ピカソが、『ゲルニカ』に要した期間は約一ヶ月。

1937年パリ万博のスペイン館の壁画制作を依頼されていたピカソ。「ゲルニカ空爆」の5日後の5月1日、「ゲルニカ」の構想が始められた。世紀の大作「ゲルニカ」は、5月11日にキャンバスに描き始められ、6月4日に完成している。

こうして構想から完成まで約一ヶ月で、かの世紀の名画はこの世に誕生したのである。

さて、我が方の「キッズゲルニカ」は、実質8月29日の展示リーダー会議からスタートしました。ステージ上に掲げるのは10月1日。9月一杯で完成をしなければなりません。これはピカソの制作期間とほぼ同じといっていいでしょう。

かのピカソは天才とはいえ、この間に45枚の習作を残し、およそ350cm×780cmの画面に一人で立ち向かったわけですが、こちら「キッズ」は58名の生徒と4名の教員スタッフがいます。

制作にあてられている正規の授業時間数はガイダンスを含め10時間。放課後や時間外にスタッフの企画の時間をつくるとしても、結構かつかつの時間と言わなければなりません。

そこで、指導者側の読みと段取りが必要となるわけです。今回はこれまでの制作に、私が指導者としてつけてきた段取りについて記したいと思います。

○原画作成

私は、これまで毎年制作される生徒会タペストリーを担当してきました。生徒総会での披露に向け、生徒会のリーダーたちが決めるスローガンに合わせて、約1.8m×1.8mの正方形の旗をつくるのですが、メンバーはたいてい1~3年の有志30名を超える人数が集まります。

メンバーには力量差もモチベーションの違いもあります。制作期間が5月~6月とあって、少し部活動の練習に疲れた生徒が、部活を休む口実にするために制作に参加するということも残念ながら少なからずあります。

とはいえ、参加した以上は達成感を味わわせたいということで、全員で原画づくりから始めます。学級旗制作などでは、おのおのが描いたデザインをクラスで投票して決めることがしばしば行われますが、タペストリー制作では段階をいくつも踏んで、協議を繰り返しながら原画決定・配色計画をします。少し大きな画面では共同責任というのが愛着につながっていくように思います。

最初はそれぞれがスローガンをもとにキーワードを拾いながらアイデアスケッチをします。
そのときに言うのは、「一枚の絵として完成させてもいいし、一部を採用する場合もあるから、とにかく自分なりの思いを形にしてみて。」です。「みんなで一つのものをつくる体験を楽しもう。」ということもよく言います。それらのアイデアは並べて検討し、誰かがまとめて次に提案する…を繰り返しながら、参加者が次第に合意を形成していきます。

原画が決まれば配色も全員がとにかく色鉛筆でやってみます。時間に余裕がないときは下書き作業と並行して行うこともあります。どれも完全な配色はしていなくても、いいとこ取りをしながら魅力ある画面を模索していきます。これはいいと思えるものを一度目に見える形にして、説得力のあるプランにしていかないと話し合いは混乱し、やたら時間がかかります。生徒が残したものを次には形にして示す…これが指導者の役どころかもしれません。生徒がつくってきた形やイメージを、生徒の声や要望を聞いておいて、もちろん必要なアドバイスを込めつつ次の機会に向けて準備をすることが、着実に前へ進める上で必要不可欠です。

こうしたノウハウが、担当者以外の先生方には伝わりにくいのが残念です。原画が決まれば、作品はできたようなもの。配色までできていれば、あとは目標を達成するためにやることが見えてきます。ところが、大抵の先生方は、一番苦しい(本当は一番楽しいのですが)原画づくり、つまり、構想の段階での生徒の動きやそれを引き出すための仕掛けにあまり関心を示さないのです。

絵が描かれるとき、アイデアスケッチから原画へ移行する際、同じイメージの繰り返しから、ふとしたきっかけで逸脱、跳躍、飛躍が生まれることがあります。何故、どうしてその変化が生まれるのかというのはとても興味深く、これこそが醍醐味ともいえるのではないかと思うのですが、とにかく、ドラマチックに画面が変わることがしばしばあります。そこで、種はできるだけ豊富に蒔いておくのです。バラエティに富んだスタートは「変化」のあらゆる可能性を秘めています。

その変化は待てばよい。待っていると必ず変化し、動き出します。それが集団で制作していく楽しみです。生徒会のタペストリー制作でも、今回の「キッズゲルニカ」でもそうして画面がつくられていきました。また、生徒がある工夫をしたら、それを惜しみなく取り入れます。大きな画面では、「いいとこ取り」がアレコレとできるので、採用された生徒からは喜びの声を聞くことができますし、互いのよさを認め合う機会になります。全体の画面の骨組みは確保した上で、細部に生徒一人一人の活躍のチャンスを与えると、それぞれの参加度が高まります。


○限られた材料を無駄にしない

学級旗制作ではほったらかしにしておくと、絵の具がどんどん減ってしまいます。一枚の学級旗の小さな面積に着色するのにどれだけ絵の具を出すの?という場面が多々見られます。混色の要領がつかめていないという点もありますが、面積と量の経験値が低いのが原因だと思われます。大量の絵の具が廃棄されていきます。もったいない。またいきなりの計画変更も多々起こります。十分に検討されないままスタートしてしまい、混乱の末、塗り替えになるわけです。重ね塗りほど無駄なものはありません。

キッズゲルニカも多分に漏れず、大量の絵の具を必要とします。できるだけ安価で、かつ、耐久性の高いものを選ばなければなりません。今回採用したのは、イベントカラースパウトパックA・Bセットと白2本、布用メディウム2本です。厚塗りをしてもひび割れが少なく、布への付きをよくするというので増粘メディウムを少し混ぜて使うことにしました。白はセットの1本とで計3本ですが、ひょっとするともう一本買い足さなければならないかもしれません。混色用には白は欠かせません。予算要求の都合で、原画ができる前に要求しなければならず、本来ならば、配色が決まった時点で単色を注文するつもりだったのですが、係の先生が、大作だから急ぐだろうと気を利かせて注文してくださったのでした。係の先生とは十分連絡を密にしておく必要があります。

では、与えられた絵の具をなおさら上手に作品の配色に生かして行かねばなりません。
(/_;)
そこで、画面全体に主調色を用いて彩色するのではなく、満遍なく配色することにしました。12色の色を使いこなしていく難題へのチャレンジというわけです。

スパウトパックとは、ビニール製の袋状の容器に蓋がつけられたもので、別の容器に移し換えて使用しなければなりません。ゴミが減量できることと少しだけ割安感があるというので採用しました。イベントカラーはすこし透明感があって、被覆力は同タイプのスクールガッシュの方が高いのですが、何と言っても価格が安くないと…ということで致し方ありません。用意するものは蓋付き容器。以前、鮭フレークの瓶を集めていましたが、こんな時に役立ちます。これも以前購入していたのですが、ドレッシング用の撹拌容器。これはフタを押さえて振りながら大量に同じ色をつくるのに便利です。大きな蓋付きというと、キムチのプラスチック容器が安定感があっていいですね。若干ニオイが気になりますが…。こうした移し換え容器を用意しておくととても重宝します。比較的少量の絵の具や修正用の絵の具は蓋付き瓶に入れておき、ラベルを貼っておけば必要な場面ですぐに供給できます。そして大面積はドレッシング用容器で1本~3本と大量につくっておきます。作業用のカップにどんどん注いでやれば、一気呵成に絵の具を求めてくる生徒を待たせることはありません。大面積の作品では、調色管理も指導者に求められる段取りの一つです。一度塗りで余った絵の具はこうした蓋付き容器にとっておくのです。制作が終わったとしても、混色した色であってもしばらくは保存可能。美術の授業や部活動に使えるものは使えば、環境中への垂れ流しも少しは減らすことができます。「もったいない」を地でいく私です。

彩色の手順も大切です。水彩画での指導と同様、バックの面積が大きい箇所から彩色させます。このとき、大面積ですと自分の彩色箇所の錯誤が考えられますので、あらかじめ下書きは鉛筆でしたあと、その色に近いペンでなぞっておきます。複雑に見えるところは、事前に少しだけ彩色を施しておいて、間違いを回避する配慮も必要です。彩色計画は入念に立てておかないと、たくさんの生徒で作業するときは混乱しかねません。

今回、制作場所はフローリングにした教室です。キャンバスを広げると長辺が教室の前後にまさにピッタリサイズ。生徒が58名全員で作業するのは不可能です。そこで、全体を8つの部分に分け、8班編制で取りかからせていますが、画面上半分、下半分で作業時間を分けています。従って、余計に、あらかじめ色をつくっておく必要があるのです。着色作業の時間、他の班には裏番組もつくっています。担当教師が誰になっても成立するような内容を示し、準備にも参加していただいて、こちらは「キッズゲルニカ」に集中できるように段取りを組んでおきます。裏番組の作業は、各教科展示のタイトルづくりです。今回は白抜きした文字にある色鉛筆画の構成作品(模様が美しい)を写させ、思い思いの色で彩色していくという課題で、生徒は写し絵だと思って気楽に取りかかりますし、色鉛筆の彩色を楽しんで、やり出したらはまります。思いがけず集中して取り組む姿に担当の先生方が驚いていました。

○彩色の醍醐味はこれから

これまではほぼ各班で同じ色を塗るという単純作業でしたから、あまり考えなくても、楽にできる点でどの子もしっかり取り組んできました。中には違う班の部分も塗りだして怒られた子もいましたが…。ここからは各班で取り組みが違ってきますので、指示がさらに増えていきます。短時間に上手く伝える方法と、色づかいが複雑になってくるので、調色管理も一層重要になってきます。段取りのよさが問われます。

あと実質5時間の勝負。まだまだ完成までは楽観できませんね。
先週ようやく着色が始まりました。あと2週間。月火水の取り組みで完成!…できるかっ?

夏休み前に「やる!」と簡単に宣言してしまった、『キッズゲルニカ』の取り組み。
ご存じの通り、ピカソの、反戦メッセージを込めた大作「ゲルニカ」の、あのどでかいサイズだけを借りて、子どもたちが「平和」への願いを込めてキャンバスに絵を描く取り組みです。

夏休みに入る前に、ようやく文化祭の役割が決まりました。本校では学年を展示、舞台の二つに分け、それぞれ「総合の時間」を使って、発表へとつなげていきます。今年の展示担当は58名。メンバーが決まったところで夏休みに突入してしまいました。

読みの浅い(…いや、深い?)私は、1年生美術の夏休みの宿題の一部にその原画を描くという課題を出して、夏休み明けまで事実上放置していたのでした。宿題は、四つ切り画用紙を配り、「我が街○○」「人権啓発ポスター」「CO2削減ポスター」と「キッズゲルニカ原画」の4つを設定し、その中から選択して取り組むという課題でした。キッズゲルニカ原画は1年生だけの課題です。

大義名分上、原画を一部の子どもたちだけ集めて夏休み中に描かせるということができない縛りを、無意識に、かけてしまっていたんだと思います。

夏休みの宿題でどの程度描いてくるかについては、はっきり言ってあまり期待はしていなかったのですが、結果、思った以上に原画を描いてくる生徒が少なくて、(たった3~4名でした)結局、全員に訴えかけて、みんなに原画を描かせて検討するということになったのです。

夏休み明け。いくらなんでも最初の取り組みで、いきなり「『平和』をテーマに絵を描きます。」と言っても、なかなか描けるものではありません。そこで、文化祭のテーマ「Love & Peace」と絡めて、「愛」ってどんなことばとつながるかな?、「平和」ってどんなイメージかな?…ということで、私なりのことばによるイメージマップをつくって印刷し、子どもたちに提案しました。

「愛」-「好き」、「人間」、「喜び」、「こわれやすいもの」、「守るべきもの」、「家族」、「隣人」、「苦しみ」…すべてを挙げませんが、結びつくことばを、ありとあらゆるものを粘りに粘り、振り絞って列挙しました。

同じく、「平和」-「安らぎ」、「温かさ」、「安全」、「安心」…、対立するものとして「戦争」を挙げ、その関連語を書き連ね、イメージと対比させてチャートで示しました。

それから同じプリントですが、今度はことばによるイメージマップを、表現するための具体物として、これも単語で示しました。「空」、「雲」、「太陽」、「鳥」(ハト、不死鳥…)、「地球」、「月」、「飛行機」、「紙飛行機」、「風船」、「気球」、「たんぽぽの綿毛」、「ひまわり」、「四つ葉のクローバー」、「宝箱」、「シャボン玉」、「ハート」、「人」、「道」、「足跡」、「木」、「草花」、「蝶々」、「ハートマーク」、「握手」、「リボン」、「世界」、「国」、「日本」、「京都」、「学校」、「スポーツ」、「歌」、「楽器」、「音符」、…。一部しか紹介しませんが、これらのイメージワードを、ゲルニカの作品の比率に近い長方形の中に、その絵が描かれそうな画面上の空間に配して、子どもたちに伝えたのです。

「愛」とか「平和」には、実はたくさんのイメージがあるのであって、単純に「ハート」や「ハト」、「スマイル」「国旗」…といったマークのようなものだけで表せるものではないこと、人間が、互いの関わりを強めながら、ようやく築き、そして守らねばならないものなのだというメッセージを送ったつもりです。

そして、一人一人に、今回の取り組みで自分が表してみたいイメージをプリントのイメージワードなどから選ぶように指示し、ついでそれを簡単なラフスケッチで表現させ、回収しました。

子どもたちのピックアップしたイメージワードやそのスケッチを集めると、なんだかとてもいいものができそうな予感がしました。

2日後、放課後の原画検討会(学年担当者を8つに班分けし、それぞれから原画担当者を選出させてます)で、具体的なイメージにつながりそうなスケッチを少し多めに取り上げさせました。それをもとに、いよいよ原画づくり開始です。

非常に難しい取り組みではありましたが、「太陽」、「虹」、「宝箱」、「たんぽぽの綿毛」、「足跡」、「ハト」、「ハート」、「シャボン玉」、「地球」、「木」、「道」などの絵がピックアップされ、それをどう画面に配置するかが検討されました。

その日に、宝箱からハートや風船が飛び出し、校舎を巡りながら広がっていくというイメージにまとまりかけましたが、一日寝かせて、休日に、改めて検討しようと言うことになりました。

部活動が始まる前の時間をねらって集まったメンバーで、続きの検討を始めましたが、宝箱の背後に生徒が肩を組んで長い人の鎖をつくり並んでいるというイメージに決まりかけました。そこで実際にキャンバスを見てみようということになり、それを広げた部屋に移動しました。その大きさに、はしゃいで、生徒が寝転んだそのとき、閃光が走ったのでした。

キャンバスシートは縦が350cm、よこが780cmあります。丁度横方向の折り目2マスで背の高い男の子の身長ぐらいです。

ふと「人文字でPEACEができそうだ!!」という直感が閃いたのです。そして、一声かけて、Pの縦線をやらせてみた後で、生徒にことわりました。「今まで考えてきたことを、ごめん、覆すようだけど、人文字にピンときてしもうた。そこだけ私にやらせて欲しい。PEACEを人文字でやってみたいねん」と。すると、2人の生徒が、キャンバス上でいくつかの文字になりきって見せてくれました。いよいよ確信が湧いてきました。

次の日。決まりかけた原画と、検討会でピックアップしたみんなのスケッチを集めたプリントを資料に、人文字の秘策をひっさげて、みんなに提案です。多くの支持を得て、人文字に票が集まったところで、では、人文字の背景画をさらにみんなに描き加えて欲しいと再提案して、それぞれにバックを描く作業をしてもらいました。

PEACEの背景に、ピックアップしたスケッチをもとに、思い思いに描き込んだ原画がいくつも提出されました。実現可能で、さらに組み合わせていけばよりよくなると思われるものを8つに絞り、三回目の時間に投票をさせました。その日の残り時間は、全校の取り組みであるハトとハートの形に切った画用紙を貼り付ける掲示物(はさみで切り抜いたものにそれぞれが意気込みを書き、掲示物とする取り組みです)の学年全員に配る下準備として、はさみでそれらを切り抜く作業をしてもらいました。

そして選ばれた上位4つの原画案を組み合わせる…。そこは指導者がグッと支援の手を入れてしまいましたが、何とか1枚の原画が出来上がりました。

今回の文化祭の取り組みでは、舞台の生徒たちは、「Love & Peace」をテーマにした創作打楽器演奏をします。たとえばフライパンや箒、ドラム缶が楽器になります。彼らのステージバックとして、展示の「キッズゲルニカ」を活用します。そこで、1年生一体の取り組みとして、全員に原画を紹介することにしました。

広い部屋に生徒を集めて、決定した原画を見せ、キッズゲルニカのキャンバスを全員の前で広げました。その大きさを確認した後で、とてつもないチャレンジが君たちを待っているのだと伝えました。教室に帰って、学校祭への意気込みを、件のハトとハートに思い思い書きましたが、「キッズゲルニカをしっかり完成させる」などの書き込みを見るにつけ胸が熱くなりました。

夏休み明けからのスタートで、完成は9月中を目標にしています。

すでに9月も三分の二が過ぎ、やや焦る気持ちもありますが、段取りをつけられるところはめいっぱいつけて、しっかり追い込ませていこうと思います。

その段取りアイデアは次回あたりに紹介しようと思います。(つづく)
久しぶりの更新です。

そして、久しぶりに髪型も変わって2週間目となります。

とりあえず、長く伸びてきていた髪を切りたい…。
それが目的で行きつけの美容院を7ヶ月ぶりに訪れたのです。

月曜日、その髪型で学校に行くと、玄関先で、まずは、同僚の男性教員に
「おおっ、イメチェンですね!!!」と驚かれました。

それから先は、授業に向かったどの教室でも、美術室にやってくるどの生徒も、
職員室に訪れて出会う生徒たちも、個々に、もれなく、ニンマリ笑ってリアクションをしてくれました。

いいよ、私の髪型で笑顔がこぼれるんだったら、どこまでもつきあうよ。

笑う。指を差して笑う。手をたたいて笑う。腹を抱え、口に手を当てて、こらえきれない様子で笑う。

足をジタバタさせて笑う。究極はフローリングの美術室に寝転んでギャハギャハ笑うヤツまで出てきました。

そして、我が校の生徒ちゃんたちは、遠慮ということを知りませんから、次々に呼び名をこさえてくれます。

曰く、マッシュルーム、きのこ、ブロッコリー、カリフラワー、ヘルメット、カツラ…。
人名では、ちびまるこちゃん、ikkoさん、桃井かおりさん、木村カエラさん、「火垂るの墓」の節子…。

いいんです。何と言われようと。

これをご覧の皆さんは、どんな想像をされたでしょうか。

私と面識があるけれど、容易に会うことができない皆様、とりあえず子どもたちの反応からじっくり想像してくださって構いませんよ。えぇ。

そのうち慣れます。間違いなく慣れるんです。

人差し指を立てて、「どんだけ~っ!」と振って見せるだけで、腹を抱えて笑っている子どもたちを、私はおおらかに受け入れますとも!なかなか時間になってもそろわない生徒たちを見て「こんだけ~っ?」と言ったときも何故だか笑いが起きていました。

髪を切って大体2週間経ちますが、明日はたまたま先週授業がなかった小学校へ出向きます。
この際、最後の子どもたちの反応を、存分に楽しんでくるつもりです。

ところで、色研の色彩指導者の登録のため、先の日曜日に証明写真を撮り送付しました。
担当のS氏、吹き出していなかったかなぁ。それが若干心配です。
# by my-colorM | 2008-09-18 22:20 | 日記
私の勤める学校にはSC(スクールカウンセラー)が二人配属されています。週に1、2回それぞれ違う曜日に来校されます。主な活動場所はカウンセリングルームですが、今年はたまたま職員室での座席が私の席の向かい側にあり、仕事を終えた先生方と顔を合わせ、ときどきお話をすることがあります。お二方とも私と同世代といえるでしょうか。

一人は女性カウンセラーです。時にはカラーセラピーや手相などの手法も使いながら、子どもたちの心を開き、受容と共感をもってその声に耳を傾けて下さいます。この間なんかは「今日、手相の先生来てる?」(敬語が使えていないのはこの際スルーしてください(-_-;))と、待ってました、とばかり職員室に尋ねに来た生徒がいたほどです。週1回来られる日の昼休みや放課後、カウンセリングルームを訪ねる生徒は結構いるようです。

もうお一方は男性です。「ふるかわ家族カウンセリング研究所」を開き、開業臨床心理士としてカウンセリングを行ったり、講演活動もされる傍ら、スクールカウンセラーとして、また、スクールカウンセラーのスーパーバイザーとして活躍されています。「家族療法」という手法で、戦略的、積極的に問題解決に関わることで、子どもたちの不登校や神経症、非行などの問題や症状の改善に取り組まれています。身近では本校や校区小学校の事例を、数回の家族面接を通して、ケースごとに違ったアプローチをかけながら、改善を図っておられます。

先週の土日、その男性臨床心理士、古川秀明先生の「初心者のための家族療法基礎講座2008」が開催されましたので受講してきました。予定定員30名のところ50名参加と盛況でした。

受講のきっかけは、その週に行われた校内研修で先生の講義をお聞きしたことからでした。

学校の教師は、今、ADHDやアスペルガーなどの自閉症スペクトラムの生徒を抱えたクラス経営と授業展開に、また生徒の問題行動や不登校生徒への対応に、困難な保護者との対応に、増え続ける事務仕事に、そして自身の家庭生活に、と、消耗しています。校内研修会はそうした私たち教職員の疲弊を少しでも軽くしようという応援メッセージが込められた温かいものでした。教職を長くやっていれば、誰しもが理不尽な暴言にさらされ、つらい対応に心を蝕まれた経験があるものです。それらは長年の澱(おり)となって、また、ささくれや棘となって、心の中に居座り続けるのではないでしょうか。その思いに寄り添い、どうしたら教員が自分の心の健康を保っていけるか、数々のヒントを与えてくださりました。どれも重い話なのに、持ち前のユーモアとスピード感のあるトークにより、いとも簡単に笑いに変えてしまう魅力に、もうちょっとお話をお聞きしたいと思ったのでした。そして何より意外だったのが、先生がシンガーソングライターで、そのお話と連動した曲を歌われるというおまけ(ご当人はそれが本職かのようにおっしゃっているので、このことばはあたらないかも…)がついていたことでした。研修会では「がんばれ!ティーチャー」という曲をギター弾き語りで披露されました。聴いているうちに、ありがたくて涙がこぼれそうになる、教師への応援歌でした。

さて、長い前ぶりでしたが、二日にわたる基礎講座は、1:30~5:00、間に10分程度の休憩を挟み、合計7時間の講座でした。ミニューチンの「構造的家族療法」(立命館大学の団士郎氏が先生の師匠だそうです)の基礎である「システム論」を中心に、難しい専門用語は使わず、初心者にも大変分かりやすい内容で進められました。「あっという間に始まって、あっという間に終了する」研修会をモットーにされているとのことですが、文字通り、一切退屈する場面がなく、居眠りしたらもったいないお話をたっぷり聴かせていただきました。先生は色んな引き出しを持っていらして、話題に事欠かず、まだまだお聴ききしたいと思わせる二日間でした。

「システム論」と対極にあるのは「因果論」です。

因果論では、「問題」には「原因」がある、とします。それは当然なのですが、この場合その問題と原因は1対1で対応し、つきとめた原因を除去することで解決を図ろうとします。例えば、子どもの非行が父親の養育態度が原因じゃないかと考えたことにしましょう。この場合、原因(犯人)は父親です。仮に「あなたが原因ですから、その態度を改めてください」と迫ったとします。原因とされた側は、完全に犯人扱いされているわけですから、素直に受け入れることなど、まずありません。「私ではない」と否定し、「あなたが原因です」と迫った人間に敵意をむき出しにして抵抗するでしょう。そうして援助者(カウンセラーや教師)が保護者と敵対したら問題は棚上げにされ、解決どころか、放置されることになります。そうなったら子どもの非行という問題はさらに悪化しかねません。というわけで、因果論にたったアプローチは誰もが対立(敵対)という失敗の危険を孕んでいるので、絶対に避けなければならないということがわかります。

システム論では、原因は様々にあるという観点をとります。その原因には、家族関係のいくつもの様相が考えられます。

それは、…


おっと、受講料を払って聴いてきた講座です。私には6時間強あったお話をすべて記事にする気前のよさも、はたまた才覚もありませんし、先生からそこまでの許可を得てもいません。ですので、内容はこのぐらいで止めておきます。

先生には、ユニークな生育歴があるようです。それは名付けからはじまり、お母様の養育方針からきているらしく、そのお話の一端を聞いたらどうしても続きが聞きたくなります。

また、十数年の開業臨床心理士としての経験から、様々な感動的な事例をお持ちですし、お話には笑いあり、涙あり。自分自身の家族を振り返るよい機会にもなります。聴いている内にカウンセリングを受けているような癒し効果があるようで、元気をいただけたように感じました。

極めつけは歌です。なんとCD「夢、情熱、あこがれ。」を出されています。臨床心理士の経験があるから書ける、いい曲があるんですよね。

講座の最後に、その一枚目のCDに入っているもの、入っていないもの全部で8曲歌われました。涙があふれて困った曲もありました。臨床心理士になる前は、養護学校に勤めていらして、そこで出会った生徒さんの優しさを歌った「先生と呼ばないで」という曲が中でも一番好きです。その曲の中で、先生が歌手になりたかった自分のことを書かれています。

「歌う臨床心理士」、「カウンセリングもできるシンガーソングライター」、「カウンセラーのスーパーバイザー」、「笑いと涙のエンターテイナー」、…、古川先生をどう表現したらいいのでしょう。

今回、私も「家族療法基礎講座修了証」をいただきました。ですので、とりあえず僭越ではありますが、「家族療法界屈指の伝道師」の称号を私から…。

2009年春、また研修会を予定されているそうです。伝道師、次はどんなおもしろいお話をしてくださるのでしょうか。楽しみです。
# by my-colorM | 2008-09-07 10:36 | 日記
色彩感情という言葉は聞き慣れないかもしれません。

例えば、ある色から受ける感じとして、
「暖かい-冷たい」や「硬い-柔らかい」、「重い-軽い」といった印象評価を行った場合、その度合いが各人によって判断され、色と感情とがどのような関係にあるかを調べることができます。その調査対象を広げ、たくさんの人に行えば、ある色の与える感情的傾向が統計的に見いだされるだろうと思われます。こういった、色の持つ、というか色が与える感じを色彩感情と呼ぶことにしましょう。

そして、その色彩感情にはことばの因子分析とくっついて、三つの基本次元があると考えられています。
色の感情的評価の手法としてSD法という調査方法があります。SD法とは、かつてことばの感情的意味について三つの因子を抽出したオスグッドの手法ですが、それにより、ことばの感情的意味の因子はそれぞれ評価性、潜在性、活動性と命名されました。この三因子はヴントがかつて感情の基本次元とした快-不快、緊張-弛緩、興奮-沈静の三次元とかなり似ているので、ことばについても3因子を軸にした感情的意味空間というのが設定されました。色彩感情を捉えるために、色の感情的意味について調べると、ことばと同様、三つの因子が抽出されやすく、同じように感情的意味空間に色をプロットすることができるというわけです。

ところで、こうした色の感情=色彩感情では、その基本次元として、強い・硬い・重いといった潜在性、暖かい・動的なといった活動性がかなり安定的に出てくるといいます。どういうことかというと、これらの感情と色との関係を訊ねた場合の応答に、個人差、地域差があまり見られないということを示しています。

このことは「アフォーダンス」から説明すると納得がいくと聞き(色彩指導者養成講座で)、はじめて「アフォーダンス」ということばを知りました。

そこで、たまたま本屋さんで『アフォーダンス入門』(佐々木正人著 講談社学術文庫)を見つけたので、読んでみました。

アフォーダンスとは、生態心理学のまったく新しい考え方(アイデア)です。生物と環境の関係への新しいアプローチといってもいいでしょう。大まかにいえば、生命がある意図をもって成長・発達、(あるいは進化といってもいいでしょうか)しているのではなく、絶えず、環境にアフォード(特性として与えられる)されて、変化し続ける、その結果や過程が見えているに過ぎないということです。従って、虫や動物のあらゆる行動や形態の変化について、何のためにその行動をとるのかと意図や目的を探っても意味をなさないというのです。

生き物の周りに、環境があり、そのありとあらゆる環境が私たちを含む生き物に単に存在するだけでありながらその特性を与え、生き物の行為を変化させ続けているというのです。

知覚と行動については、5感がバラバラに働き、その情報を脳が統合し、ある行動を指令するという系統がこれまでのとらえ方でしたが、アフォーダンスでは、そうは捉えません。

たとえば、視覚は、静止していても、動いていても、光学的変化として、空間をつくる物体の肌理(キメ)を捉えています。それにより、環境中の物体との間合いをとっているのです。肌理を捉える働きにより、距離を測ったり、壁との衝突を避けたり、熱いもの、傷をつけるものから遠ざかったりします。逆に柔らかく、暖かく、心地いいものには接近を許します。このとき、知覚システムとして同時に空気の振動や匂い、体温との温度差、踏んだときの硬さ、触れたときの柔らかさを捉えるなどしながら、生き物は環境に対して多様なアプローチの仕方で絶えず動き続けています。物体の変化が伴えば、さらにそうした環境の変化にアフォードされて、さらなる行動の変化が起こります。こうした環境への対応が私たち生物の行動を形作っているというわけです。

さて、そのように考えていくと、環境の光学的なアフォーダンスは、色彩感情に影響していきます。例えば「炎」は朱を中心とした階調の変化があり、揺らぐ特性を持ち、バチバチ・メラメラ、ゴーっという音と共に、灼熱の温度と物を焦がす臭気を伴います。炎が直接触れることを許さない危険な存在であることは誰でも知っています。対して、一面の氷は青く、海水も、川の水も、大抵体温に比べて低い温度であることは承知しています。こうして、人(動物)は色も環境の肌理における一つの状態として捉えることになったと考えられるのでしょう。その結果、色そのものに傾向を投影し、暖色、寒色などの色分けの判断や評価を可能にしているのかもしれません。

『アフォーダンス入門』では物事を白か黒かと分けて考えることをしていません。そればかりか、何かを予測しあらかじめ意図を持って観察するといった手法を論破しています。ただ、対象をありのままに観察します。したがって、数値の書き換えというデータ改ざんもなければ、捏造もありません。愚直とも思えるその観察姿勢は、「種の起源」で知られたダーウィンのやり方そのものです。本に登場するミミズの観察は、28歳の若さで見つけた「土壌の形成について」の論文発表から、死ぬ前年に発表された「ミミズの行為によって肥沃な土壌がつくられること、そしてミミズの習性の観察」までのダーウィンの44年間にわたる地道な観察を紹介したものです。

人は自分が直接しなくても、誰かの行動を規範にしたり、他人の到達点を利用して論を展開することができます。真似ること、咀嚼すること、それらをかき回して新たなアイデアを創造することもできます。「学問」そのものも変化することの一過程にあるといってもいいかもしれませんね。

話はがらりと変わりますが、もうすぐ北京オリンピックが閉幕しますね。興奮と落胆、感動と同情…様々な感情が、TV画面と対面する中、家に居ながらにして、わき起こりました。NHKの中継を見ることが多かったのですが、そのたびに、「♪一番きれいな色って何だろう…♪」という歌い出しのミスチルの「GIFT」が気になっておりました。


色のスペシャリストを目指して(というのは口幅ったいのですが…)勉強を続けているつもりですが、「一番きれいな色」などという「色」は何とも難しいテーマだと、それを考える度に頭を抱えてしまうのです。

環境のアフォーダンスからして、人間がもっともきれいだと思う色はどんな色なのでしょうか?

色彩感情の基本次元として、いわゆるSD法による調査でも、もっとも意見が割れるのが、「評価性」という次元です。誰にとっても美しいという色はなかなか定まらないものです。私個人にしてもそうです。「好き・嫌い」を問われても、質問に答える度に違いますし、これ、と1つ答えられるようなものではありません。

「白か黒をつけろ」という難題を突きつけられ…ても、迷ってしまいます。…白と黒のその間には無限の色が広がっている…。(「GIFT」に出てくる歌詞を引用しました)

それゆえ何らかの理論を裏付けにしたくなるものですし、今ある環境の中から見つけ出そうとするのかもしれません。目の前の色(配色)の魅力を分析して、そこから法則を抽出しようとする試み…。人間は誰かの試みを環境(狭義)とすることができます。無からの創造ではなく、絶えず変化する行為の中から創造される新たな変化…う~ん、深い。深みにはまっておぼれてしまいそうです。

ただ、深みにはまったとしても、悩みながら、あるいは模索を楽しみながらその時々の答えを求めていきたいと思っています。


この夏は色々と勉強できて本当に楽しく過ごせました。明日から生徒が登校します。いきなり忙しくなるんでしょうね。

頑張ります!!
# by my-colorM | 2008-08-24 16:32 | 色の話
美術部員を5人連れて、美術部向け漫画作画ワークショップなるものに参加してきました。

現役の漫画家先生とアシスタントをされている方が館内案内と作画指導をしてくださいました。

漫画イラストの部誌を2~3ヶ月に一度出すくらいに漫画に傾倒する部員が多い割に、こうしたチャンスに興味を示さない生徒も多く、参加者は全体の1/4にとどまりました。

それにしても、お話によると30万冊の漫画を所蔵し、常時5万冊が自由に閲覧できるように書架に陳列されていますが、壮年から小学生くらいまでの入場者が思い思いのスタイルで読みふけっている様も興味深いものがありました。建物よこの芝生広場で寝転んで読んでいる姿はなんとものんびりした様子です。

この「京都国際マンガミュージアム」は廃校になった旧・龍池小学校施設を改装・増築して作られています。もともとあった地下室に温度・湿度の保たれたガラス張りの保存スペースが設けられ、寄贈された物も含め、貴重な資料としてたくさんのマンガが保管されています。旧小学校のレトロな建物は、京都の町衆の手による豪奢な雰囲気を今に伝える施設なのですが、大人も子どもも集い、活況を見せていました。

さて、生徒たちが指導を受けたのは、「漫画家のアシスタントをしてみよう」という設定で、主人公の黒髪の黒ベタ(天使の輪っか有り)、吹き出しづくり、走っている人の動きを示す線描、注目を集める集中線の4つです。

あらかじめ、7割近く完成した漫画原稿に、上記4つの仕事を加筆していくというので、漫画家の先生が模範を示して下さり、用具の使い方も直接指南いただいての作業となりました。

いつもはぺちゃくちゃと静まることのない子どもたちですが、今日はどの生徒も真剣でした。外国の方の参加があるそうですが、お話では、本校生徒皆、とても真面目で誠実な描画をしたとか。日本人の特徴なんだそうです。例えば、筆ペンによる黒ベタでは、大抵日本人ははみ出すのを嫌うそうです。外国の方は画面をくちゃくちゃにする(曰く、はみ出したら髪が長いことにしてしまう)人がたくさんいるとおっしゃっていました。マンガミュージアムを訪れる外国人が結構居るそうですが、そういえば一階の書架にはたくさんといえるかどうかは分かりませんが、外国のマンガも並んでいましたし、その棚を熱心に見入る外国人の姿もありました。

また、これは意外なことだったのですが、台詞につける吹き出しについてもおもしろい文化比較ができるそうです。日本人は感情表現としての吹き出しの形を暗黙の了解のうちに理解しているということです。強い驚き、心の中の驚き、ちょっとした驚きなどは、吹き出しの形でそのニュアンスの違いを感じ取って読み進めるものだと思っていました。ところが外国人にはなかなかその形の意味が理解されないのだとおっしゃっていました。どうしてなんでしょうね。私たちはコマ割の読み進め方に戸惑うこともありませんが、案外、当たり前なわけではないそうです。

さて、道具の中には、目新しい物がありました。それは水色シャープペンです。墨入れ前の下描きや、アシスタントへの指示メモなどに使われるそうです。なるほどファックス原紙は水色の升目があります。最近カラーシャー芯を見かけたことがあり、何に使うのかと疑問に思いましたが、これは応用が利くグッズだと気づかされました。

その他の用具として、インク瓶とGペン、ホワイト、コインの貼り付けてあった定規がありました。Gペンは使ったことがなかった子どもたち。慣れない書き味に少し戸惑ったようです。インクは楕円の穴にかからないようにつけること、水性の黒インクを使うので、ペン先に手脂をつけてはいけないこと、使い終わったらインクを拭き取っておくなど、きちっと指導していただきました。参考になります。定規に1円玉が3個セロテープで貼ってあったのですが、これはインクこすれによる泣きを防ぐためで、フラットな定規を浮かすための工夫でした。エッジの浮いた定規ならその必要はないのですが、たまたまネットで発注した定規が意に反してフラットだったので、加えた工夫だそうです。こういう問題解決法が大好きです。

指導してくださったのは、精華大学の漫画学科を卒業された方でした。漫画家志望は中学生ぐらいからだったり、本格的に書き始めたのは大学に入ってからだったり。本校でも毎年何人かが漫画家になりたいと希望を語ってくれます。多くのアシスタントを従えて、締め切りに間に合うように日々苦労されている様子がうかがえました。地味で気の遠くなるような制作です。

そういえば、7月に部誌が完成する予定でしたが、締め切りに間に合わない部員のために、印刷原稿が届いていません。共同制作のシルクスクリーンTシャツづくり、個人制作のイラストボードもどんどん迫ってくるだろうし、ましてや各学年の文化祭展示担当として引っ張りだこ(のはず)で忙しくなるだろうと思われるのですが、…う~ん、君たち、緩慢ですよ。

夏休み最後の1日。有意義が半日が送れました。
# by my-colorM | 2008-08-22 19:20 | アート
『子どもが育つ条件-家族心理学から考える』(柏木惠子著岩波新書)を読みました。



なるほど、うんうん。
そうだったのか!

-うちも知らず知らず「少子良育戦略」に走っていたんだな。

多子多産の昔に比べ、現代は子どもは「授かる」から「つくる」に変わった。子どもを「つくる」か「つくらない」かの選択の余地があるというのだ。妊娠-出産-子育ての行為は、自分と子ども・育児との間に自己資源の分配をめぐり葛藤が生じやすい。女性の社会進出により、社会における自己実現の可能性が高まりを見せている現代、成長・発達主体であってよい女性が、「母」としてその座から引きずり下ろされるのはとても悔しいことなのである。

とはいえ、子をもうけ、育てることは、夫婦にとって当然の欲求であり、「つくる」選択をすることになる。「親である」夫が不在のまま、「親をする」母として子育ても家事も完全に任されたなら、女性の自己資源は自分には配分されず、子に集中していくことになる。ところで、専業主婦となって子育てを任された場合、仕事をしながらの子育て以上に社会から取り残されたと感じる焦燥感や、将来を見越して、このままでいいのだろうかという不安へと直結していく。日本の子育てでよく問題になる「育児不安」はこうした背景から起きているといえる。

一方、生まれた子が死ぬ事態は昔に比べて大幅に減っている。過去の多産多死の実相は、本書を読んでつかんでいただくこととして、そのため、現代の傾向として「少子良育」の発想が生じている。一人の子どもにたっぷりお金も時間もかけて、競い合うように「先回り教育」が進められるというのだ。こうした中で不幸な親子関係が築かれることが少なくない。その事例もいくつか紹介されていた。


…このように子育てにまつわる様々な考察がわかりやすく書かれている。また、昨今の少子化の中身が語られ、家族の危機的な状況に対し、「親をする」、「子育ち」といった発想法で育児そのものを捉え直すアイデアに共感を覚える。

本書は「家族心理学」という耳新しい心理学と発達心理学の研究成果をもとに、子どもの育ちや、それを取り巻く親や家族のありようを考えた本である。これまでの日本人の結婚観、育児にまつわる社会の常識や既存の価値観について、歴史的な成立過程や国際比較などをもとに、その問題点を明らかにしている。また、ともすると閉塞感や焦り、不安を抱かざるを得ない現代の家庭生活や子育てについて、「親も子も成長、発達できる社会づくりへ」という発想の転換を求めつつ、明るい展望をもたらす指標となる提案が展開されている。

とりあえず私自身の経験や実感が驚くほど当てはまる。あれもこれもドンピシャである。
私の前の世代の結婚観・子育て観と、私の世代の結婚観・子育て観とは大きな隔たりがあるし、次の世代のそれもきっと変化していくだろう。現状を憂い嘆くばかりでなく、未来に展望をもって語られているところが本書の魅力である。

おかげで、私の場合、大方「子育ては楽しい」ものだった。それでも振り返れば、新生児というのはすべてに予測不可能で、特に月齢3~4ヶ月ほどは、ふさぎ込むこともあるほど憔悴しきった時期もある。それは、仕事で帰宅の遅い夫への不満が嵩じたものだった。しかし、育休を切り上げ、半年で職場に復帰してからは、バタバタ忙しくて目の回るような毎日ではあったが、育児不安は解消し、落ち着いて子どもと向き合えるようになったと思う。

子どもは可愛く、仕事も子育てもどちらも気分転換になってバランスがとれた。その影に夫の育児・家事貢献度の高まりは大きい。本書では少数派とされる、子育てのための転職をも敢行してくれた夫の存在が何より貴重であった。

保育園の存在もありがたかった。乳幼児の頃は小規模の家庭的な保育園だったが、4歳で家を購入して引っ越してからは、幼稚園も併設された大人数の保育施設となった。たくさんの園児の中で、さまざまな遊びを経験させてもらえた。一つのことに夢中になったら、とことんのめり込む気質の息子を、園の先生方は本当に辛抱強く見守って下さったものだ。あるときなどは、小さな積み木(ドミノのようなもの)を直径1m近い円筒状に積み上げるのに集中してしまったのだが、自分の身長を超える高さにまで積み上げられたといって写真に収まっていたこともある。こんなダイナミックな活動は到底家でできるようなものではない。しかも、卒園時には園長先生がそんな息子の頭をなでながら「うちの園は、こういう子どもに育ってほしいと思って保育をしているんですよ。」と私に直々に話して下さったときには、本当に感謝の念がこみ上げた。

子育ては「よって、たかって、たくさんで」という理念、自分の教育方針の押しつけで先回りせずに「子育ちを見守る」こと、そして、親が自分自身の成長・発達を実感しながら活き活きと生きることとは、まさに私自身が、夫の家事・子育て参画を背景に、自ら実践してきたことだ。

そのことが、本書には書かれている。

息子はまだ自立の緒に就いたばかりである。生活経験という点では、必ずしも満足のいく段階ではない。経済観念と食生活、生活時間の安定など、まだまだ課題があるだろう。だが、人づきあいや目標実現力、美学芸術学的嗜好などでは、私も舌を巻くところがある。乳幼児期には正直感じていた、「私のもちもの」でも「分身」でもなく、今は自立した「タカラ」的存在という感じだ。「所有」ではなく、「見守る」という性格の。

経済的自立はまだ先になるだろうが、その基盤となる進路選択の時期がやってきている。余計な口出しはしないと決めているが、ついつい心配になってしまうのが「親心」なのである。
色彩指導者養成講座の後、読み残しを解消した分と帰省中に読んだ本を振り返っておこうと思います。

まずは…。

衝撃の一冊。そう評するしかない。この本の内容が本当だとすると…と、かなり不安を煽られる。
『脳内汚染』(岡田尊司著)。2005年に単行本が出たとき、印象的なタイトルが目に留まったがカバーがグロテスクだったので、手に取ることはなく、そのときはスルーした。今回文庫本の背を追っているうちにふと引きつけられた。

その前日、帰省で出迎えてくれた義姉と、車の中で話をしたところだった。
「…アスペルガー症の人に対してする接し方というのがあるんだけど、その接し方で親御さんの面接をしたら、やっと信頼を得ることができたの。あれが気になる、これが気になるって興奮して言ってたのが、最後には娘をよろしくお願いしますって。…」義姉は長年、発達遅延園児を預かる公立保育園の保育士をしてきた。昨年から職種が変わり、保護者対応や若い保育士を育てる立場になったという。その日も発達遅延園児の入所保護者面接があったが、難しい対応を要求される場面ではいつも自分が出て行かなければならないと漏らした。その話に対して「そういった症状、最近よく聞くようになりましたね。中学校でも増えていると感じます。昔とちがって認知度が上がったせいですかね。」と訊ねると「いやぁ、名前が知られるようになっただけとはいえない気がする。」と曇りがちな声色が返ってきた…。

著者は医療少年院に勤務しする精神科医である。あくまでも仮説であるとしつつも、凶悪化する少年犯罪の背景を、人類がこれまで経験したことのない高度情報化社会の、脳にもたらす影響にあるとし、メディア依存が少年犯罪を引き起こしている可能性が高いと断じている。少年事件を機に実施された寝屋川市の教員によるアンケート調査の統計資料分析が論拠だ。また氏はADHDやアスペルガーとの関連についても言及している。

主な論点を挙げる。
まず、統計上、ゲーム中毒・ネット中毒になりやすさについては、就学前ないしは小学校低学年で家庭用ゲーム機に接した場合に高い傾向を示すという。また、早期にゲームに接しやすいのは、意外だが、素直で明るく活発な子どもたちだそうだ。ここでいう中毒とは、毎日4時間以上ゲームやネット、メールに費やし、引きこもり等、学業や生活態度に何らかの支障をきたしているレベルを差す。家族に注意されたり、止められるとイライラを爆発させ、暴力をふるうなどの問題を抱えた深刻なケースが多い。
ゲームにおいて特に問題視しているのはその中毒性である。親が子どもの喜ぶ顔を見たくて、あるいは面倒な子育て(語弊はあるが、子どもというのは大人がつきあいきれないほど反復が好きで要求してくるものだ)を代替するため、安易にビデオやゲームを与えてしまいがちだ。たとえ初期の段階で、客観的にそれが無害な内容であったとしてもそれが落とし穴だ。はじめる時期が早ければ早いほど、後年になって没頭するケースが多く、高校生など長じてくると、その内容は親がコントロールできない状態に陥る。より強い刺激を求め過激な内容にどんどんエスカレートしていく。そしていわゆるゲーム依存、ゲーム中毒へと進んでいくのだ。また、仮にゲーマーにならなかったとしても、ゲームを卒業すると、興味が別メディアであるネットへと移行しやすく、結局ネットに没入し中毒へと進むケースが多いという。
○○中毒、△△依存ともなれば、他の、薬物やアルコールなどの物質依存同様、社会生活に何らかの問題を抱え込むことになる。そうなると素直で明るく活発な子どものイメージからはほど遠くなる。自己中心的な言動が目立ち、身の回りの現実に対して無気力、無関心で、少しでも注意する人を敵と見なし、攻撃する傾向が出てくる。昼夜逆転による遅刻、居眠り、欠席…。また場違いな発言を繰り返してしまうなどのトラブルがもとで、社会生活を嫌い、自分の居場所であるゲームやネットの世界に引きこもる…。
著者はさらに長時間ゲームに没頭することの弊害として、脳の前頭前野の発達不良を挙げている。前頭前野は人が人らしくあるための働きを担っている、いくつかの部分から成り立っている。記憶・創造性・自制心・意志決定・コミュニケーション…。あらゆる人の行動をコントロールする働きが件の前頭前野に任されているのだ。(その発達は、10歳前後までにピークがあるらしい)ところが、ゲームをしている間は視覚と反射運動を司る部分は活発に活動しているが、前頭前野にはほとんど活動が見られないと指摘する。
ADHDやアスペルガーとの関連については、その症状の子どもが、ゲームに熱中しやすいことを挙げている。また、後年、人との濃密な係わりの中で前頭前野が発達し、症状がなくなるか軽症化する期待があるのだが、ゲームに長時間熱中するあまり、その機会を逃している可能性が高いとも推測している。

だが、最も著者が問題にしているのは、一般的に、人間らしさの発達著しい年代に対する、ゲーム・ネット・メールあるいはテレビ・ビデオの存在そのものである。彼の問題提起は、それらに注ぐ時間が、家庭生活の中で、あるいは学校生活の中で、本来の人間活動にじっくりと費やされたなら、どれほどの効果をもたらすだろうかという点にある。若者のコミュニケーション力の低下、ニート、不登校、ひきこもりといった問題の要因がメディアの発達にあると断罪しているのである。

そして、もう一つ忘れてはならない提起は、垂れ流される悪意のある映像メディアの問題である。若年の柔らかな脳に刻みつけられる残酷シーンの悪影響。TVでも大人が目を覆う映像がしばしば放映されることがある。また大人が放置した俗悪ビデオを子どもが見てしまうケースも考えられる。ましてやネットには様々ないかがわしい専門サイトが存在する。家庭にいながらにして親の知らないところで本人でさえ思わぬうちに易々と想定した状況を超えられてしまうのである。こうしたことから受ける心的外傷が、長じて首をもたげてくることがある。どこでどうその子の人生に狂いをもたらすか予測不能であるというのが著者の大いなる心配だとしている。凶悪犯罪はメディアの発達曲線と同期して増えている。著者は本の中で繰り返しこのことを論じ続けるのだ。



はてさて、かれこれ40年以上もメディアに触れている私などはどうなんだろう。映像メディアに関してはどっぷり浸かった世代である。ここで自身のことを振り返ってみたい。

私は、4歳のときに東京オリンピックを迎えた。そのときに、白黒テレビではあったが我が家においてメディアの洗礼を受けていることになる。当時テレビは家族で視聴することが多く、ちゃぶ台があり、お父さんが仕事から帰ってくると点けるとか、兄妹で視聴するにはチャンネル権というのが存在した。それがもとで喧嘩をし、何度泣かされてきたかは言うに及ばない。
そんな私には、家族にとって空白の独占時間があった。5歳の時、上の兄が小学校、下の兄が保育園年長。なぜか私だけ家に居るという1年があった。母は保険の外交員として働いていて、当時、母が集金業務に出掛けると一人で留守番をしなければならなかった。一人で過ごす間、心細さをなぐさめてくれたのがテレビだった。テレビに子守りをしてもらっていたわけである。長じても、「テレビっ子」とは私のことをいうのだと自認せざるを得ない状況が私にはあった。どの年代でも学校から帰るとスイッチon。見ると見ないとに関わらず、とにかく電源を入れるのが習慣だった。思い起こせば、我が家が新築されたとき、6年生だったが、テレビを置く場所を決めたのは家族の中で最年少の私だったのである。それからテレビは不動の位置にあって、もちろん一番たくさん視聴したのは一番暇な私なのである。主なチャンネルはNHKかNHK教育。仮に他のチャンネルを視聴していても家人が帰ると必ずNHKに切り替えられた。今でもNHKは私の中で良質な番組を作り続けているという絶大な信頼がある。色んな不祥事が続いても揺るがないのには40年以上の長いつきあいがあるからなのだ。

ま、それはさておき、「中毒」とか「前頭前野の未発達」についてはどうなんだろう。

救いと思えるのは、いくら遅くまでテレビを見たくても、テレビには深夜放送というのが無かったのである。記憶が正しければだが、私が10代の頃、終日放送していたのは大晦日からお正月にかけての数日だけだったのではなかろうか。
どぎつい映像にしても、刺激がきついと思われたのは『イレブンPM』程度。プロレス中継はさすがにハードで、流血シーンもあったが、幸いにしてそういう類は好まず、熱狂してテレビの前で技を掛け合う兄たちに辟易していた。ただし、積極的に視聴していた『仮面ライダー』については、それを真似て男の子にライダーキックを浴びせて恐れられていたのは事実である。とはいえ『サインはV』などには触発されて、友だちとバレーボールで鍛え合い、日が落ちるまで外で遊んだ貴重な記憶もある。
放送の送り手の気概に支えられてか、私はテレビで様々な疑似体験もしたし、たくさん感動をもらってきた。勉強時間は確かに削られたものの、「アニメ」から漫画本に移行して、絵を描くことにも、文学に触れることにも発展した。幸い、部活も生徒会も授業や試験もどれひとつ手を抜くようなことは無かったから、少なくとも中学生の間は「勉強、勉強!」と親から急き立てられることは無かった。何より学校の行事が大好きで下校時間まであれやこれやと残って過ごしていた。それが今の職業へとつながっているのに違いない。もとより高校・大学ともなるとすでに親の口出す場面はない。どう過ごしたかはこの際省略するが…。

とはいえ、メディア漬けの影響が一切なかったかというと、そうも言い切れない。ちょっと気がかりな心当たりがあるので紹介しようと思う。

それは高校三年生の夏休みのこと。美大受験を視野に入れて、名古屋のとある予備校へ実技レッスンのある夏期講習に約一週間だっただろうか、宿泊して受講した。このとき、宿舎は真新しい、その予備校の寮で、様々な志望を持つ受験生が泊まっていた。受講初日のことである。食堂脇には書棚があり、いわゆる赤本や見たこともない受験用の問題集がズラリと並んでいた。いくつか手に取ってみたものの、自分も受験生のはずだったが、どの問題も目に入っては来なかった。まるで別世界にいるような気がしたものだ。それで、食堂で一人、何気なくテレビをつけてみた。すると、すぐさま寮母さんがとんできた。「テレビ消しなさい!何しにきてんの!ほかの受験生はみんな一生懸命頑張っているんだよ!テレビなんか見ているのはあんただけだよ。(受験生という)自覚あんの?」と、いきなりまくし立てられた。呆気にとられた。「何もそこまで言うことないじゃん!ここにあったからつけてみただけなのに。」と口をついて出そうな言葉をなんとかグッと飲み込んだ私は、その場では「ごめんなさい。」と言って頭を下げはしたものの、その後、寮母さんが見えなくなると、ほおを膨らませ、プイっと唇をとがらせて自室に走り帰った。部屋に戻っても興奮が治まらず、一人布団に顔を埋めて泣き続けた。無性に腹が立った。他人に注意されることなど、そのときまで、ほとんどなかったのだ。悔しさが何度も何度もこみ上げてきた。それからである。自室に小さなキッチンがあったので、自炊か外食で食事を摂ることに決め、二度とその食堂に足を向けることはなかったのである。
必要以上の興奮と徹底した他者拒絶。考えてみれば、それこそがテレビ中毒の症状だったのかもしれない。今にして思えば本書の内容は他人事ではすまされない。このエピソードはある意味で一つの好事例といえはしまいか。たかが一少女の反抗心、されど反抗心。この程度といってしまえばそれまでだが。

40年以上映像メディアにさらされている私たち。しかし何千年も続く人類史の中でたかだか40年である。確かに未知の領域であることは否定できない。だから著者が指摘している様々な危惧が、妥当だといっても言い過ぎではない気もしてくる。しかしながら、問題が重すぎるし対処のしようもなく、さらにこうしてネット活用をし続けている私だけに、本書の内容を全肯定はし難い。が、かといって全否定もしにくいのである。現実的には、いきなり映像メディアを全廃することは全くもって不可能なことだ。ここまで発展し、優れた技術で、個人に対して多くの情報をもたらすメディアを今更放棄するなどという所業は私にはできない。それは、何人にもいえることなのではないか。

私なりの結論を言えば、本書をゲームやメディア依存に対する警告の書として片隅に置いておくこととする。未知の領域に踏み込んでいるからといって、いたずらに不安に感じることだけは止めておきたい。目の前にいる子どもたちは必ずしも不健全な状態とは言い切れないし、もちろん十分とは思えないが、しかし、壊れてはいない。たとえ個々に悩みや生活の崩れがあったとしても、それがきっかけで起こされるアクションをサインとして受け止めていきたい。アプローチしていくチャンスはいくらでもある気がする。そうしながら、もう少し長いスパンで経過を見ていくしかないと思う。

それにつけても背筋がゾッとするような一冊、そんな本に出会ってしまったと言っておこう。

本は義姉に譲ることにした。「ヤバい本ですけど、昨日話していたことに関連がありそうなので差し上げます。読んでみて下さい。」と。

次の日、義姉は「なんだか怖そうな内容だねぇ…。」と、目次をさらっと見たといって、一言感想を聞かせてくれた。



皆さんもまだの方は一度読んでみて下さい。その内容を信じる、信じないは別にして。
特に子育て中の方、怖いですが、現代の若者世代に起きている様々な事象の、原因の一端を知る機会になるやもしれませんよ。

ゲーム、ネット、メール…はほどほどに。生の人間同士であぁでもない、こぅでもないと対話しながら前頭前野を鍛えましょう。一人で前頭前野を鍛えるなら、DS脳トレ!あれ、それってゲームじゃん?懲りないメディア依存症?ん?

葛藤が起こるなぁ、この本。
12日から一人で帰省しておりました。

我が家にいても、開会式以降、ほとんど五輪観戦でダラダラ過ごしていましたが、
実家に帰ってからはその状態に拍車がかかりました。

実家から目と鼻の先に本屋さんがありますので、これではいけないと5冊購入して読み切りました。

それにしても、あ~のんびりした。

新幹線乗換駅の名古屋で名古屋名物てんこ盛りの幕の内弁当をお土産にしました。
その名も「名古屋めし」。名古屋と言えば…と思いつく物が九品そろっていました。
名古屋ってやっぱり元気なところですね。

パパと久しぶりの夕食。お腹がパンパンになってしまいました。

さぁ~てと、明日は職場復帰に向け、すこしウォーミングアップ(はてさて、何をしましょうか…?)して過ごさないと。それこそ久しぶりの出勤です。ちゃんと行けるかな…。

その前に、ここのところ興味深い本を結構読みましたので、明日はじっくりその書評でも書こうかなぁ。

今日はちょっと疲れましたのでそろそろ休みます。
# by my-colorM | 2008-08-16 23:20 | 日記
この夏受講した色彩指導者養成講座の認定試験結果が届きました。
結果は合格です。

これまでに受講した3つの認定講座の中では最も認定基準が明確な講座でした。また、採点されたテスト(答案用紙)と共に、提出したレポートや作品もすべて手元に返却される公正さや、試験から10日足らずで結果が郵送されるスピーディな点、さらに再試験日程も同月中に行われるという点などなど、いい意味で驚かされました。

9月下旬か10月の上旬に認定式が行われるそうです。どちらにしても平日開催であれば、本務に穴は空けられず、上京ままならない私ですが、ひとまず、ホッと致しました。

講座ではたくさんの先生方から示唆に富むご講義をいただきました。講義内容もさることながら話し方、プレゼンテーションの方法、提示物、教材など、参考にさせていただこうと思うことがたくさんありました。今後は勉強してきたことを自分なりの方法で実践に生かしていくつもりです。

さて、これから再試験に向かわれるという方もいらっしゃいます。暑い日々が続きますが、この機会を逃さずにかならず合格を勝ち取っていただきますよう、心より応援しております。
# by my-colorM | 2008-08-11 19:10 | 日記
昨日は、終日お休みをいただきました。勝手な自主研修と出張でなんだかクタクタ。そろそろ劇場で映画を観て均衡を保たないと…。

ということもありましたが、気がつけば、水曜日。映画1本1000円のレディースデイだったんですよね。これは今日を逃すことはできない。Movixの「おさきにネット」で座席指定ができますので、まずは上映予定を調べます。

で、これっと思ったのが『奇跡のシンフォニー』。予告で気になった作品でした。今週で終了というのが決め手になりました。それと、せっかくだから『火垂るの墓』も観ちゃおう。2本立てで行こうということで決定!いそいそと支度をして出掛けました。

『奇跡のシンフォニー(August Rush)』 (2007アメリカ映画・劇場)★★★★☆

『チャーリーとチョコレート工場』で見たあの純真無垢な笑顔に再会?それが、天才音楽少年エヴァン(オーガスト・ラッシュ)となって天から舞い降りた…そんな感じだ。映画って、やってくれる。
日常のありとあらゆる音が彼にとっては交響楽として響いている。そんなオープニングシーンにいきなり心がさらわれてしまった。風にふかれて渦巻く麦畑と一体化するシーンだ。まだ、楽器という表現ツールを知らないエヴァンにインプットされ貯まっていく音楽の元素。「音楽はどこから来る?」「空からさ。ただ聴くだけでわかるんだ。」…。11年とちょっとの間、純粋に音が自分とまだ見ぬ両親とを繋いでいると信じ続ける少年の真心がピュアに伝わってくる。
この映画で扱っている音楽がノンジャンルである。クラシックだったり、ロックだったり、はたまたゴスペルだったりレゲエもソウルミュージックもっていうのがいい。だから音楽を愛するすべての人々に好感を持って受け入れられるのではないかな。そして楽器を弾けようが弾けまいが、楽譜が読めようが読めまいが、音楽が私たちの中に喜びをもたらすのだという「真実」が後押しをしてくれる。
一人の男にとって一夜の恋が11年の歳月を超えて人生の変更を決定し得るものなのかとか、教会に迷い込んだストリートチルドレンがその音楽的才能を認められたとして、かのジュリアーノ音楽院に入学し得るか、また在学6ヶ月という期間で11才の少年が野外コンサートで演奏するシンフォニーを作曲し得るか…などという当然起こる疑問や突っ込みはこの際ナンセンス!!そんなものは隅っこに追いやって観なければならない映画だ。
本作は純粋に音楽の素晴らしさを確認させてくれる名作といっていよいだろう。


火垂るの墓』(2008日本映画 劇場)★★★☆☆

小学生のときに原作を漫画で見て、涙した。こんなに悲しい物語があるのかと心に染みたものだ。大人になってアニメができた。節子の声にリアリティが加わり、また涙した。その実写版。これは観ずにはおけない。公開の日に観ようと思ったが叶わず、今回に至った。
上空から写された(設定の)最初の空襲の映像。CGだとは分かっていても、アニメにはないリアリティが感じられた。そして雨の中妹を背負ってたどり着いた焼け跡の家には母の姿は無かった。町会長に案内された、夥しい重傷者が寝かされている簡易病院、避難所の公民館だろうか。口々からうめき声が発せられ、死に瀕した匂いが充満していた。上半身を包帯で巻かれた母に名を呼ばれても受け入れることができず逃げ出す清太。母のものも含め、遺体を大きく掘った穴に投げ込み一斉に焼却する場面では、清太やその周りの役者たちの無表情の演技に肉親の虚無感がにじみ出ていた。親の庇護のもと豊かな生活を送っていた兄妹は、母親の言いつけ通り、遠縁の親戚に身を寄せるも、父の不在、母の死によって、人としての正当な扱いを受けられずにネグレクトされていく。貧しさゆえに崩壊するプライオリティ。おばさんは心底悪い人間では無いはずだが、そうせざるを得ない極限状態が形成されてしまったのであろう。また、人間味の豊かさを象徴していたはずの校長先生がご神体を焼いてしまった咎で自害に追いやられるという不条理。こうした凄惨なエピソードのパッチワークによってあの戦争のむごたらしさが十二分に込められた映画だ。
実写版ということで、省ききれなかった血のイメージ、傷の痛みに少し減点。原作にあった泥のぼた餅のシーンが石のご馳走によるおママゴトに換えられていたのとサクマドロップの缶底の飴かすを水で溶かして飲ませるシーンがカットされていたのが残念。期待の名場面だっただけに勝手ながら減点対象としました。役者はメインの4人が本当に上手く演じていましたね。その点はおすすめです。
京都に帰る3日、Miyabiさんとお会いすることができました。前日お里からお帰りになったとか。私の方は午後の予定という予定は特になかったので、期待していなかった再会が果たせるというので飛び上がるほどうれしかったのです。アレコレ支度を済ませ、14:00には待ち合わせられるかと考えておりました。

問題は重い荷物…。文字通り荷物なんですが、テキストと資料にいただいた本に持参した本も合わせると、随分の重さになります。京都からは着替えなどを段ボールで送ってもらったので、その段ボールを利用して送ろうと考えました。

前日にしっかり調べておけば何のこともなかったのですが、そこは息子のPC。なかなか自由になる物ではありません。当日の朝になって、息子がバタバタと出て行ったあと、ようやくクロネコを検索。すると、当日午前中の集荷申込みでは13:00~15:00の時間帯から受け付けるとのことでした。Miyabiさんは出先のご用をされているはずなのですぐには連絡がとれません。

早めに来てくれたら…と期待して申し込みました。あとからMiyabiさんにその旨を連絡。するとさきに別の用事をしてそこそこの時間までならお待ちいただけるとの願ってもないお返事が帰ってきました。集荷の問い合わせ先に電話を入れて早めに来て欲しいとお願いしておき、部屋の片付けをしながら待ちました。

チャイムが鳴ったのが13:55。これまた、明日の午前中も出掛ける用事があるからと早めに着くようにとお願いするホント勝手なお客です。

程なくMiyabiさんから用事を済ませたとの連絡が入りました。用事が終わってもクロネコちゃんが来なければまたもや再会が果たせないところでした。メールポチポチがまだるっこしくて即電話を入れました。この機を逃してはならない!の思いからです。

…そうして、ようやく再会することができました。池袋の東武百貨店4F「シェ松尾」です。スウィーツ満載のメニューに色めき立ちましたが、朝息子と残りの食材を使って重ための食事をとっていましたのでお昼が抜けています。この際にと、プレートが三重の塔になっているランチを注文いたしました。Miyabiさんは温かいキャラメルティ(と思いましたが…)をかけるアイスクリーム。注文した品が来ると、高い三段重ねのプレートタワーでお顔が見えなくなりました。(笑)

色彩指導者の講座の先輩ですから、ひとしきり今回の講座について報告したり、Miyabiさんが受けられた別の講座についてのお話などあっという間に2時間は過ぎていきました。

このままお別れするのも淋しくて、つい、次の講師養成講座15期の皆さんとの会合にお誘いしてしまいました。この先のことを考えるなら、東京会場の皆さんと直接会っておく方が互いに都合がいいのではないかと考えてのことです。すぐにご主人様と連絡を取って下さり、会への参加が実現しました。

15期の皆さんは、本当に歓迎してくださいました。すでに旧知の仲のように皆さんが打ち解けていて、12期の大阪組がなつかしく思い出されました。私たちの時は最終試験日にすべてが終わってから本当の意味の打ち上げで会合を持ったわけですが、今期の皆さんはなかなか意味深い集まりをされているなと感心しました。「全員認定合格を目指して」という決起集会のような会でしたので、終始熱気ムンムンでした。ちょっと顔を出して…どころか、静岡組が帰られてからも居座り続け、結局席を立ったのは新幹線の終電1本前に間に合うかどうかという時間でした。(^^;)

皆さんの勢い、本当にこちらも元気をもらった気がします。最終試験までひと月を切っていますが、これはもうとにかく練習あるのみ。是非頑張っていただきたいものです。
# by my-colorM | 2008-08-06 11:04 | 日記
集中講座本日終了致しました。
様々なアプローチで色彩を学ぶことが出来ました。感謝!

さて、前回に引き続きまして…


〈5日目〉 今日はパッチリお目々を開けて!

午前中から前回居眠りでテストぼろぼろのO先生の講義。
聞き逃してはなるものかとしっかりお話に集中致しました。
色名はエピソードがたくさん出てきて面白い部分ですよね。

その後、環境と工業製品の色、流行色について学びました。
流行色のテーマは2月の東商の講座でお話し頂いた内容でしたが、
ありがたく拝聴致しました。

その後修了テスト。今日ばかりは冴えていました。

しか~し、その晩、息子と街に出てワインを浴びるほど飲んでしまいました。
東京入りしたその夜はグラスワインをいただいたのですが、今度はボトルに変更。

次の日のことを考えるべきでした。(反省)

〈6日目〉 体調悪~っ!

昨晩は家に帰り着いてバタンキュー。
朝目覚めると、布団も敷かずにごろ寝をしておりました。
頭も痛いし、なんだか喉もいがらっぽい…。風邪も引いてしまったみたい…。

今日は午前中は色彩調査の演習。実際にやってみるとよく分かります。
午後からは色票演習と色面構成。自分の職業を疑うような作品でしたが、
やっぱり調子が出てこなくて…(言い訳?)

そして最終テスト。色感テストも含み、80分で選択問題と論述問題に取り組みました。
選択はともかく論述はやっぱりむずかしいですね。
知識や理解があやふやなのがばれます。

全体が解散して、色彩教育研究会の幹事をされているA先生とお話しすることが出来ました。義務教育用のカリキュラム編成について少しばかり交流が出来たのは収穫でした。もうすぐそれをまとめた本が出来るとか。楽しみです。全造大阪大会にも来られるとか…。お会いできるといいなあ。

さて、お世話になった皆さんにお別れをいい、会場を後にして、それから講座で知り合ったKさんとEさんとお疲れさん会をしました。
講座中はなかなか他の方とお話しする機会がなかったのですが、2時間ほどお茶をしながらおしゃべりをしました。こういう出会いが何よりも楽しいですよね。

本ブログも紹介しましたが、いつかご訪問いただけることを願っております。

わぁ、明日は京都へ帰らなきゃ!お洗濯もしなくちゃいけません。
大変だぁ。

明日はAFTの15期の講座の方々ともお会いする予定です。楽しみ~♪
# by my-colorm | 2008-08-02 21:20 | 日記
東京入りしてかれこれ6日目となりました。

息子がレポートに追われていてネット環境から遠ざかっておりましたので
なかなかUP出来ませんでした。

というより連日の講座参加…、かなり疲れが出て来ております。

〈1日目〉思わぬアクシデントが…!

学校でプリントアウトした乗り換えの通り、新宿から大江戸線に乗ったはずでした。
なのに、なかなか目的地の駅名が聞こえてきません。

それもそのはず、逆走しておりました~(T_T)
気づくのが遅すぎまして、光が丘行きで「練馬」まで行って戻りました。
40分以上地下に潜り込んでいて、携帯で連絡もままならず、往生しました。

結局、会場へは駅からタクシーで向かい、すでにオリエンテーションを終え、
1時間目の授業が始まっておりました。

しかも、その日の終了時点でレポート提出の指示が…。
提出期限は翌日の受付時とのこと。ざっくりとしたテーマで1000字程度。

その晩、書いたレポートを夜遅く帰宅の息子に見せるといきなりダメ出し。
試験を控えて朝方まで勉強していた息子と共に夜を明かす有様。


〈2日目〉 午後の講義でいきなり居眠り…テ、テストが。

午前中はなんとかしのぎました。とても楽しい対比や同化、補色残像、錯視などの
提示があり、疲れてはいましたが、目はパッチリ。

ところが、昼食をとった後、O先生の講義でやられてしまいました。
ダメだと思い、頑張って目を開けるのですが、いつのまにやら…。

2日分の修了テストも眠くて眠くて。

おまけにO先生の問題は論述。「???」のまま、ギリギリまで粘りましたが時間切れアウト。


〈3日目〉 測色と混色、そしてカラーマッチン、グ~!

朝からどんどんどんどん、数式やら専門の用語が並びます。
いわゆる色彩工学のテーマですね。

午後は混色のお話。これがまたたくさんご説明頂きました。

最後に調色演習。初めての実習はなかなか楽しいものでした。

〈4日目〉 光のお話。照明あれこれも楽し~。で、トレーニン、グ~!んで、2回目のテスト。

光源の講義と照明を実際に見せて頂くショールーム見学。光のデザインは面白いですね。
午後は色感トレーニングです。微妙な色差を三属性で比較します。難しい。
テストはさっき習ったばっかり!!の問題にしてやられました。

…と、大変おおざっぱなご報告をさせて頂きます。

あと残すところ2日。ちょっと今日はゆっくりと休もうと思います。
では。
# by my-colorm | 2008-07-31 20:24 | 日記
久しぶりに夜行バスで向かうことになりました。

いつもなら京都駅からなんですが、今日は地元の宇治は大久保(23:13)発
そして、到着は新宿ではなく、渋谷マークシティ(翌朝6:00)着予定。

夜行バスは体力的に厳しいところありますが、仕事が終わってから向かえ、次の日丸一日が使えるのが気に入っています。例えば三連休ならば、金曜日の夜出発、月曜日までたっぷり過ごして帰りは新幹線なんて使い方が有効ですよね。今回は土日をガッツリ楽しみたいと思い、今日まで部活を入れて士気をを高め(?)お仕事をして、これから出発までゆっくり準備です。

東京入りしたら、とりあえず、26日、27日をゆっくり美術館巡りなどで過ごし、もちろん夜はテキストで予習もしますが、28日からの6日間集中の色彩指導者養成講座に臨もうと思います。

26日久しぶりに再会のはずのMiyabiさんとは急用がお出来になって会えないことになりました。とても残念なのですが…。

東京方面の方に連絡を差し上げましたが、先約がおありだったり、体調がすぐれなかったり、遅くまでお仕事だったりで、結局どなたとも約束できずに東京に向かうことになりました。(/_;)

でも、これも講座に集中せよとの天のお導きかもしれませんので、心を切り替えたいと思います。

では、行って参ります。

(息子よ、お前だけはこの母を見捨てないでおくれ…)
# by my-colorM | 2008-07-25 18:47 | 日記
遂にやって参りました。ハリポタ7巻。
全国に本日指定で朝の8時から(自分もそうでありながら)ぶっ通しの配達、
本当にご苦労さまでした。

予約販売で「今日でなければ」という全国津々浦々からの注文に応えられる配送システムがスゴイとしみじみ思いをいたしておりました。

本当にスゴイね。

で、そのお仕事に報いるべく、早速手に取り、読み始めました。

東京行きまでに読み終えることができるかな…?

仕事もあるし、無理かな、やっぱり。
# by my-colorM | 2008-07-23 23:22 | 日記
ハリー・ポッター第7巻翻訳本が23日に到着します。

原作本から1年。すでに内容は知っていますが、これはこれで本当に楽しみです。


先週、映画館の帰りに本屋さんに立ち寄り、三連休に読む本を仕入れてきました。
ハリー・ポッター到着までのつなぎ(?)です。


『色の名前に心を読む 色名学入門』(近江源太郎 著)

今年の4月に発行されたもので、色名を色彩学の様々な角度から捉え解説しています。
検定各級の副読本として参考にするといいでしょう。色名事典とは異なり、カラー図版は口絵に6ページ割いているのみですから、読むのが苦にならない方なら、持っていてもいいかもしれませんね。「基本色彩語」など、色名の歴史的変遷や文化比較などにくわしく言及されていて、「入門書」というわりにはハイレベルな印象が…、と感じるのは私だけでしょうか。


『エクセル 「頭のいい人」の使い方』(中山真敬 著)

一時期、「頭のいい人」がらみの本がとどまることを知らず続々出ていましたね。「△△の品格」本、「○○力(りょく)」本もそんな気がしますが…。そんなネーミングの一冊です。

成績処理に使う程度のエクセル使用は全く苦になりませんし、「使えている」、と思っています。でも知っていれば随分スピーディに作業が進むだろうというワザがまだまだ隠れていそうなのも事実。だって使用歴が長いわりに未だに目からウロコのワザを同僚から教わることがありますもの。他人のやり方を見ていると全然違っていて驚くこともしばしばです。使用者によって、同じことでも随分過程が違うというのも、考えてみればおもしろいことですよね。「なあんだ、そうやればできたのか」というやり方を教わるのもうれしいのですが、できればこちらが教えて、ありがたがられる方がよほど楽しいですよね。その手のネタ本がこの一冊です。

見開き2ページで1項目という親切な解説で100のワザが解説されています。主としてショートカットキーを上手く使うことでマウスとキーボードの切り替えを省略し、ストレスなく作業をする手立てを教えてくれます。私はもともとマウスが大嫌い。いちいちキーボードに移動するのが面倒なのです。その意味では志向に合っていると思いました。そういいながら、ショートカットキーの活用は今ひとつな私。なのでこのネタ本はちょっとうれしい発見がいくつもありました。本で得たワザを習得して、一秒でも仕事時間を短縮したいと思います。


『CASA BRUTUS 8月号』

サグラダファミリア聖堂の写真でほぼ反射的に購入いたしました。少し前、2026年(アントニ・ガウディの没後100年)完成説も出てきていましたが、同誌では、完成まであと30年と書かれています。それにしても副主任建築家ジョルディ・ファウリさんの名前が懐かしい。(NHK地球に乾杯『ガウディの謎を解け』1999年5月放映→最近久しぶりに授業で使いました)にたしか当時38才で出演していました。)そして、その番組で検討されていた柱のつなぎ目もしっかり完成し撮影されていました。8年前に訪れた時は確かまだ工事中だった部分です。あと30年か。射程圏内ではありますね。頑張って生きよっと。


『MODEetMODE 2008夏号』

色彩指導者養成講座で色彩構成演習があり、豊富なカラー版で構成された雑誌が必要とのこと。この手の雑誌は普段無縁なのですが、とりあえず手にしたのがこれ。プレタポルテ・コレクションのこの秋冬、つまり最新版です。CASAの今月号の広告ページに登場した目が飛び出るような値段のドレスも載っていて、これらのコレクション、値が書かれていないけれどどれも相当なお値段なのでしょうとあきれつつ眺めていました。世界に1、2着(多くても数着)という希少価値が値を決めているとはいえ、溜息ばかりですよね。おまけにモデルのスタイルがいい。どんどん無縁になっております。


『大人の友情』(河合隼雄 著)

昨年、京都市の教員を前に示唆に富む講演をされた直後、急逝した氏の著書。文庫本として今年2月に発行されました。Bunkamuraル・シネマで観た「ぼくの大切なともだち」が心に残っていて、背表紙のタイトルと著者名で手に取りました。

ユングの研究のため留学した氏が、「友情」についての講義で聞いた話。若いときに自分の祖父に「友情」について尋ねたら、祖父は、友人とは、「夜中の12時に、自動車のトランクに死体を入れて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人だ」と答えた、というエピソードを披露してくれた。…というくだりがあります。

そんな極端な話は現実的ではないにしろ、「ぼくの-」に優るとも劣らないほど考えさせられる本です。まだ途中ですが、ゆっくり読もうと思います。


『てのひらの迷路』(石田衣良 著)

NHKの番組で、関連性のない3つのキーワードをもとに24時間以内に絵本を完成させるというタスクを背負い密着取材を受けていた実力派の作家ということで認知いたしました。’97年デビューし、以来、連載を何本もこなし、取材にもばんばん応じる超人気作家とのことです。その短編集の一つがこれ。一編ごとにコメントがついているのですが、‘03年の直木賞受賞前後の短編作品であることが分かります。彼の作品のほとんどが東京を舞台にしていますので、東京行きが増えてきたのもあり、結構注目しています。最新(と思いますが)の『ブルータワー』も長編でしたが一気に読み進めました。なかなかおもしろかったです。まさに同い年の作家ですが、独特の透明感や軽快さで読みやすい作品ですね。大人の女性ファンが多いのではないかと思います。同い年といえば、「○○力」の齋藤孝もそうなのですが、共感するところが多いです。こちらもよく読んでいる方だと思います。


『ゲルニカ ピカソが描いた不安と予感』(宮下誠 著)

まだ読んでいる途中の本ですが、「キッズゲルニカ」に取り組むにあたり、勉強用に購入しました。ゲルニカ空爆のニュースを聞いた直後、1937年5月1日からスケッチが始まったのですが、45作の習作を網羅して解釈を加えています。初版が今年の1月。なかなか示唆に富む解釈がなされています。もうちょっとじっくり読む必要ありですね。


三連休、結構読めましたねぇ。色んなジャンルの読書がやっぱりいいですね。
先週の日曜日。5日から公開のアメリカ映画「スピード・レーサー」を観てきました。

コンセッションの脇にある大型ディスプレーでは大抵新作ムービーの予告編を放映してますよね。その映像がとっても斬新で美しかったので、次はこれだ!っと直感しました。

公開日にはあれやこれやでいけませんでしたが、一週おいて待望の映画を堪能してきました。

主題歌を聴くとなんだか懐かしく思い出されたのですが、それもそのはず1960年代の日本アニメ「マッハGoGoGo」(吉田竜夫原作)がこの映画のもとになっています。カーレースに蔓延る不正や悪に立ち向かう主人公とその家族や仲間たちのドラマが、あるいは抜きつ抜かれつの大興奮レース中継が、まさに1960年代調の高彩度マルチカラーのサイケデリックな色彩の洪水ともいえる映像の中で繰り広げられます。

色とりどりのネオンサインが動き続けているかのような鮮やかな原色づかいが各シーンに躍動感を与え、空想世界をより一層空想的に演出しています。レースシーンを観ると観客も光のシャワーの中で活き活きと蠢いていてその興奮が伝わってきますし、もちろん、カーレースのスピード感や興奮もその色彩なしに語れそうにありません。これでもかというほど色を使っているのに、どの場面も雑然とは見えずに美しく成立しています。現実離れした空間を演出すべく、相当練られた色彩計画のもとにセットの内装、外装が作り込まれ、登場人物の衣装が選びだされているからなんでしょうね。近未来のイメージカラーといえる金属色にプラスして効果的な反対色使いが随所に見られます。もちろんCGもたくさん使われています。実写部分はグリーンバックで撮影されたそうで、そういわれてみれば確かに登場人物の衣装にはグリーンはありませんでした。また正義の色、邪悪な色など色の持つイメージがうまく使われていてわかりやすい。これは日本アニメの色彩傾向と同じですね。

ストーリーは単純明快。なので子どもからマッハGoGoGo世代まで十分楽しめると思います。ところどころに日本アニメのテイストがちりばめられ、チンパンジーのチムチムも子役と一緒に名演技を披露してくれていて見飽きることはありません。

…が、私はそれよりもなによりもその色彩に関心が向いてしまいました。

DVDが出たら配色の研究材料として是非購入したいと思います。

色彩に関心がある方はご覧になるといいかもしれませんね。カラーデザインの発想が湧いてくるかもしれませんよ。
昨日、小学校での夏休み前最後の授業を終えて中学校に戻ると、再登校でやってきた部活動の練習真っ盛り。うだるような夏の日差し、蝉の大合唱の中、公式戦を目前にしての練習でしょう、掛け声やらボールを打つ音やらが混じります。すでに夏休みの空気だよなぁ。

机上の職員打ち合わせのレジュメに一通り目を通し、主任や近くの同僚にもろもろを確認したあと、2年生の焼き物作品の半乾燥のため美術室に向かいました。夏休みの間に焼成してもらうため業者には次の火曜日に搬送を依頼しています。そこで、作品輸送中の破損・変形を避けるため、ある程度固まった状態を確認してビニール袋の封をしなければなりません。まだ柔らかい状態で密封されているもの、ある程度固まっているものが混在していますので、すべての作品をチェックし、袋から出して乾燥をさせたり、ビニール袋での保管中に変形、破損しているものに若干手を入れたりと、クーラーなしの無風の室内で約2時間作業しました。夏休み前終了式の日、職員はいつもより帰宅が早いはず。3日間の休み中に作品が乾燥しすぎてもいけませんから、露出させての乾燥時間は約2時間ほど確保できればほどよい感じでしょうか。若干乾きが足りない作品はビニール袋の口を開けておいて緩やかな乾燥を目指すことにしました。涼しい職員室に戻り、汗だくになった全身をクールダウンさせ、さらに完全にその室温に順応してやや暑いと感じるぐらいまで、あれこれと机上の書類を精査し処理したのち、再び美術室に向かいました。ムワっと湿度を帯びた重い空気が占めていました。今一度乾燥度合いを一つ一つチェック、それぞれに最適な保管方法を考えて保管箱に詰め直しました。

この作業が終われば、ようやく私の夏休みがやってきます。

そして本日、三連休の1日目をのんびり…。と思いきや、昨日から左奥歯が痛い。数日前から歯肉の腫れが若干気になっていましたが、とうとう歯が浮き出して噛むのが億劫になってきました。

いっつもそう。休みになると風邪を引いたり、体調をこわすのです。損な体質ですよね。

集中講座で東京に一週間行きますので、治療もままなりませんがとりあえず診てもらうことにしました。トホホ。
# by my-colorM | 2008-07-19 09:55 | 日記
以前からチラリ、チラリと紹介しておりますが、日本色研の「色彩指導者養成講座」を受講します。

昨日そのテキストが到着いたしました。

これまで取得してきた検定試験や他の指導者養成講座で学んできたことを総括し、さらにレベルアップを図るといった内容になりそうです。といいますか、むしろそれを求めて受講しようと考えました。

本講座は、「モノづくりや空間設計」に携わる人たちに、色の知識や技能を教授できる人材の育成が本講座のねらいであるとしています。

そのため、テーマ設定が「色彩学」の学際的な性格を反映して大変広範です。しかもひとつひとつの内容が各級検定レベルはもちろんクリアした上での話、それを指導者としてどう的確に押さえていくのかが問われているような…、つまり、当然ながらかなり濃い内容となっています。というわけで期待を裏切らないテキストでした。

そのテキストを手にして、俄然、ファイトが湧いてきました!!がんばるぞ~っ!!


25日(金)の夜行バスで26日(土)の早朝東京入りします。宿泊は東京基地(息子の部屋)。大学の夏学期試験とバッチリかぶっていい迷惑!と思っている息子を尻目に、学生に戻ってしっかり勉強したいと思います。

26日には夕刻Miyabiさんと渋谷あたりで再会する予定ですが、東京近郊のお仲間とご一緒できたら幸いです。

講座の認定試験が2日(土)。4日(月)は全造大阪大会に要員参加することが決まっていますので、3日には息子と京都に帰ります。いずれの日にかお会いできそうな方は是非ご連絡下さい。ていうか、またこちらからもお声を掛けさせていただきます。

この機会に足を運ぶ予定の展覧会:東京国立博物館「対決-巨匠たちの日本美術」同「フランスが夢見た日本―陶器に写した北斎、広重 」東京国立近代美術館「カルロ・ザウリ展」「建築が生まれるときペーター・メルクリと青木淳」東京都美術館「フェルメール展」です。欲張りかなぁ。
# by my-colorM | 2008-07-13 10:17 | 色の話