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前々回の授業では言葉によるイメージトレーニング手法を学習しました。続いて前回は「アイデアスケッチ20×?」に取り組みました。

今回の授業では改めて「ふれあい」をテーマにイメージマッピングをさせました。

一番最初のセルに書き込む言葉があなたを絵を決めるものだと前置きをしておきました。

「人」(または「友達」)と書いた子どもがいました。絵が決まるということの意味は、その次にこのような質問をするからなのです。つまり、「人(友達)が一番気になるんだね。じゃあ、何をしてるところに「ふれあい」をかんじるのかなぁ?」と問うのです。

ここで2つ目の大事なキーワードが出てきます。すなわち、子どもがここで、「おしゃべりしているとき」と答えたり、「(一緒に)遊んでいるとき」と答えるのです。

そこで、「ふれあい」を中心に、絵を展開する時間と場所を決定づけるキーワードへと広げていきます。

たとえば、「おしゃべり」はどこでしているの?の問いには、「学校(教室)で」とか「公園で」などと新たなセルに書き込んでいきます。

私は、画面構成を言葉で設計するという試みをしています。「空」は上方に、「地面」は下方に地平線を設けて書き込みます。そしてs字の二本カーブの中に「川」と書きます。そしてその外側に「草」とか「花」と書いていきます。

そうした設計図を板書して、「こうして言葉を書くだけで絵が見えてきませんか。」と尋ねます。すると、「あぁ、何となく、見える。…見える!!」の声。「実はこれで大まかに場所が決まってくるんですよね。」というと、「そうか、外や。」。「それに、だいたいの時間もわかりませんか?」と問うと、「あ、昼間?」という答え。「どうしてわかるかいえる?」ついで代弁するように、「うん、そうだね、草や花が見えるということは周りが明るいからだよね。夜だと暗いからそこに何があるかはわからないわけです。」

前回、教壇に立たせて、「何が見える?」と尋ねました。視点を与えていくと、どんどん空間が見えてきたわけです。絵の画面構成もよく似ていて、画面に具体的な言葉を書き込むことで、視覚情報のように空間認識が形成されていきます。

さて、「教室で友達とおしゃべりしている絵」を考えたとき、セルは「机」「イス」「黒板」と追加され、さらに「黒板消し」「チョーク」「書かれている文字」などと具体的なイメージワードが加えられていきます。

作文などの文章表現でもそうですが、一つ一つ言葉が増えていく毎に情景が広がっていくことに気づかされます。言葉が加えられる毎に具体的な映像に置き換えられていくイメージでしょうか。そんな体験は小説などを読んでいる人なら容易に理解いただけるのではないでしょうか。

教室でどのような位置関係であるかはさておき、ある程度の情景描写ができたと思います。これが「公園で」となるとどうでしょうか。「公園」には「遊具」具体的にはと問うと、「ブランコ」「シーソー」「滑り台」「砂場」「ジャングルジム」…と言葉が加えられます。また「ベンチ」「花壇」「噴水」…と施設に設置されている設備が次々に増えていくわけです。

もうお気づきのことと思いますが、同じ「友達とおしゃべり(遊ぶでも)する」という二次的なキーワードの組み合わせでも、場を設定すると異なる「絵」が見えてくるのです。

こうやって、「時間」と「場所」が設定され、私たちは具体的に絵を描いていきます。「絵」にはなにかしらストーリー(描かれる背景)があります。そのストーリーを設計するツールが「イメージマッピング」だと言っても過言ではありません。大まかなテーマがある。描くべき中心がある。そしてそのストーリーが展開する場面を何を描くことで作り出すか。そうした手順をスモールステップでクリアしていくこと、それが、今回の授業づくりのねらいなのです。



「絵が苦手」「絵が描けない」という子どもにはいくつもの態様があると私は考えます。どの段階で描けないと言っているのか指導者は読みとっていかなければなりません。
見て描く力、想像して描く力が圧倒的に脆弱になっている我が校の生徒(小学生も…)に、限られた時間数の中でどうやって「スケッチ力」を身につけさせるか。この問題は、どうしようにも消えない悩みの種です。

小学生の苦手意識を取り除くために、今回取り組んだのは「アイデアスケッチ20×?」です。

これは、一昨年、中学校の3学年全員に「スケッチマラソン100」という取り組みで、A4サイズに4×5の20マスに「見て描く」、「想像して描く」、「テーマを決めて描く」など自由にスケッチするというシートを5枚与え、100個のスケッチを描かせたワークシートがあるのですが、それに少し手を入れたものです。

授業では、前回のイメージマップを返却し、「ふれあい」からたくさんのイメージワードを連想した取り組みを振り返り、その集中力や努力を誉めました。たくさん書いたイメージワードは、今回のスケッチの大切なヒントになります。

「この前は言葉をたくさん書きましたが、今回はたくさん絵を描いてもらいます。」と言って、黒板に「一秒で」と板書します。すると、「え~、一秒で絵描くの~?ムリ~、ムリ~!!」と大騒ぎする子どもが出てきます。が、「いえいえ、そんなことは私もムリと知っています。」といいながら、「…わかる絵を描く」と続きを描き、音読をします。

そうです。独りよがりではなく、相手に「一秒で」わかってもらえる、描いたものが何なのか伝わる絵を描くんですよと指示してワークシートを配布します。

ワークシート1枚につき20個、描けたら続いて2枚目3枚目は取りにくることとしているので、「アイデアスケッチ20×?」というわけです。中学生にははじめから5枚セットで配り、「スケッチマラソン100」としましたが、今回のワークシートは子どもの力量や意欲に依存するものとしました。

今回の取り組みは先にも述べたように、「苦手意識を払拭する」目的があります。そこで、一つ一つを小さく描く、「ふれあい」のテーマの準備として描くものですが、あえてテーマから離れても構わないものとしています。

1クラス目は「ブレーンストーミング」も「イメージマップ」も若干堅い雰囲気があって低調な印象でしたが、案の定今回のワークシートも1枚の途中でおしまいだったり、多い子どもで2枚、最高は4枚目までという結果でした。

でも、子どもたちの様子が本当によくわかる取り組みでした。何を描いたか、一つ一つ近くの子どもに尋ね、伝わっているのを確認して、ほっとしながら次に描き進めている子ども。何を描くのか迷いに迷って、絞り出すように描いている子ども…。どの子も手はゆっくりではありますが、じっくりと取り組んでいる様子です。

何を描くかで迷ってしまう子どもが数名認められましたので、途中で、「数を増やすための(ありがたい)ヒント」として、
 
①「○○シリーズ」で描く

  果物、野菜、丸いもの、理科室にあるもの、動物園、水族館、楽器、スイーツ、食べ物、スポーツ、…

②「あいうえお図鑑」

  「あ」のつくもの、「い」がつくものなど順番に探して描く

③「絵しりとり」(最後に「ん」がつかないように注意!)

と板書します。

こうするとだいたいの子どもはお題に事欠かない状態になります。すると、これまで手が進まなかった子どもも次第に描くペースが上がってきたりします。

それでも、まだ取り組みに消極的と見られる子どもが何人かいるもの。そんなときは子どもたちの相互の影響力を引き出します。

方法は簡単。3分間と決めて、教室の中を見て回らせる時間をとるだけです。

これまで自分やその近辺だけで展開していた取り組みは、この「見て回る」だけでダイナミックに変化します。恥ずかしがって隠している子どもも、いつの間にか近しい友達に見せて、なにがしか言葉を交わし、ニコニコと他の子どもの絵を見始めたりしてくれます。

その後がおもしろい。これまでよりもなんだか楽しそうに絵を描き始めるではありませんか。

そんな光景に何度か出くわしました。おそらく、「きっと自分はへたくそだから誰にも通じないだろう」と思い込んでいる子どもが案外多いのだと思います。自信がない子どもは絵に対して苦手意識を抱いてしまいます。

でも、友達にわかってもらえたという事実がまんざらでもないというちょっとした自信に変わり、他のみんなが描いている絵もそれほど違わないことにも気づき、同じように自分も絵を描いてみようという意欲につながっているのかなと感じます。

私は、毎年、簡単に「描けへん」と言って課題を放棄してしまう生徒にたくさん出会います。その経験から、描かないから描けなくなる、そして自信がなくなる、苦手意識が増すという「負」の連鎖を強く感じるのです。

逆の発想でとらえると、絵が描けるようになるには、たくさん描くがよいということになるでのではないでしょうか。そのための一歩は誰かに自分の描いた絵が何かわかってもらえる経験=自信なのではないかということなんですね。

いきなり白い大きな画用紙に向かって、「ふれあい」をテーマに描きましょうと言われても私だってそうそう描けません。そこでこのようなスモールステップでテーマに迫っていく手法を取り入れているのです。

「アイデアスケッチ20×?」は、次回、「ふれあい」のイメージマップをさらに、前回書いたように「自由連想」ではなく「固定連想」で展開し、主要アイテム(何を画面に登場させるか)を探らせることから再スタートを切ろうと考えています。

授業の最後にそう予告をしました。

そのときに、さらにもう一つのメッセージを伝えました。

一人の子どもを黒板を背に立たせて、指導者と同じ目線で教室を眺めさせました。そして質問責めにします。

指「何が見える?」
子「人(みんな)」
指「みんなの他は?」
子「机」
指「机は浮いているの?どこにどうなっているの?」
子「??…置かれてる?」
指「…というと、どこに?何が見えるの?」
子「地面、教室の…床?」
指「そうだね床が見えるね。だんだんいろんなものが見えてきたね。じゃあそうやって見ると他に何が見えるの?」
子「ドア、掲示物、…」
指「そうだね、その下にはロッカーがあり、その中のランドセルなども見えてきたはずだね」

という風に、私たちの身の回りには何もないというところはなく、目の前のありとあらゆるものがその場の空間を占めています。ところが、そのように目の前にありながら、私たちはそれらすべてを常に見ているわけではありません。見ると言うことは大変あやふやであり、意識しなければならないことだということがわかります。

目の前にありながらも見ていないことが多い。だからそれを絵に描くということだってかなり難しいわけです。見てもいない(想像してもいない)ものを具体的なわかる絵にすることはできません。絵が描けないというのは、目に入ってこないという空間把握・空間認識の問題でもあるのだということなのではないかということです。

子どもたちにはそんな難しいことは話しませんでした。そのかわりに話したことは次のような内容です。

絵というのは、一つのアイテムを描いたら、さらにその周りをどんどん他のアイテムで埋めていくことでどんどん豊かになっていくんですね。先ほど、○○君に教室を眺めてもらいましたが、最初は人しか目に入りませんでしたね。でもどんどんその周りにいろんなものがあることに気づいてくれました。それと似ています。また、絵には時間と場所が描かれます。その絵が表しているのは「いつ」なのか、「どこ」なのか、そうやってストーリーを作っていくようなものだと考えてもいいでしょう。

そういいながら少し具体例を示しました。そうした話をしている間、聞いておられたT2の担任の先生の方がウンウンとうなずいていたのが新鮮でした。

次回は「ふれあい」という言葉であなたが一番ピンとくることは何ですかと問いながら、イメージワードをさらに引き出し、絵に描いてもらおうと思います。
一つお目当ての展覧会を鑑賞したので、後は気楽に映画を…と、今回はBunkamuraで一つ、新宿バルトで二つ、上映中の映画を観ることにしました。

東京入りしてからワンセグTVで何度となくCMをみた「おっぱいバレー」。記憶に粘るタイトルですが、そのタイトルに似合わず「感動的」らしいという宣伝文句に観賞意欲をそそられました。

国語科新任の非常勤講師として、とある中学校に赴任した若くて美人な女性教師。朝礼台で自己紹介している最中、5人の男子生徒が、何度も語られる愛読書のタイトルを聞いて、勝手に誤解し大騒ぎ…。私が中学生の時代に遭遇したことのある男子生徒のエピソードだなぁと思っていると、昔懐かしい70年代ソングがつぎつぎと…。

エッチな妄想で頭がいっぱいの、ある意味純情で一途な男子中学生たちが、女先生とのたった一つの約束を励みに、成長していくひと夏の青春ストーリー、それが「おっぱいバレー」です。

年代としての性への目覚めは同じでも、70年代の子どもたちは、エッチ情報がネットで際限なく取り放題の今の子どもたちとは置かれている環境が格段に違います。刺激だけは強いけれども詳細は巧みに隠されている大人のテレビ文化に煽られ、まだ触れ得ない異性に悩み、夢み続けます。そんな70年代の少年たちのほろ苦い純情がさわやかに描かれた好作品といえるでしょう。

かたや、教育の現場の緩やかさ、教員のおおらかさとともに一人の悩める教師として教育にかける真摯な態度にも、かつての昭和40年代を懐かしく思い起こさせるエピソードが展開しています。中学校での合宿や部活部屋などは今ではあまり見かけなくなりました。

恩師との時を隔てた温かい心の交流に、教師としての初心を確認していく若い駆け出し教員の葛藤と成長もサイドストーリーとして感動を与えてくれました。

昭和の文化や気分がいっぱい詰まった45~55歳ぐらいの年代の青春ソング満載のBGMも楽しみの一つ。若い人たちだけでなく、大人も是非見ていただきたい映画です。

チケット売場で映画のタイトルを告げるだけでも恥ずかしかったのですが、そうして手に入れたチケットを不意に紛失したことに気づきました。再びタイトルを告げなくてはならなかったのが超格好悪い上、チケットが落とし物としてインフォメーション預かりになっていて、また別の人に真顔でタイトルを口にしなければならなかったという、ちょっとした出来事がありました。何せ純情世代の私。赤面を禁じ得ないエピソードだったことも付け加えておきましょう。
だいぶ放置が続いてしまいましたね。pomeraに書きためたものをここでちょっとまとめて更新します。

遅ればせながら…GWは東京に行ってきました。

今回のメインはBUNKAMURA 20th anniversary 展覧会「忘れえぬロシア」の鑑賞です。

高校3年生の夏、東京で観た「ロシア移動派展」以来、その強い印象に釘付けとなった、イワン・クラムスコイ「忘れえぬ女(ひと)」との再会を果たしました。

30年の時を経ながらも、その絵の迫力は変わらなかったのですが、私自身の職業柄、絵画慣れといいましょうか、はたまた俯瞰視点が利いているのか、かつての強烈で圧倒されるような感動にうち震えるといったようなことはなかったのです。

移動展派の画家たちの中でもイリヤ・レーピンは私の好きな画家でも上位に食い込む存在です。その思いは今回の再会でも少しも変わることはありませんでした。クラムスコイへの見方ももちろんですが…。

本展覧会で得た強い印象は2つ。

一つ目は、額の色彩に改めて約束事を見いだしたこと。これはとても重要なことですが、額縁は必ず、絵の中の一色が使用されているという約束ごとを見つけました。絵の中の一色(風景描写が多いので、木の枝や幹などの色が使われていることが多い)がまとまり感を持たせつつ、適度なコントラスト感をももたらしています。というより、絵画自体の色彩計画において、それらの色はアソートカラー(補助色)に使われていることが多いようです。

こうした視点は、ある絵の前に立ったときにいきなり強い知覚として私を捉え、その後ぬぐい去ることができなくなりました。その絵は秋の木の葉の黄色が印象的なオストロウーホフの、「黄金の秋」という作品でした。その絵のところに来ると「あっ!!」と思わず声を出しそうになりました。それまで額縁の色は明るめのO~YR系の木の色でしたが、その絵に使われている額色はこれまでと違って、dkかdkgの暗い色調でした。画面の黄色を明らかに引き立てるコントラスト感のある額色で、その絵の先は、視点が「絵画とその額の色」に固定され、検証作業に費やされ、先の結論が導き出されたというわけです。

二つ目は、残念ながら音声ガイドの陳腐さです。今回もいつものように500円を出して音声ガイドを借りました。ですが、今回ほど鑑賞の邪魔になったガイドはありませんでした。特に目の前の絵に関する、「この絵の中に描かれている人物は作者なのかもしれません」などというようなご意見は全く不要であり、他にも「?」が点灯した解説がありました。実は今回は息子と共に訪れたのですが、同じように音声ガイドを聞きながら鑑賞した彼も同じところで反応しており、同様に不快を感じていたのでした。

ま、とりあえず、メインの展覧会鑑賞を終え、後は映画でも…ということで東京にいる間に3つ観ました。
次回はその記事を続けます。
by my-colorM | 2009-05-17 06:28 | アート