますます授業時間がダダ詰まりとなります。ハァ~っ…うれしい反面、辛いところもあります。

さて、今年も小6はお話の絵に取り組んでいます。

中学校の体育祭、文化祭につづき、二期制の狭間の秋休みと、三週も授業が飛んでしまい、コンクール締め切り間近ということで、先に申しましたとおり本日中学校は前期期末テストでしたので、このときとばかりに補習授業をしに小学校に出向きました。

今日の授業は着色がメイン。

板書したのは、次の通りです。

 下書き→着色 仕上げを見通して計画的に進めよう
          (10/25完成)
 ポイント  段取り上手になろう
 (1)不要な線は消しておく
 (2)背景広い面明るい色から着色しよう
 (3)となりあう色は乾いてから着色しよう 
 
 ポイント  自分色で勝負しよう!
 色は混ぜてつくろう
 色を並べてみよう
 色は十分たしかめてから

でした。

今回着色をはじめるにあたり、押さえたいところはその手順でした。

多くの児童生徒が鉛筆ではノリに乗っていても、着色でがっかり、ひどいときには失敗してやる気をなくしてしまう事例が後を絶ちません。

水彩画法でもあれこれと助言してやりたい手法はたくさんありますが、「話を聞く」のが大の苦手という目の前の小学生にせめて押さえておきたいことは「段取り」と「色の工夫」です。

今年の課題図書から選定したお話は「ベネチア人にしっぽがはえた日」という空飛ぶ魔女や守護天使、お月さまも登場するとてもファンタジックなお話です。

自ずと「夜」の場面になりがちなのですが、定番は夜空に「星」。早速着色を始めた別の小学校で、一筆書きの星に黄色を着色してから、線に気づいて消しゴムを当てるのですが、後の祭り、線が消えずにがっかりという子どもが早々に出てきました。ちょっとしたことですが、気になる子どもは気になるようでした。そこで、後発隊の本日の小学校では、「段取り」という考え方があるということを意識させる手段としても、一つ、これを押さえておこうということにしたのです。

さて、着色に入る場面では、特に、好きなところから色をつけたがる子どもたちが多く、大抵後から複雑な出入りのある隙間だらけの面を一様に塗れずに嫌気がさしてしまいます。

あらかじめ気持ちよくサーっと背景をグラデーションなんぞもかけながら着色をしてやると、次回はその上から細筆などを使って描きたいと思ったところを少しずつ仕上げて行けます。

広い面を先に着色するのは、仕上がりの色のイメージが決まり、大崩れしにくいからです。今回のように期日が迫っている場合は、特にあと少し、あと少しと自分を奮い立たせるために、ヴィジュアルで仕上がりのメドが立ちやすいことが求められます。

乾いてから隣の色を塗るのは水彩画の常識中の常識ですが、無計画な取り組みに多くの子どもたちが泣きを見ます。「段取り」「計画性」は水彩画に見られる、にじみ、色混ざりのトラブルを避けるためにあるようなものなのです。

次にだんだん私の話にじれてくる子どもたちに、端的に伝えたのは「自分色」という提案です。

「自分色」と反対の極にあるのは「絵の具屋さんの色」としました。チューブからの原色、「生色」なんて言い方もします。

一時期(今もあるんでしょうか)、「キミ子方式」などとして赤・青・黄と白だけで描くという手法が図工教育界に一世を風靡しておりましたが、そういった「方式」などはあまり意識下にないのです。いわゆる絵の具セットの三原色では特に紫系が濁ってしまい、全体に低彩度で濁りが気になる私です。でも、チューブの色をそのまま使うことによって生じる、あまりにも同じ青、同じ赤、同じ茶色、影は黒…という短絡的で画一的な色の出方には一定、指導者として危機意識を持っていたいと思っています。色づくりを通して、子ども自身の目と手、イメージと創造力を伸ばし、表す楽しみや喜びにつなげる活動を展開していくために、様々な試行錯誤と経験をじっくりとさせてやりたいと考えます。

今日は、私が「茶色」に「あい色」を混ぜて見せた後、自分でいろいろな焦げ茶を発見(失敗して火がついた)した子どもが、夕日を背に立つ登場人物や家の影法師を得意気に担任に見せるシーンに出くわしました。自分色をつくることは、作品への愛着を強めるものだと改めて実感しました。

「色を並べる」では、同系色で煉瓦を表現したり、家具を描いたりした作品を他の子どもが見とれるという場面が印象的でした。同じ色ではない2つか3つの色なのですが、並べることでできるリズムと共通性による統一感に魅力を感じたのだと思います。色をつくりだす子もそれを見て感じ取る子も授業では貴重な存在です。

「色をたしかめよう」ですが、落ち着いた教室では、この試してたしかめるという活動ができ、力を伸ばします。先に述べたように、「話を聞く」のが苦手な子どもたちです。当然、辛抱ができない子どもが圧倒的に多いわけですから、「試す」「たしかめる」といった慎重な行動ができないわけです。パレットの「教室」・「運動場」の区別もありません。いきなりたっぷり2色を運動場に絞り出し、一気に混ぜようとする子どもも少なからずいます。これでは、色のニュアンスどころではありません。

「やって見せ、やらせて、ほめて、人は伸びる」と言います。今回もパレットの所定の場所に絵の具を出し、混色を目の前でやって見せ、自分でやってごらんとやらせて、同じ色ができたらほめて、色をたしかめながら制作することを一握りの子どもたちにではありましたが、経験させて時間が経ってしまいました。それにしても、2時間続きの授業というのはこうした取り組みがしやすいものです。

おっと、「今日はいろの日」のお話をと思いつつ、図工・美術教育の授業の一コマのちょっぴり恥ずかしいくらいの報告となってしまいました。

あしからず…。
夏休み前に読もうと思って出張のついでに購入していた本を今日は朝から読んでいました。

ちょっとお堅い書名ですが、國清あやか著「学力の質的向上をめざす造形科授業の創造」です。

書店で手にとって読もうと思ったのは、その内容として小学校から「色」を系統的に学ぶ実践が紹介されていたからでした。

氏が「色彩から展開する造形活動」として取り組んでいる実践は学年別に次のような配列となります。

第1学年「いろはかせになろう」…自由に色水づくりをして、できた色水に命名する授業
第2学年「色はかせとうじょう」…言葉や詩からイメージを膨らませ、色水をつくる授業
第3学年「色のまほうつかい」…コラージュ手法で、イメージを何色もの色で構成する授業

今回は、その中で「いろはかせになろう」の実践をじっくり見ていきたいと思います。

この題材では、子どもたちが自分で色をつくり出すことで、美しい色、気持ちに合う色を追求する子どもの思いや、色の変化する要素としての水や絵の具の量、色と色の混色量の重要性を自ら発見していく過程、また色と色の関係を見つけていく過程が大切にされています。そして、できたお気に入りの色に思い思いの名前をつけるという色とイメージをつなげる操作により、色に自分なりの解釈を与え、色が何らかの感情を表現したり、意味を伝える役割をもつことを感じ取ることが期待されます。

色水づくりは、2段階で展開していきます。

まず、三原色の単色でつくります。

最初に指導者が赤の色水を見せ、子どもたちからその色について名前をつけさせます。

先生のつくった赤の色水を、「目で見て」と「心で感じて」の二つの方向から名前をつけさせると、「リンゴ、さくらんぼ、炎、ほっぺた」と「暖かい感じ、うれしい色、やさしい色、おこりんぼうの色」が出てきたと言います。目で見てというのは具体的事物を連想させ、心で感じてというのは抽象的な概念を象徴させてということになろうかと思います。指導者がわかりやすく整理しながら子どもたちから聞き出したものと想像します。また、おそらくここで使った三原色の単色はスカーレット、いわゆる絵の具の「赤」だったのだろうと思います。

私ならば、額面通りの三原色を混色して「赤」をつくり、子どもたちに見せるだろうと思います。なぜなら、この後の二次色、三次色の濁りが子どもたちにやや失望を与えるかもしれないからです。単色のマゼンタからは先ほどの「赤」のような命名の展開が難しいでしょうから、単色の色と水との混合は「マゼンタ・イエロー・シアン」ではさせられないかもしれません。ただ、私のやり方ですと、困ったことが起こります。それは、イエローはともかく、マゼンタ・シアンが子どもたちが普段使う絵の具のセットに入っていないということです。そうしたことを考えると実情として、スカーレットを使わざるを得ないのかもわかりませんね。(小学校の教科書も絵の具の三原色を示すのにスカーレットのチューブを図版にしています。)

ちなみに、私の知る限りでは、減法混色の三原色の絵の具は、「色あそび絵具」「三原色カラー」「ガッシュ プライマリーカラー」が、前2つがターナー、三つ目がホルベインから出ていますが、児童用とすれば「色あそび絵具」が適当かと思います。ポリ容器入りの水性絵の具ですが粘性は低く、ゆるい液体絵の具という使用感です。ターナーの三原色カラーは耐水性のアクリルガッシュと水性絵の具があります。価格は315円と抑えられてはいますが、なにしろ容量が少なく、色づくりを試した後だと一作品でも使い切って足りない生徒もいて意外に不便です。対し、ホルベインは容量は十分かと思いますがWとBkとのセットで1600円ではちょっと手が出せません。

さて、単色の色の命名の後で、子どもたちが絵の具と水をペットボトルで混ぜていき、単色の色水の変化を楽しみます。絵の具と水の量によって濃淡の違いができ、イメージが変わっていく様子を体感します。グシュグシュ、ガシャガシャ楽しそうに振って混ぜる光景が目に浮かぶようです。

そうして友達のつくったいろんな濃淡の「赤」に命名していきます。

「いちごの夕やけ、大爆発、もみじ色、燃える炎は嵐をよぶぜ、ベピア(ベニ・ピンク・アカから)色」

青からは「ゆきぞら、夕焼けの海探検」、黄からは「天使のはね色、レモンの太陽、まぶしい光」それぞれ発見のある素敵な名前ですよね。注目したいのはその命名の中での、次のような感想です。「同じような色なのに、Mさんは『だらんとした色』、Tくんは『さわやかな色』とつけているのがおもしろいとおもいました」とあるのです。こうして教室ではさまざまなとらえ方があることを学びあうのです。それを素直におもしろいと感じる心をどんな場面でも伸ばしていきたいものです。

そしてさらに、できた3つの単色を少しずつ混ぜて二次色をつくります。

楽しい命名ができた後ですから、子どもたちはすでに単に混色を試すだけでは満足していません。絵の具を追加したり、水を増やしたりの試行錯誤が続いたようです。

続いて命名。「ゆうれいいろ」「地獄いろ」「夏のはっぱいろ」「しょんぼりしたいろ」「おとうさんのいろ」…。

ステキですよね。こうして色が何かのイメージと結びつくことを知った子どもたち。色を見る目が格段に違ってくると思います。

ところで、イメージを言葉に置き換える操作は学びにとって大変重要です。それは思いや考えを言葉を介して互いに共有できるからです。ところが、案外大人の側が対応していないことがあります。というのも、最近小学校で次のような場面に出くわしたのですが、そんなことが往々にしてあるのです。やはり低学年の子どもでしたが、ペットボトルに透きとおる赤紫の色水を手にとても大事そうに階段を上ってきたのです。私がその色に気づいて思わず見つめると得意そうにその子どもは私によく見えるように見せてくれたのでした。「きれいな色だね」そう言うとこっくりうなづきました。後ろから草花の絞り汁を水で薄めてつくったものだと学年の先生が教えてくださいました。私に機転が利けば、たとえば「ブドウのジュースみたいで美味しそうだね」などと具体的に声がかけられたのでしょうが、単に「きれいな色」で終わってしまったのです。その点、件の色水に命名する実践では教室で様々なイメージが色につけられ、経験として豊かな色体験へとつながっていくだろうと思われます。

さて、この後、できた色水のペットボトル200本以上を同じ「色の家族」に分け、薄い色、濃い色の順に並べ、似ている順に並べ環になることを学んでいきます。その過程で次のような感想が載せられています。

「はじめのうち、色の家族で色水を仲間分けしていると、赤の家族に入れたらいいのか、青の家族に入れたらいいのか、なやむ色がありました。それを赤と青の真ん中においたら、どんどん色水のわができました」と。試行錯誤を経て発見したことは子どもたちにとって大変貴重です。

こうして並べたペットボトルを使い、クラスのシンボル「巨大でんきちくん(でんでん虫)」として共同制作へとつなげていきます。また、さらに今度は自分のねらい通りにお気に入りの色水をつくらせ、命名するまで取り組みは徹底して進みます。

1年生でこうした「いろはかせ」になる取り組みをした後、2年生では言葉や詩のイメージで色をつくる段階へとステップアップしていきます。

低学年のうちにこうした豊かな色彩経験を積んでいるというのは造形的な基礎としてはとても心強いものです。色を自分の持ち玉として「表現」や「鑑賞」につなげていく道筋が形成されていくように思います。

今、中学生には三属性をはじめ色彩の基礎用語を身につけさせています。共通概念で指示や意図が効率よく通じるために有効だと考えるからです。ところが、混色、配色の経験が浅いせいか、なかなか落ちてくれないときがあります。ひどいときにはそうした用語を使った会話が生かされず、結局具体的な指示を出さなければならないことすらあります。「○色と○色を何:何の割合で混ぜてみよう」の類です。貴重な絵の具を無駄遣いさせるわけにはいかない場面では、こちらも必死。「おい、ここで実験をするな~」てなもんです。低学年のうちにたっぷり実験して経験を積み、大きくなってきて欲しいものです。

色を小学生から系統的に学ばせる心強い実践としての色水づくり「いろはかせになろう」。大いに参考になりました。
いろの日。私はまたパスをしてしまいました。
意識ははっきりしているのですが、どうも迷いが生じて記事にできません。

8月、東京に出向くついでといっては語弊がありますが、
日本美術教育学会学術研究大会(東京大会)に出かけようと考えております。
息子の住まいに近い渋谷の青山学院大学で9・10日の両日開催されます。

その前後に休暇をとって、以前から決めている「ル・コルビジェ展」と「パルマ展」、他展覧会巡りをする予定でおります。その前週、つまり8月4・5日は実家(静岡)に帰り、5日の高校の同窓会に出席することになっています。

と、ところが、本日手元に届いた気になるメール便(学校間を巡る配布文書のことです)。

近畿色彩教育研究会の大会の案内チラシでしたが、それが8月4・5日に催されるのだとか。

その団体の存在自体を知らなかったのは不徳の致すところでございます。書かれている分科会が若干気になる内容ではありました。

パーソナルカラーやPCCSを使った配色…。そのままズバリの文言ではありませんがそう受け取れる内容の講座が両日3つの分科会計6つ開かれます。

専門(のはず)でありながら、これまで一度も目に入ってこなかったチラシにしばし釘付けになりました。

近畿色彩教育研究会。

日本色研の関係が色濃いメンバー構成のようです。代表名もエキサイトブログ(リンクしております)でよく見知った方…ではありませんか!

う~ん。しかしながら、4日には郷里に帰省すると告げており、次の日の昼から出席はがきを出している同窓会…。

心の中で揺れながら、まだ決着が付いておりません。

とはいえ、内容そのものは実技を伴うとはいえ、既知の物ばかり。ただ教材と教授法、展開などは興味深く、もうしばらく揺れ動きそうです。

どなたか私をご存じで、かつこの種の研究大会に参加されたことのある方はいらっしゃいませんか。色彩学会の色彩教育研究会と同じ団体なのでしょうか?だとしても関西にあったっけ?

とりあえず、5日は行けないとしても4日の1日のみの参加に5000円の参加費が出せるものか考え中です。

情報がほしいなぁ。というか、調べたらわかるかな?

とんだ「今日はいろの日」記事でしたね。失礼しました。
午後から六本木「国立新美術館」に向かいました。
黒川紀章氏の設計によるうねるガラスの外観。1階の一番奥が会場で私が着いたときは最後尾が40分待ちの看板でした。けれど比較的列も短く、それほどのストレスは感じませんでした。

さて、「モネ」です。

色を学び、美術を教える身としては、これほどまで「色彩」と「光」にこだわった画家に注目しないわけにはいきません。

今回の展覧会は作品に密着することなく、観客の頭越しであっても大半は距離を置いて鑑賞することに徹しました。その方がモネの意図を酌みやすいことはこれまでの経験で知っていたからです。近くで観たら、それは荒々しいタッチの絵の具のぬたくりにしか見えません。離れてみると途端に光溢れる現実の風景が浮かび上がってくる、それが「モネ」の絵です。

私は制作年代と作品に注目しました。

若い頃のモネは、それこそ伝統的で、ありがちな、いわゆる明暗法による風景を描いていました。まるでコローやミレーといったバルビゾン派の画家を彷彿とさせるような森と川の風景にはむしろ驚きました。これは1850年代ですから、モネがまだ10代の頃の作品です。丁寧な筆致の中に、水面の映り込みといった生涯彼がテーマにした画題がすでに描かれています。

ルネサンス以降、西洋の絵画は明暗画法(キアロスクーロ)と透視図法により、空間と立体感の三次元的表現こそがその目的とされてきたという歴史があります。絵画においては、物がそこにある感じ、つまり再現性が重要でした。「光」は、「闇」とのコントラストによって初めて成立し、あたかも室内に明かりをともす効果や舞台照明のような劇的な表現によって生まれるものではなかったでしょうか。テンペラ画にしても油絵にしても、いわゆる「陰影」は、あらかじめ下塗り段階でつくったモノトーンの明暗表現に負うことが多々あります。それにおつゆがけをして色みをつけるといった表現がなされていたわけですから、もともと色そのもの持っている明るさ・鮮やかさを利用する術を持たなかったのではないかと考えます。そもそも「固有色」の考え方で、物体に固有の色がついていると思われてきた長い歴史と連動しているのではないでしょうか。

そして「印象派」の時代がやってきます。

見逃してはならないのがロマン派のドラクロアやターナーの系譜。ここに荒々しいタッチの中にきらめく光や色の可能性を感じたのかもしれません。そして戸外で描くバルビゾン派からの影響。自然主義がまさにモネの生涯にわたる徹底した現場主義に繋がっていると思わざるを得ません。

さて、その現場主義を支えたのが「チューブ入り油絵の具」だったということは以前書かせていただいたとおりです。そしてその絵の具こそが画面上で光を放つ高彩度の絵の具であったことはモネの作品の色からも想像がつきます。もちろん色の現象としての補色対比は以前の画家も意識的に使っている事実がありますが、もちろんモネも色の対比を駆使しています。それにしてもモネは本当に鮮やかな「赤」を多用しています。また、「青」も「緑」も「オレンジ」もかなり鮮やかな色が使われているのがわかります。合成顔料が頻繁に作られるようになり、その技術の恩恵がモネの作品の数々に示されているようです。鮮やかな絵の具とそれを対比的に使うことでさらに生まれるまばゆさ…。

画家のパレットは厳しく色の配置が定められ、まんま光り輝くような鮮やかなものです。つまりパレット上で混色することは極力避け、画布にそのままの絵の具がのせられ、粗いタッチで置かれたことの証です。なので作品は絵の具本来の鮮やかさが失せず、それが画面の明るさに繋がっているのです。

たとえばモネの風景画に「雪」が登場しますが、雪の白さが見事に表現されています。モネにかかると水墨画のような無彩色の画面にはならず、影色が「青」や「紫」であったり、明るい光の当たる部分にはごく少量ながら「赤」や「緑」さえ登場します。それらが離れた地点からはいかにもそれらしく、まばゆいばかりの外光が見る者を魅了します。これは点描画法の理論的な根拠である「併置混色」の効果です。

展覧会ではモネにインスパイアされた画家たちの作品も展示されていました。そこにはなるほどモネの追求した「光」とその表現のために使った様々な「色彩表現」からの影響を見ることができました。スーラも色彩理論を実践した画家ですが、モネの経験値が踏襲されているに違いありません。しかし、スーラはどうしても絵画というよりも実験的でありすぎます。しかしそのことがひょっとすると、絵=再現という常識的な図式を破っていく方向へと転換していった流れそのものかもしれません。さらにドランともなると「色彩」こそが絵画を成立させる最重要要素となっていきます。ドランにとっては空間や立体感は問題ではありません。絵画の方向性は描かれる物の再現というより、いよいよ純粋に色と形の追求へと向かっていきます。

特に、晩年の白内障を患ったモネの極端に荒々しいタッチは、絵画の常識を覆すようなパワーさえ感じましたが、抽象表現のジャクソン・ポロックなどもこうしたモネからの流れであると感じずにはいられません。

モダンアートの世界に至るまでの影響力を考えるとき、光を追求し続けた「モネ」の偉大さが身にしみます。

戸外であくことなく、目の前にある光り輝く世界を自分の絵画で表現しようとしたモネ。

今ではUVカットの化粧品や繊維が当たり前になっています。私などもそうした紫外線対策をしないとどうもお肌のシミが気になります。最近「○デイアキュビュー」の宣伝アンケートで目の紫外線対策について考えさせられました。今でこそ化粧品をはじめとするUVカット商品はたくさんあります。オゾン層破壊が原因で悪玉の紫外線が以前よりも増して降り注いでいるという事実も知っています。

ではモネについてはどうでしょう。19世紀から20世紀をまたいで、日がな戸外で光を追求し続けた訳ですから彼の目も紫外線の影響を少なからず受け続けたに違いありません。晩年、白内障を患いながらも描き続けた彼の作品を見つけたとき、作品に釘付けとなり思わず涙がこみ上げてきました。記憶を頼りにパレット上の色を画面に置いていく日々。画家の苦悩は図りしれません。悩みながらも描くことをやめなかったモネの心中はいかなるものだったのでしょうか。

筆致の大まかさに、いつもの観客の雑音には「短時間で描いたんだろう」というものが多かったのですが、「睡蓮」の連作では、光が刻々と変わってしまうので、ジヴェルニーの庭にキャンバスをいくつも置き換えて時間帯ごとに何日も継続して描き続けたというモネ。常に時間との闘いを演じていたのだろうと思います。夕日が沈むオレンジに染まる画面。戸外では一瞬の出来事ですが、それを何度も何度も日を追って追求していくあくなき執念には頭が下がる思いです。

こうして、若冲の時は間近でべったり時間をかけて堪能する鑑賞でしたが、今回は一定の距離をおいての鑑賞形態を取りました。どちらも浸りきることができたのには大満足でした。

光溢れる明るい世界をキャンバスに再現する手法をこの世に示してくれた偉大な画家モネの目は確かだったようです。今回そのことをお伝えできたら幸いです。

さてさて私の方ですが、モネ展のあと、「21-21デザインサイト」の「チョコレート展」を観ました。とっても楽しい展示でしたよ。これこそ気楽にご家族や友人はたまた恋人と連れだって行かれたら楽しさを共有できる展覧会です。

私?一人でクスっと笑ったり、おおっと感嘆したりとちょっぴり淋しかったかな。会場の雰囲気は「金沢21世紀美術館」の展示と通じるところがあってなかなかおしゃれでした。入り口でチョコレートをいただいたときは「新しい!!」と感じました。それこそ味覚も含め五感で楽しめる展覧会です。(館内での飲食は×ですけど)

京都ももっとがんばらないと!!って感じました。
「色は目的に合うように使われなければならない。」

そのことをあらゆるもののつくり手に教える必要があります。

今回は学級の教室掲示を例に挙げましょう。

毎年4月になると新しいクラスに様々な掲示物が作られますが、言うまでもなくその色遣いはとても大切です。特に遠くから何が書いてあるのかがわかる必要があるネームカードや授業予定表などは「可読性」が何より優先されるはずです。

ところが残念ながら毎年これがうまく行われません。私は裸眼では教壇から背面黒板に貼られた座席のネームカードが怪しいのですが、可読性の高い配色ならば何とか判読できます。白いカードに黒や赤などは大抵読めるのですが、オレンジやピンク、細い蛍光ペンなどを使われたら全く読めません。要はカード本体との明度差が大きいことが最優先される条件です。そして文字の太さ大きさを適度に、注目されたければ暖色を中心とした高彩度で低明度な色を用いれば確実にアピールできること請け合いです。

今年も1年の最初の美術の授業は教室で行い、美術で教えることが生活で活かされるようにとの思いを学活で作成したそれらの掲示物を取り上げてコメントするという方法で学習の題材にして話しました。

好きなように自己表現をする場合と「伝える」という目的をもって表す場合とでは選ぶ色は違ってきます。そのあたりの正しい判断ができるようになってほしいと美術を学習する目的のひとつとして説明しました。

目立つ色遣いは、今後、総合学習で自分たちの活動や調べたことをパワーポイントでプレゼンの組み立てをするときにも強調したい事柄です。技巧(不必要にカラフルに仕上げたり、やたら効果を取り入れたがる作者はかなりたくさんいます)に走ることは極力抑えめにして、見るものにストレートに伝わるように可読性を重視する姿勢が欠かせない指導事項だと考えています。

目立つ色、目立たない色。これは教材としても身近でわかりやすい内容ですが、案外担任の先生方からはあまり指導されない穴でもあります。ちょっとした工夫で居心地のいい教室ができるものです。

是非とも気をつけたいですね。
東京で新生活を始める息子の引っ越し準備を進めています。

バタバタとさらに到着した諸手続の書面の数々に目を通しながら、「16日(いろの日)」からすでに2日も経過している状況。テーマ探しにうろたえましたが、苦肉の策として今回は「新生活の色」をテーマに記すことにします。

この春から新生活!という皆さんはたくさんいらっしゃると思いますが、それに伴い準備しなくてはならない様々な生活必需品がありますね。その中でも設置したらほぼ取り替えが利かない家具や家電。部屋のイメージを決めてしまうこれらの道具類は、「色」にも気遣いながら上手に選定していきたいものです。

さて、黄土色のフローリングに白い壁紙、そしてなぜか部屋の半面に、よく言えばログハウス風?やはり黄土色のスライスウッドが貼られている、キッチン・UB付きのワンルームマンション。これが息子の新しい住まいとなります。東京の住宅事情をここで取り沙汰いたしませんが、お家賃の割には手狭な空間。狭さを克服する知恵と工夫が必要なようです。

何はともあれ、遠隔地からの住まい準備ですから、家財道具のほとんどは大学生協のカタログから選定し、引っ越し当日に到着するよう手配をしていきます。

困ってしまうのがやはりカラーコーディネート。限られた商品の中からベターなチョイスが要求されます。気に入らないカラーはあえて買わないで保留することも納得できる部屋づくりには必要かもしれません。

これまでの息子の部屋。ほぼ親が決定権を持っていました。白の壁紙にブルーのカーテン、ブルーの布団カバーとナチュラルな明るい色調の机と本棚で子ども部屋ながら「落ち着きと居心地のよさ」を念頭に選びました。広い作業面を持つ机の正面は白い壁紙に面していますが、これは集中力を保つ効果があるとされています。下部に収納空間をとった若干高床式のベッドはゆっくりできるお気に入りの場所になっています。彼にとっては狭いながらも愛着の持てる空間だっただろうと思います。

そして今度の新住まいのコンセプトは「安らぎと個性」でしょうか。慣れない一人暮らしで緊張の連続でしょうから、せめて自分の家に帰ったらゆっくりできる、安心感のある空間であって欲しいものです。さらにこだわりの強い一面を持つ息子ですからお決まりのパターンとはひと味違う色遣いもできるようにしてやりたいとも思っています。

ところが、そんな親心もどこへやら、引っ越し日に間に合うように手配するにはもう後がないというせっぱ詰まった状況の中、当の本人は昨日から合格したお仲間たちとご苦労さん会とやらでお泊まり。朝方、バタバタとカタログに赤ペンで必需品をマークして出立してしまいました。残された私は限られた色数の商品カタログを手にあれこれと想定しながら当面の必要な家財道具を選定してネット予約注文をしました。

相反するイメージで悩ましいテーマに困り果てて出した結論は、部屋の個性を決めるカーテンと布団カバーは本人と一緒に現物を見て決めるということです。狭い部屋を占領するベッドは置かないで布団とする。その布団のカバーの色はたたんでも目に入ってきます。カーテンと共に部屋の色のイメージを決めてしまいます。ビビッドな色をつかったりすれば個性を演出することができるアイテムですし、これだけは住まい手である息子の意見にも耳を傾けてやらなければなりません。ということで布団本体は買いますがカバーは後ほど選ぶこととしました。

こうしてメインを保留にしたら後は割と気楽に色選択ができるというものです。

もとより白を基調とし、狭さを感じさせない本棚と収納ラックは必要だろうと思っていました。壁紙の白と家具の白。存在感を消す手法です。白い家具は置かれるものの色を引き立たせますしね。

机は作業面の広さが最大のポイント。その要求を満足させる唯一の商品は明るいナチュラルウッドのものでした。いわゆる商品色としては定番色です。幸い壁に貼られたスライスウッドとの相性は悪くはありません。息子と打ち合わせておいた机のカラーとは異なりましたが、こればかりは機能優先で妥協しようというところです。

大きな2つの家具が決まりましたので、ついでカーペットを選びます。温かく居心地がよい、そしてあまり存在感を主張しない色ということでアイボリーに。フローリングの床を傷つけないように敷くデスクマットもベージュを選択。同系色で飽きの来ない色遣いとしました。また開口部が東向きということもあり、やや温かみのある色遣いが欲しいところですからきっとちょうどいいでしょう。

また、ワンルームに冷蔵庫とオーブンレンジ、炊飯器も置かなければなりません。こちらは経年劣化でどんどん見た目が悪くなってしまうオフホワイトは避け、シルバーを選択。メーカーよりも色で選定した感じです。ま、おかげでセット価格で1万円も高くなってしまいましたが。そしてキッチンラックは保留。部屋の状況を見て判断しても遅くはありません。ラックがでーんと居座ってしまってからでは遅いので後日手配することにしました。食器も整理できるスペースのあるキッチンシェルフも兼ねる製品にも注目しているのですが…。

掃除機にバス用品、細々としたものも気がつくだけ注文しました。食器類は本人の好みもあるでしょうし自分で揃えるでしょう。…。

というわけで、今のところ既存の色との類似色を使って広々とした温かみのある空間を演出しつつ、安っぽくならないようにと考えて選んでみました。

それにしても気忙しい中にも新生活を作っていくのは楽しいものですね。私自身の場合はお布団以外はすべて自分で決めて大学生協を利用して現地調達したと記憶しています。今回の息子の場合はひょっとして親が関与しすぎでしょうか?まるで自分のことにように段取りしたり商品選びをしたり…。なんか自分の時のことを考えるとやっぱり子離れがヘタな親そのものですよね。


ともあれ、多くのフレッシュマンさんが居心地のよい空間を手に入れられますように。
そして、新しい環境で自分自身の力を存分に発揮できますように。
現在使用している中学校1年生の美術の教科書には「色」が見開き3ページで載っています。

その内容は、色の分類と三属性、混色、配色効果(トーンと感情効果)、対比はもちろんですが、さらに日本の伝統色、デザインや絵画工芸と色など項目をあげるだけでもかなりたくさんあることがわかります。

これを通り一遍2時間かそこらで流すということはやろうと思ったらできるかもしれませんし、またそういった配当時間が年間の計画ではまかり通っています。

けれど、制作の中で「色」の占める意味はとても大きいのではないでしょうか。

多くの現場で生徒が「配色」や「色づくり」で悩んでいます。

作品をつくるとき、あるいは絵を描いていくとき、生徒は放っておくと大抵思いついた色をどんどん使っていきます。うまくいっていれば問題は無いのですが、そのうち混乱してきます。そして次の手が出なくて困った時点で指導者に相談するわけです。
「どうしたらいいですか」と。
中には全くお構いなしで、結局、自分の作品によさや魅力を感じないまま作業を進めてしまう生徒もいますし、何とかしようともがいて結論を出せずに止まってしまう生徒もいます。

「色彩」の基礎を教えるという観点が不足している指導者は、得てしてこのような生徒の配色に口を出します。双方に通じる共通言語を持たないので、ここは何色、ここはこれにしなさいと具体的な色指定をしてしまうケースは後を絶ちません。その色を使う理由は「その方がいいから…」だったりします。こんなことをしていると自分の作品なのに指導者に初めから決めてもらおうとする生徒が出てきてしまいます。

どんな色で塗ったらいいのかわからない。私にはセンスがない。だから美術は嫌い。
鉛筆で描いているときはよかったのに、色を塗ったらぐちゃぐちゃになって、絵の具は大嫌い。

こうした思いを持つ生徒はかなりたくさんいるのではないかと思います。

だから、「色」は丁寧に教えたいのです。

なんとなく感じることができる色の見え方にルールや解釈を与えることで安心させる必要があります。また、この色はどうやってできているんだろうという疑問に道筋を与え、応用力をつけさせなければなりません。

茶は黄から赤の仲間。黒が混ざっている。肌色は同じ黄から赤の仲間だけれど白が混ざっている。
制作の中でこの「茶色」や「肌色」の色づくりに悩む生徒が多いのです。

色相環の色を覚えよう。向かい合う色同士は並べるとギラギラするが、相手に少し混ぜるとちょっと落ち着かせることができる。
自然の緑を絵の具チューブの緑で表す子どもはたくさんいます。

似たもの同士は合う。順に並べてやるとリズムが生まれるし快い。けれどちょっとおとなしい。違ったものは互いに主張し合い、混乱する。どこかに共通性を持たせてみよう。
配色に失敗したくない気持ち。これは誰にもあるものです。このような場面で配色調和の原理を知っていれば…。



たとえば、上のようなことを共通言語で通じるようにしておくのです。共通言語をもってはじめてコミュニケーションが成立するのですから。

暖色に黒を混ぜると「茶色」が、白を混ぜるといわゆる「肌色」やベージュが得られる。
補色は並べると強い配色効果があるが、混ぜると彩度が下がる。
類似色相・類似トーンは統一感があり、グラデーションにより快い効果が得られる。対照色相・対照トーンは強い配色効果があるがそれぞれにトーン、色相に共通要素を入れると統一感も得られる。「変化と統一」が重要である。



これらの用語はとても1時間や2時間では押さえられません。

そこで、三原色カラーやカラー粘土で混色を経験させたり、作品をそれらで制作させながら繰り返し学習をして、自分の感覚と、用語やその意味とが一体化するように授業を組み立てていく必要があるのです。

「急がば回れ」

まさにその言葉がピッタリです。

かく言う私も小6の卒業制作で助言したのは、ペールトーンの色画用紙とビビッドトーンの色画用紙を数枚ずつ提示して、同一トーンを使うとまとまるという配色ルールを子どもたちに確かめさせただけだったような…。
そして見るに見かねて、色指定をしてしまった子どもも結構いました。もちろんその色を使う理由として「共通の色、似ている性質の色を使うことでまとまりが出る」とか「メインと背景の色の差がないと○○ちゃんがせっかく表そうとしている△△がぼやけるから」とか「突然この色が出てきたら周りとあまりにも違ってしまって飛び抜けてしまうし、合わないから」などとつけ加えました。「その方がいいから」なんて子どもの将来に何のプラスにもならない理由はいいません。

やはり色の基礎・基本を系統的に教えることで、指導者が生徒の作品の配色を指定しなくて済む授業を少しでも増やしていきたいものです。
美術の授業には「色の学習」という学習項目があります。

教科書通りに扱うと「無彩色」と「有彩色」からはじまり、「色の三属性」「色相環」「対比」「配色」…。これらは主に1年時にほんの数時間の授業時間で教えることが多いと思います。

しかし、私が中学校の美術でまず教えるのは「色の見えるしくみ」です。
教科書ではこの部分は出てこないのですが、私はあえてここから授業を始めます。

昨年から、プリズムを授業で使っているのですが、昨年はプリズムを覗いてスペクトルを見つけるというものでした。今思えば「ゲーテ」の手法なんですが…。

蛍光灯や金属部分で反射している白い部分は分光されて美しい虹色のスペクトルが観察できます。これは天候に左右されず、都合がいいと考えて一人一人に覗かせてみました。

しかし、今年は9月に「色の学習」の単元を設定したので、割と強い日差しが午前中から期待できましたから、試しに外光をプリズムに直接当てて投影してみました。
すると、壁面や天井に、覗いて得られるもの以上に美しい虹色の光が帯となって子どもたちの目線を釘付けにしました。
「おぉ…」どのクラスからも歓声が漏れ、色の正体をつかむきっかけを与えることができました。

「太陽光線のように白く光る光はじつはこのような様々な色を感じさせる光が集まったものです。1666年ニュートンという人がこのプリズムを使った実験で明らかにしたのです。これらの色の光を凸レンズでもう一度集め、スクリーンに映したのですが、どんな色になったと思いますか。」「はい、そうです。もとどおりの白になったんですね。」

白色光がプリズムを通るとき波長の長短による屈折率のちがいから分光し、様々な色みを感じさせる光の帯ができることを平易な言葉を使い、確認をしておきます。

ここでは波長とは何かというところまで詳しくは語りません。中学1年生にはまだ難しいだろうと考えるからです。

とにかく様々な色を感じさせる光があり、それらが集まって太陽光線のような白い光になるのだと言うことを大まかに伝えられたらよいと考えます。

次にそもそも光がないと色は見えないということを事例を示して伝えます。

教材は明るい場所でのリンゴと暗い場所でのリンゴの写真を比較したものです。
これらの写真にはあらかじめ灰色のマスクをかけておきます。そしてそのマスクには正方形の窓が開けてあるので、子どもたちの目には、はじめは「冴えた赤」と「ダークグレイッシュの赤」の四角い色票に映ります。

「ここに四角い色が見えますが、それぞれ何色ですか。」そう訊ねます。

左はすぐに赤、そして右はしばらく考えて黒っぽい色などと答えが返ってきます。
答えが出てきたところで、「実は、これは…」と言って、マスクをめくります。
するとそこには「明るいところ」「暗いところ」という説明書きをそえたリンゴの写真が登場します。

「二つの違いは何でしょう」と訊ねながら、つづけて「これは光があるときと、無いとき…ですね。」こうして色が見えるのには「光」が必要であることを強調します。

次に「リンゴが赤いわけ」をスペクトルの色帯を使って解説します。

「白色光に含まれる様々な色を感じさせる光のうち、リンゴは赤く感じさせる光を反射し、他を吸収しているのです。」こうして赤く見える物体の性質を押さえたところで、「じゃバナナは?オレンジは?」と訊ねていきながら、物体の色はその特定の色の光を反射したり吸収したりする特性からそれらの色に色づいて見えること、そして反射したり透過したりした光が目に届き、色を感じさせるということを学んでいきます。

これらを説明する際の教材は、スペクトルの色帯(vトーンのカラーカードを青紫~青~緑~黄緑~黄~橙~赤の順に貼ったもの)の上に白、下に黒の画用紙が貼ってあるのですが、白はすべてを反射し、黒はすべてを吸収しているというところまで子どもたちに言わせて物体の性質を押さえます。

「…ですから、今日からは、たとえばここにある青い袋は、この袋に青い色が付いているのではなくて、どういうことであると説明できますか。そうですね。様々な色の光が集まってできている太陽光線のうち、青を感じさせる光が反射し、その反射した光が目に入って青く感じているということです。ちょっと長ったらしいですけど…。」

そうまとめながら、「光」「もの」「目」、その3つの要素がかけ合わさって色が見えるのだと言うことを小1時間かけて押さえておくのです。

絵を描くときに、大抵は「リンゴは赤い」という固定観念がついて回ります。物体に色がついているのだとする固有色の考え方は一朝一夕には変えにくいものです。しかし、時間の経過で刻々と変化していく光と色をとらえる力はどこかで習得していって欲しいものです。そのために折に触れ光と色について、また色が見えるしくみについてふりかえることは意味があると思います。実際の制作の機会を捉えれば色を学ぶ場面はたびたびあるわけですから、徐々に本当の色のとらえ方が定着すればよいと考えています。

今日は「いろの日」。中学生に教える「色の学習のいろは」の「い」のお話をさせていただきました。

そうそう。今日は氷結さんのお誕生日でしたね。おめでとうございます。