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武蔵美の教員免許更新講座で選択領域として選んだのはグラフィックデザインコースでした。

理由は、デジタルの時代にレタリングはやらないという声を美術科の先生方からよく聞くのですが、私は中学生には学ばせたいと考えており、その確信が持てる内容であればいいとの期待をもったからです。

タイトルは「文字とデザイン」。言葉や情報の伝達に欠かせない「文字や活字(フォント)」の基本的な知識と、その取り扱い方の基礎を学ぶという内容でした。

必修領域の受講生が150名ほどでしたから、7つのコースに平均すれば20名以上は集まる計算ですが、グラフィックデザインコースは10名と、比較的にゆったりと実習に臨める人数で、終始落ち着いた環境でした。

そんな中に、なんと再会したKさんと友人のCさんもいらして、楽しさが何倍にもなったというわけです。

前提講義は2時間。文字の成立から活字(活版印刷術)の発明、その意義と広がりの歴史をスライドを見ながら学びました。改めて知ることばかりで驚きと感動の連続でした。

続く実習の要領を先生がスイスイ手を動かしながら解説してくださるのですが、いちいち気づかされることばかりで見惚れてしまいました。

課題は、4種類の欧文書体から、好きな書体を選択し、大小、ウエイト(字の太さ)の違う活字素材(数種類のフォントファミリーのアルファベットや数字、記号、約物と、その欧文フォントとさらに親和性のある和文フォントでできた情報文字列)を切り貼りして、仮想のフォント見本帳の展覧会ポスターを作成するというものでした。

先生のデモンストレーションは、文字列が数センチ置き換わったり、文字の大きさがほんの少し変わるだけで、たちどころに印象が一変する、さながらマジックを見ているようです。

そう、すっかり見惚れていると、「まぁ、こんな感じです。じゃあ、皆さん、やって見てください。」と。そこで、4種類の欧文フォント成り立ちの背景の資料を渡されて、好きな書体を選んでくださいというわけです。

ざっと歴史を学んだところで、続いて資料で個々の人気の高いフォントの成り立ちや特徴を調べて、そのポスターを作れと仰せなのです。

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写真は後に購入した甲谷 一著「きれいな欧文書体とデザイン」名作書体の特色とロゴづくりより[株式会社ビー・エヌ・エヌ新社発行]
(この本がまた素晴らしいのですけど)


私が選んだのは、エリック・ギルの「ギル・サン」でした。

合評会は2日目の2時からということで、素材をいただいて実習が始まりました。









by my-colorm | 2014-08-12 09:09 | アート
残暑お見舞い申し上げます。

この夏休み、積極的にお休みを取得しておりますが、それも残すところ土日を入れてあと5日となりました。久しぶりに更新して振り返っておこうと思います。

梅雨明け後に長い猛暑日が続いたこの夏、政府観光庁は国民の節電行動を促す「ポジティブオフ」を推奨しました。積極的に休暇を取って、旅行や外出をしよう。それによる一家庭の節電効果は70%の見込みとの目論見から発した取り組みです。スーパークールビズと共にどの程度浸透しているのかはわかりませんが、連日の暑さの中、電力需要が供給を超えない(さすがに90%に達する日もありました)程度で推移しているところを見ると、効果はまずまずといったところでしょうか。

この夏、私がとった「ポジティブオフ」行動の行き先は、美術館。誘い誘われ、出張ついで、買い物ついでにと、例年の夏休みに比べてグンと足を運ぶ回数が増えました。

まずは、「MIHOミュージアム」。友人の車で山越えドライブでお出かけです。夏の青々とした木々のきらめき。森を奥深く進んだ先に突如として現れる広大な敷地。エントランスに咲く蓮の花。美術館へは電動カートで移動しました。山を切って建設し、植栽はもとの山の木々を植え戻したとのこと。ガラス越しにまんま山の景色が広がります。このシチュエーションは他に見たことがありません。まさに圧巻です。企画展は南アメリカの古代の美術品で、十分に楽しめましたが、常設展が予想を超えて充実していました。エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマ、中国、インド、南アメリカ…。各地域古代の美術品をまとめて見ることができる、この美術館ならではのコレクションも必見です。昼食に利用した併設のレストランでは、自然農法で生産された食材のみを使ったメニューが並び、少し値段は高めではありますが、本当においしくいただきました。帰りにパンも買って帰りましたが、どれも美味。よいお土産になりました。

同日、つづいて訪れたのが「佐川美術館」。こちらでは「セガンティーニ展」と、先日亡くなった佐藤忠良館の追悼展、常設展へと足を進めました。「帽子の女」の作品でよく知られた具象彫刻の佐藤忠良。美術の教科書への言葉でなじみが深く、亡くなられたと聞いたときには、改めて作品に触れたいと思ったものです。佐川でこれほどまでの展示がされているとは知りませんでしたので、訪れることができてよかったと思いました。

夏休みに入り、美術部の共同制作で使う和紙の購入のため、改装なった京都文化博物館へ。楽紙館は文博の一角にあります。部活の後から出かけたので、ちょっと遅かったのですが、とりあえず、「日本画~きのう京あす~」(前期)を観ました。京都の日本画壇の重鎮の作品とさまざまな会派の新作展だそうで、画風も画題も様々。会派50音順という展示方法にちょっと驚きを覚えつつ、早足で見て回りました。燃えるように赤い作品に惹かれる傾向にある私に気づきました。後期はこれから行こうと思っています。

夏期研修講座が終わり、東京に旅立ちました。余談ですが、夜行バスで向かうはずでした。コクーンの乗り心地を確かめるつもりだったのです。昼過ぎの落雷で夕刻研修から帰る電車は大幅にダイヤが乱れていたのですが、それが、その晩遅くまで影響するとは思いませんでした。最寄り駅から出るはずの電車が来ません。やむなくキャンセル。当日のキャンセル料が発生。翌日朝一の新幹線で東京に向かうことになりました。

朝早くどうしても東京入りしたかったのは、10:00東京駅出発の「ホキ美術館鑑賞と翠州(スイス)亭会席料理の会」に参加するため。息子はその建物に興味があって、私はNHKの新日曜美術館で観て是非ともと参加を決めた催しだったのです。


(続きは次回に)
by my-colorM | 2011-08-13 12:20 | アート
だいぶ放置が続いてしまいましたね。pomeraに書きためたものをここでちょっとまとめて更新します。

遅ればせながら…GWは東京に行ってきました。

今回のメインはBUNKAMURA 20th anniversary 展覧会「忘れえぬロシア」の鑑賞です。

高校3年生の夏、東京で観た「ロシア移動派展」以来、その強い印象に釘付けとなった、イワン・クラムスコイ「忘れえぬ女(ひと)」との再会を果たしました。

30年の時を経ながらも、その絵の迫力は変わらなかったのですが、私自身の職業柄、絵画慣れといいましょうか、はたまた俯瞰視点が利いているのか、かつての強烈で圧倒されるような感動にうち震えるといったようなことはなかったのです。

移動展派の画家たちの中でもイリヤ・レーピンは私の好きな画家でも上位に食い込む存在です。その思いは今回の再会でも少しも変わることはありませんでした。クラムスコイへの見方ももちろんですが…。

本展覧会で得た強い印象は2つ。

一つ目は、額の色彩に改めて約束事を見いだしたこと。これはとても重要なことですが、額縁は必ず、絵の中の一色が使用されているという約束ごとを見つけました。絵の中の一色(風景描写が多いので、木の枝や幹などの色が使われていることが多い)がまとまり感を持たせつつ、適度なコントラスト感をももたらしています。というより、絵画自体の色彩計画において、それらの色はアソートカラー(補助色)に使われていることが多いようです。

こうした視点は、ある絵の前に立ったときにいきなり強い知覚として私を捉え、その後ぬぐい去ることができなくなりました。その絵は秋の木の葉の黄色が印象的なオストロウーホフの、「黄金の秋」という作品でした。その絵のところに来ると「あっ!!」と思わず声を出しそうになりました。それまで額縁の色は明るめのO~YR系の木の色でしたが、その絵に使われている額色はこれまでと違って、dkかdkgの暗い色調でした。画面の黄色を明らかに引き立てるコントラスト感のある額色で、その絵の先は、視点が「絵画とその額の色」に固定され、検証作業に費やされ、先の結論が導き出されたというわけです。

二つ目は、残念ながら音声ガイドの陳腐さです。今回もいつものように500円を出して音声ガイドを借りました。ですが、今回ほど鑑賞の邪魔になったガイドはありませんでした。特に目の前の絵に関する、「この絵の中に描かれている人物は作者なのかもしれません」などというようなご意見は全く不要であり、他にも「?」が点灯した解説がありました。実は今回は息子と共に訪れたのですが、同じように音声ガイドを聞きながら鑑賞した彼も同じところで反応しており、同様に不快を感じていたのでした。

ま、とりあえず、メインの展覧会鑑賞を終え、後は映画でも…ということで東京にいる間に3つ観ました。
次回はその記事を続けます。
by my-colorM | 2009-05-17 06:28 | アート
今日は雨。しかも寒い…。
まっ、ほとんど車内や室内で過ごすのですからあまり問題はありませんが。

お昼には到着したいと思い、新幹線に急いで乗車(息子へのお土産なし)、ちょうどお昼に東京に着いて、どこかで昼食をとも思ったのですが、混み合うといけないので、まずは東京都美術館に向かいました。フェルメールを中心にデルフトの風俗画家の作品を集めた「フェルメール展」を先に見ることにしたのです。

常々、画家のスタイルは、連綿とつらなる縦の関係や同時代の横の関係にある、他の画家達の影響を受けつつ、つくられるのだと考えていますが、まさにそれを示す展覧会でした。フェルメールは日本では屈指の人気画家であることに異論はないでしょう。しかし同時代の彼の周辺にいた画家達は日本においてはほとんど無名です。今回の展覧会はそのあたりにスポットを当てていました。

ですから、どこかフェルメールの主題や手法によく似た作品が見受けられました。聞いたことのない画家がなかなか興味深い、面白い絵を描いていました。フェルメールはもちろんですが、それらの画家の絵もそれなりに楽しんで若干足早に回りました。

図録はちょっと高かったのですが、装丁のよい方を選んで購入しました。2種類の図録を見たのは初めて。作品が大きくていいかなと思ってのことです。

初めてと言えば、音声ガイドもペンタイプで手元のプリントされた絵をペン先でタッチするとガイドが流れるという新しい機材でした。番号を打ち込むよりも操作が簡単ですし、何よりももう一度確認したいときに絵をタッチするだけですので、聞き直すのが容易。また、絵にあわせてつくられたという音楽も用意されていました。今回は急いでいましたからそういった場面はありませんでしたが、これならベンチに座って混雑を避けながら音声ガイドで音楽を聴いて過ごすことも出来ますね。

「大琳派展」。これはなかなかの迫力でした。本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳・乾山、酒井抱一、鈴木其一の、継承しつつもそれぞれの持ち味を生かして発展しながら進む姿に感嘆しました。この展覧会も視点はまさに「継承」と「発展」(展覧会では「変奏」ということばを使っていましたが)ですよね。天才がいきなり現れて全く新しい手法を編み出すということではなく、人が人を敬愛し、憧れ、その域に近づこうとし、そしていつか、さらなる高みや広がりへと超えていく…その営みが芸術や文化を発展させているのだと考えています。「大琳派展」はまさにそのことを事実として見せてくれたものと思います。

さて、こちらも分厚い図録を手に入れました。キャスター付き旅行鞄がいきなりグッと重くなってしまいましたが。

濃い内容の展覧会をたて続けに観て、足が棒になってしまいました。鶴屋吉信(東京国立博物館の休憩所の奥の方にあります)の「あんみつかん」が私の中では定番になっているのですが、今回もそれを頂いてほっこりいたしました。東京で京都を味わうのもなかなかいいものです。

とにかく明日の「ピカソ展」が今回の東京入りのメイン。楽しみです。でも混雑しているかなぁ。

せいぜいエネルギーを貯めておかないと…!あぁ、それにしてもお腹がすいた。
by my-colorm | 2008-11-08 18:25 | アート
美術部員を5人連れて、美術部向け漫画作画ワークショップなるものに参加してきました。

現役の漫画家先生とアシスタントをされている方が館内案内と作画指導をしてくださいました。

漫画イラストの部誌を2~3ヶ月に一度出すくらいに漫画に傾倒する部員が多い割に、こうしたチャンスに興味を示さない生徒も多く、参加者は全体の1/4にとどまりました。

それにしても、お話によると30万冊の漫画を所蔵し、常時5万冊が自由に閲覧できるように書架に陳列されていますが、壮年から小学生くらいまでの入場者が思い思いのスタイルで読みふけっている様も興味深いものがありました。建物よこの芝生広場で寝転んで読んでいる姿はなんとものんびりした様子です。

この「京都国際マンガミュージアム」は廃校になった旧・龍池小学校施設を改装・増築して作られています。もともとあった地下室に温度・湿度の保たれたガラス張りの保存スペースが設けられ、寄贈された物も含め、貴重な資料としてたくさんのマンガが保管されています。旧小学校のレトロな建物は、京都の町衆の手による豪奢な雰囲気を今に伝える施設なのですが、大人も子どもも集い、活況を見せていました。

さて、生徒たちが指導を受けたのは、「漫画家のアシスタントをしてみよう」という設定で、主人公の黒髪の黒ベタ(天使の輪っか有り)、吹き出しづくり、走っている人の動きを示す線描、注目を集める集中線の4つです。

あらかじめ、7割近く完成した漫画原稿に、上記4つの仕事を加筆していくというので、漫画家の先生が模範を示して下さり、用具の使い方も直接指南いただいての作業となりました。

いつもはぺちゃくちゃと静まることのない子どもたちですが、今日はどの生徒も真剣でした。外国の方の参加があるそうですが、お話では、本校生徒皆、とても真面目で誠実な描画をしたとか。日本人の特徴なんだそうです。例えば、筆ペンによる黒ベタでは、大抵日本人ははみ出すのを嫌うそうです。外国の方は画面をくちゃくちゃにする(曰く、はみ出したら髪が長いことにしてしまう)人がたくさんいるとおっしゃっていました。マンガミュージアムを訪れる外国人が結構居るそうですが、そういえば一階の書架にはたくさんといえるかどうかは分かりませんが、外国のマンガも並んでいましたし、その棚を熱心に見入る外国人の姿もありました。

また、これは意外なことだったのですが、台詞につける吹き出しについてもおもしろい文化比較ができるそうです。日本人は感情表現としての吹き出しの形を暗黙の了解のうちに理解しているということです。強い驚き、心の中の驚き、ちょっとした驚きなどは、吹き出しの形でそのニュアンスの違いを感じ取って読み進めるものだと思っていました。ところが外国人にはなかなかその形の意味が理解されないのだとおっしゃっていました。どうしてなんでしょうね。私たちはコマ割の読み進め方に戸惑うこともありませんが、案外、当たり前なわけではないそうです。

さて、道具の中には、目新しい物がありました。それは水色シャープペンです。墨入れ前の下描きや、アシスタントへの指示メモなどに使われるそうです。なるほどファックス原紙は水色の升目があります。最近カラーシャー芯を見かけたことがあり、何に使うのかと疑問に思いましたが、これは応用が利くグッズだと気づかされました。

その他の用具として、インク瓶とGペン、ホワイト、コインの貼り付けてあった定規がありました。Gペンは使ったことがなかった子どもたち。慣れない書き味に少し戸惑ったようです。インクは楕円の穴にかからないようにつけること、水性の黒インクを使うので、ペン先に手脂をつけてはいけないこと、使い終わったらインクを拭き取っておくなど、きちっと指導していただきました。参考になります。定規に1円玉が3個セロテープで貼ってあったのですが、これはインクこすれによる泣きを防ぐためで、フラットな定規を浮かすための工夫でした。エッジの浮いた定規ならその必要はないのですが、たまたまネットで発注した定規が意に反してフラットだったので、加えた工夫だそうです。こういう問題解決法が大好きです。

指導してくださったのは、精華大学の漫画学科を卒業された方でした。漫画家志望は中学生ぐらいからだったり、本格的に書き始めたのは大学に入ってからだったり。本校でも毎年何人かが漫画家になりたいと希望を語ってくれます。多くのアシスタントを従えて、締め切りに間に合うように日々苦労されている様子がうかがえました。地味で気の遠くなるような制作です。

そういえば、7月に部誌が完成する予定でしたが、締め切りに間に合わない部員のために、印刷原稿が届いていません。共同制作のシルクスクリーンTシャツづくり、個人制作のイラストボードもどんどん迫ってくるだろうし、ましてや各学年の文化祭展示担当として引っ張りだこ(のはず)で忙しくなるだろうと思われるのですが、…う~ん、君たち、緩慢ですよ。

夏休み最後の1日。有意義が半日が送れました。
by my-colorM | 2008-08-22 19:20 | アート
代々木運動公園で開催中のシャネル・モバイルアート展。東京のアートシーン体験の一つとして、是非とも観覧したいと東京出立の直前に情報をゲットして強く思ったのでした。

そして15日、予約券(入場料0円)はありませんでしたが、「薔薇空間」のBunkamuraに足を運ぶ前に、渋谷駅でNHKふれあいセンター行きのシャトルバスに乗り込み、代々木公園にむかったのでした。会場到着はぐるり回って11:00ちょっと前でしたが、すでに多くの方がキャンセル待ちの列をなしていたのです。黒ずくめの係員から「予約券がございませんと、2、3時間ほどお待ちいただくことになるかもしれません。」と言われましたが、この際致し方ないと最後尾で待ち始めた矢先でした。一人の女性が近づいてきて、「お一人ですか?友人が来られなくなったのでよろしかったら…」と12:00のチケットを差し出して下さいました。

リアルにラッキー!!と感じたと同時に「ラッキー!ありがとうございます。はい一人です!」と言って、まさに「渡りに船」とばかり、一切の遠慮も躊躇もなく、差し出されたチケットを受け取っていました。

入場待ちのグループがまた現れると、さきほどの係員が近づいてきましたので、「12:00のチケットが手に入ったのですが…」と言うと、30分前にゲートに集合と告げられました。すでに並んでいるグループの方々にばつが悪いので、目の届かない日陰で読みかけの本を読んで30分待つことにしました。

予定通り、ゲートを通過し、待合シートで待機しました。そして予定時刻になり、12:00予約の組が会場内に案内されました。

入場は二人ずつ、入り口シートでイヤホンをつけられ、流れてくる音声の指示で鑑賞者は行動します。

物語仕立てになっており、声の主の先導でインスタレーションや映像を個別に鑑賞していきます。

ペアで入場と言いましたが、その相手とは交流があるわけではありません。ただ、時間差が短いので、動き出すタイミングが計れてしまうので、つい意識してしまいます。

こうした各人が自由に鑑賞するのではなく、先導によって移動し流れていく鑑賞体験は初めてですし、流れがスムーズで何よりも「静か!」。要らないおしゃべりが聞こえてこないのが画期的。あくまでも鑑賞が個人的なレベルで行われているし、鑑賞に浸れるというのが新しいしユニークな形態でした。

モバイルアート展は今回、香港に続いて2箇所目。次はニューヨークにパビリオンが移設されて開催されます。

その建物は、100号記念の「CASA」にも載っていましたが、ザハ・ハディトという女流建築家の近未来的で流体的というか、ドームのような仮設の施設で、先にも書きましたが、インスタレーションと映像の展覧会です。

音声は約40分。そのガイドに従って、作家のそうした展示物を鑑賞していくのです。

主催者がChanelですから、自ずとそのテーマは「袋」すなわち「バッグ」です。特に豚皮のキルティングのバッグをテーマに展示物が構成されています。あのシャネルのバッグを鑑賞中に何度も何度も手を変え、品を変え見せられ続けました。最後には印象的なピンクのどでかいバッグも登場し、見る者を圧倒しました。

しゃべる者もなく、静かにそして整然とこれらの展示物を観ていく姿…。帰りに何かの展示を別会場で行っているとの係員の補足説明がありましたし、立派なパンフレットもいただきました。この規模の展覧会を無料で公開とは。しかも音声ガイド付きです。

これは洗脳的でもあるし、CMやアドバタイズメントとは異なる新たな企業広告スタイルなのだろうと正直感心いたしました。

それにつけても、なかなか奇抜な企画ではありました。同展は7月4日まで。週末の各曜日3回ほどが追加で予約を受け付けます。その週の木曜日以降ファミマかチケットぴあで予約ができるようです。興味のある方は是非。

それにしても、待ち時間少なく鑑賞できてとてもラッキー。チケットを譲って下さった方に感謝!です。
by my-colorM | 2008-06-19 23:29 | アート
本日から「コロー展」。前回の「ウルビーノのヴィーナス」の観覧時に同展の前売りチケットを購入。待ちに待った開催でした。

入場できたのは1時過ぎ。新幹線から山手線に乗り継ぎ直接会場の国立西洋美術館に向かいました。
インフォメーションに大きな荷物を預けたあと、早速音声ガイダンスを利用しながら進みました。1/4ほど進んだところで、今回の企画をされた方の講演会があるとの館内放送が入りました。2時からのその会にぜひとも参加したいと、近くの係員さんに相談の末、音声ガイドを一旦戻し預かって頂き、荷物を預けたインフォメーションに戻って、聴講券をもらい参加することになりました。

初日にはこうした特典がありますね。そういえば、国立博物館の「薬師寺展」初日に観覧した際もやっていました。

聴講券を呈示すると、同時通訳機が手渡されました。コロー展の立役者(コミッショナーというそうです)の一人、ヴァンサン・ポマレット氏はフランス、ルーブル美術館絵画部長の肩書きを持つ人です。そして日本のコミッショナーは高橋明也氏。本展開催にあたり取り組んだ研究をまとめ、コローの足跡を訪ねた「コロー名画に隠れた謎を解く!」の著者です。というわけで、フランス語の同時通訳がなされたわけです。

講演が始まると、いきなり美術史学的な既成概念をまず打ち破らなければならないと言及されました。

印象派が戸外での油絵制作の始めたとの捉え方があるが、17・18世紀の動物画家においてもしかりで、すでに、コローも小品ながらも戸外で油絵を描いていたのだという事実を知るべきだというのです。コローが学んだアカデミーでも、デッサンやルネサンス期の作品模写とともに、戸外での写生の重要性を教えている点を無視することはできないと付け加えました。

また、原色の使用についても(あたかも印象派以降の専売特許のように考える向きがあるけれども)、18~19世紀の画家達はすでに赤・青・黄を用いて画面に明るい光や動く水、湖面などを表現しようとしていたし、影は黒で表すのではなく、影にも色があることを承知していたことも見逃せないとしています。

さらに、固定的な見方として、新古典主義が長い間、様式美を追求するあまり、クリエイティブとはいえないとされてきました。そしてその反発として画家の思想や感情の自由が求められ、写実主義的なドラクロアのようなロマン主義の美的傾向へと進んでいったとする美術史の流れがあるというのです。そうした見方もコローを通して変える必要があるのではないかとの提案です。コローに見る感情表現の自由度、写実性は新古典主義の思想から教授されている事柄が多いという事実にふれて論じているのです。

シスレー、モネ、ルノアールと同時代に晩年のコローはいわゆるスヴニールつまり「思い出」という主題で過去のスケッチや習作を再構成して情緒豊かで音楽的なニュアンスをもった風景画を描いています。印象派の画家達が最も影響を受けたであろうとされる、未完成で筆致の荒い部分を残したコローの初期のイタリアで描かれた絵画傾向は、コローの死後公に知られるようになったのであって、印象派の画家達はそれらを見て参考にすることは出来なかったはずだとしています。その点から、コローを印象派の直接の先駆者であるという位置づけはいささか強引ではないかと指摘していました。

絵画傾向の変遷については、西洋美術史において非常に受け取りやすいように流れが説明されていることが多いように思います。いわゆる美の系譜といってもいいでしょう。紋切り型で図式的、模式的ともいえるスッキリとしたストーリーも教科書を作る上では必要なのかもしれません。

しかし、こうした異論が真っ向勝負の形で投げ込まれても、にわかに理解できるものではありません。もうしばらく熟成してみたいと思います。

ところで、私が今回の展覧会で自分の目で知り得たことを記しておきたいと思います。

まず、コローが初期のイタリア時代にコロセウムの風景を同時期に時間帯を変えて描いていたとわかったことです。この手法はモネが光をとらえる方法としてとった手段と同じです。また、後に夕焼けの風景を描いた作品はモネの夕暮れの風景の色とほとんど同じでした。モネがコローの絵からインスピレーションを受けたとしても不思議はないだろうと直感しました。

つぎにコローは風景の中に取り入れる人物に緑の補色である赤を多用します。帽子だったり、胸飾りだったりその取り入れ方は色々ですが、アクセントとして小面積の赤が様々な絵に登場しています。これらの色づかいや筆致がゴッホや点描画を実践する印象派の画家達に影響を与えたとしてもやはり不思議ではありません。

さらに、コローの描く人物は衣服が大胆に省略されており、細密な描写がなされていないため、塊の量感が見るものを圧倒します。こうした塊の表現は風景画における省略の表現からも見て取れますが、そうしたとらえ方がセザンヌを彷彿とさせますし、荒い絵の具の打点のような筆致が印象派の画家達の絵の具を画面においていく表現へとつながるように思えるのでした。

だからコローが先駆的としても何ら異論はないんですが…。

未整理で恐縮ですが、とりあえず今のところの展覧会の感想です。
by my-colorm | 2008-06-14 21:51 | アート
朝7時頃帰宅した息子。さすがにほったらかしてお出かけも出来ず、お昼ご飯をつくって起こすまで眠っていました。

で、起きるまで何度も何度も携帯アラームが…っと思いきや、不在着信の連続だったらしく、お友達やら先輩やら何件も電話がかかっていて、起きてからも携帯を度々。今日のお出かけの予定を昼下がりからに変更したようで、ヴァイオリンを始めました。

2時過ぎ、ようやく行動開始。上野に向かいました。

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年末。今年最後の展覧会となるのは「ムンク展」でした。

ムンクと言えば「叫び」ですが、今回はその超有名な作品は来ていませんでした。その前後の「絶望」「不安」という、構図、色共によく似た作品が展示されていました。

そして、今回の展覧会で私の中の単純な図式、つまりムンク=「叫び」の図式がほどけました。
ムンクは「装飾画家」を自称していました。そして「フリーズ」という独自の展示様式を模索し続けていたのです。

「フリーズ」というと今時、凍る、働かなくなるといった意味に取りがちですが、ここでいう「フリーズ」は西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、彼は帯状に自分の作品を効果的に架けることで、一枚の作品では語り尽くせない、相乗効果としてのテーマ性のある空間をねらいました。ある種の「シリーズ」といったらいいかもしれません。

彼は自分の多くの作品を手元に置いておき、アトリエを「フリーズ」の試作品のように展示替えをしながら試行錯誤を繰り返しました。絵は空間の装飾として扱われるものとし、テーマを決めて描き、並べたのです。

幼い頃に母や姉を亡くしたムンクは繰り返しメランコリックな作品を描き続けました。私の中で最も共感がわき起こった作品は「病める子供」。14才のムンクが姉の病死を目の当たりにして何度も描いたこの題材の集大成であるかのようです。ムンクの作品を続けて見ていくうちに、何か誰かの葬儀に会葬しているかのような沈鬱なムードに引きずり込まれました。
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             「病める子供」(1925年)


彼のフリーズを注文する依頼主が現れ、様々なエスキースを残し、精力的に描き続けるムンクでした。けれども自分のテーマ性を重視したあまり依頼主の希望にそえずに受け取りを拒否されたというエピソードを残しています。彼の頑固な一面を展覧会で見ることが出来ました。

そして、後半のフレイア・チョコレート工場の装飾やオスロ大学講堂の壁画、幻の市庁舎の労働者フリーズにはそれまで見てきた、『「生」と「死」と「不安」の画家』という見方を覆すような、自信にあふれた力強い作風の、人間愛に満ちた彼の新たな側面を見た思いがしました。展覧開催後には自然と沈鬱なムードは払拭され爽快な気分になっていました。

さて鑑賞が終わり、ミュージアムショップでのお買い物は倉敷美術館で見ていたからなのか俄然惹きつけられた「マドンナ」のポストカードとそれを入れられるファイルノート。いつもは購入するカタログはやめておきました。

買い物を終えると閉館間際で日もとっぷり暮れて暗くなっていましたが、ふと外に目をやると、ロダンやブールデルの彫刻が置かれた前庭がクリスマスイルミネーションで飾られていました。

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               ロダン「考える人」確認できますか?


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        ブールデル「弓を引くヘラクレス」とロダン「地獄の門」


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        遅ればせながらクリスマスツリーのイルミネーションです


これは「光都東京LIGHTPIA2007」に期待大になってくるというものです。残りの2日のうちのいずれかで行くべきですかね。

はてさて、混雑まみれになるんでしょうか。雨が気になるところですが…。

   私の街http://my-colorm.myminicity.com/
   2つめの小さいビルが建ちました。
   こちらにもどうぞお立ち寄りくださいね。
by my-colorm | 2007-12-27 22:20 | アート
今日は、六本木まで出かけ、私の使っているブログサイトで見つけたあるセミナーに参加しました。が、その報告はもうちょっと整理してから…。

で、そのセミナーが3時半過ぎに終わりましたので、さあどうしましょ。ということで、向かったのが六本木ヒルズ。森ビルで2つの展覧会をやっています。前回のル・コルビュジエ展は昼間でしたが、今回は夕刻。きっと夜景がきれいなんだろうなぁとの期待もあって、土曜日ですから夜間も延長していますし、のんびり2つを観ることにしました。(混雑が予想されたので新美術館の「フェルメール展」はやめておきました。)

まずは「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展。これはいきなりガツンと来ました。コンテンポラリーアートということで、若干引き気味に足を踏み入れたのですが、あに図らんや。これはなかなか魅力溢れるアーティスト揃い。残念ながら、私め、あまり日本の現代アートには造詣が無くて、四谷シモンさんと内山英明さんしか存じ上げませず…、ちょいと情けないのでしたが、お一人お一人の美術にかける情熱をいろいろと発見し、ホント感動いたしました。

なかでもサイケデリックにも見える高彩度色が鮮烈な、できやよいさんの作品一枚一枚に引き込まれました。イラストチックな作品ではありますが、気の遠くなるような積み重ねが、全体としてまぶしいほどの光を放つ作品です。その色彩の美しさは筆舌に尽くしがたく…。ああ、願わくば欠片でも手元に置いておきたい。そんな衝動に駆られました。印刷にしてしまうと…、う~ん伝わりませんねぇ、あの魅力は。

気の遠くなるようなと言えば、さらにお若い版画家でいらっしゃいますが、冨谷悦子(ふかやえつこ)さんの細密なエッチング!!燃え立つような赤い壁面に作品はあるのですが、角に展示室が続くと思いきや突然自分の姿に驚く…縦長の大きな鏡だったんですね。ま、そうした展示場のサプライズにも幻惑されつつ、超細かいニードルワークに見入ってしまいました。左下のプリントナンバー1/30が妙に気になり…。ということは手に入れるチャンスがあるのかも(幻想です!!)これまたコレクションしたい作家の一人です。

大いに笑ったのが、田中偉一郎さん。彼の作品はどれも意表をつくモノが多いのですが、一人で見に行っているのに声に出して笑ってしまう作品なんですね。たとえばですが表札というのは縦長なモノですよね。ところが田中にかかるとビヨ~ンと横に長くなってしまうんです。あり得ない数の家族の名前。子宝に恵まれるとこうしたモノにせざるを得ないんでしょうか。題して「子づくり表札」。魚拓に至っては、スーパーマーケットのお刺身が拓本されてしまいます。そしてなんと言っても一番可笑しかったのは「ハトの命名」です。神社か公園で撮影した何気ないハトの群れなんですが、一羽一羽映像を止めて名前のテロップがつくのです。その名前がありそうでいちいち面白いんです。これには隣で観ていたカップルと一緒に大声で笑ってしまいました。

…というように、観て楽しいだけでなく、今回は「計算の庭」という、一枚の数字カードを持って「×3」とか「÷2」とか「+8」といった白いゲートをくぐり、「73」という計算結果にならないとゲートを出られないという観客体験型の展示がありました。佐藤雅彦さんと桐山孝司さんの作品です。数字カードはたくさんあって、6種類の計算ゲートを選んでくぐり、答えにたどり着くという参加者にとっては非常に知的なゲームですが、その理論は奥深そうです。

こうした展覧会は森美術館ならではという気もしますし、これだけのアーティストをそろえられるあたりがやっぱ東京だなぁと思いました。

毎回毎回刺激的な東京出張!!です。

さて、続いて森アーツセンターギャラリーでやっている「Coats!」展も観てきました。MaxMaraの裏側を見せてくれる展覧会。MaxMara歴代のコートやそのデザイン画や生地見本などが展示されています。パーツごとの製造工程のビデオなども面白かったのですが、しつけや待ち針なしで直に縫製してしまうところが大胆。驚きました。

そして、そして。2つの展覧会の後はゆっくりと夜景を見物。ホワイトルームならぬビニール系のホワイトクッションチェアが、座り変えるたびに中の光が7色(多分…)に変わっていくという、ぼ~っとするにはぴったりのリラクゼーション体験をしました。側面にロゴが書いてあったんですが、残念ながら覚えていません。が、昨日の色彩心理を生かした癒しグッズに間違いありません。監修が誰なのか、気になるところです。

素晴らしい夜景を見て、このまま東京基地に帰るのももったいない、と言うわけで、映画を一本観ることにしました。

その時間たまたまやっていたのが「マイティ・ハート-愛と絆-」。スリリングで臨場感があり、サイコサスペンスかと思わせるところもありましたが、実映像(パウエル国務長官・ムシャラフ首相など)が登場し、実話に基づいた作品であることに気づかされました。そして衝撃のラスト!とっても重い内容でしたが、アンジェリーナ・ジョリーの迫真の演技に胸が潰れそうな悲しみを覚えた感動作。私の心にいつまでもガツンと残る一本でしょう。

こうして、帰宅は10時半を回りました。息子は高校の時の友人と食事をし終電目指して帰ってくるそうな。

東京最後の明日は、息子の大学の学園祭にちょっぴり顔を出してみようと思います。サークルの特別演奏会でうまくすると20分程度出演できるそうで。どうなることでしょうか。
あぁ、それでこちらに遊びに来ているのか、お友達が。っとようやく気づいた私です。


アートの先端・東京、面白いですね。ホント。
by my-colorm | 2007-11-24 23:50 | アート
夏休みに入ってまもなく出かけた市の美術科夏季研修では、倉敷の大原美術館で、「鑑賞」をテーマに主として美術館の学芸課長柳沢秀行氏よりレクチャーしていただいた。

氏は、目の前に置かれた一台のホワイトボードを素材に対話型鑑賞をやってのけた後、1枚の絵がもつ情報には何があるか、参加者一人一人を順番にあて挙げさせた。60ぐらいすぐに出てくるはずとプレッシャーを与えつつ…。

大きく分けると、絵の周辺にあるもの、すなわち、作者がらみの情報と、絵そのものが含むもの、すなわち描かれているものから読み取れる情報ということができる。

作者がらみの情報には、作者、タイトル、制作年代、時代背景、描かれたり保管されていたりする場所などで、いわゆる展示される場合、絵の横に貼られているキャプションに書かれることが多い。

絵そのものから読み取れる情報には、形、色、マチエール、主題、画材、技法、作品サイズ、モデル、モチーフ、絵に描かれた場所、登場人物の表情…などなどであり、図録やましてやモノクロ図版ともなるとたちまち読み取れなくなるものも含まれる。

鑑賞教育が盛んに論じられるようになって久しいが、対話型鑑賞について、美術館で現物を鑑賞する優位さを実感して帰路についたことを思い出した。とはいえ教室で授業をする上での展開の仕方など可能性も開けたことも事実だが…。

さて、いまさらなぜそれを記事にするかということだが、それはふと手にした某大学の学部報が発端である。そこで1883年に起こった火山の大噴火が1880年代の絵画に影響を与えたかもしれないという仮説を論じていたのである。

自然派と呼ばれる画家たちは、奇しくも産業主義が急速に発展し、自然破壊の波が押し寄せた19世紀にジャン・ジャック・ルソーの思想をもとにした「自然へ帰れ」のスローガンの中で、生まれている。自然が危機にさらされて初めて自然回帰という現象が起こったのだ。

印象派の画家たちもこの自然派の流れの中からあらわれた。彼らが戸外に出て光溢れる世界をキャンバスにとどめようとしたという話は本ブログでも何度か書いているところだ。

さて、学部報によると、大噴火はインドネシアのクラカタウ島で起こった。有史以来の大噴火は島の大部分を吹き飛ばし、その噴火で生じた巨大津波で数万人の犠牲者が出た。また噴火で拡散した火山灰は3年以上成層圏を漂い、1886年ごろまで夕日が黄金色や緑色に輝き、夕焼けがこの世のものとは思えないほどの美しさであったという。

また、クラカタウ島の大噴火と絵画との関係について、ムンクの「叫び」など血のように染まった夕焼けが取りざたされているという紹介もしている。このことはウィキペディアの記事をみてもそのような記述がある。

画家が見たであろう特異な自然現象が、絵に描かれているかもしれないという仮説は興味深い。モネの作品の中にも年代に注目したならそのような作例を見ることができるかもしれない。モネに関しては夕焼けを描いた作品がことさら数多い。だから、そのうち大噴火ののちの3年間に見られたと思われる美しい夕焼けにモネ自身が心を動かされ、キャンバスにとどめたであろう作品は必ずあるに違いないと思えるのである。絵画作品が含んでいる情報の一つに、画家が見たこうした特異な自然現象も挙げることができそうだ。

ちなみに、学部報の寄稿者によると、氏の説を実証する例はまだ見いだせていないという。1886年に最後となった印象派の展覧会(モネはこの時出品していない)が開かれたが、ここで出品された作品を全部観てみたいと述べている。

私の手元に「モネ大回顧展」の図録がある。1883年から1900年代にかけての夕日に着目して当たってみた。

1883年の「エトルタの日没」p86に描かれた夕焼けはどことなくムンクの「叫び」の背景を想起させる。だが、この作品はモネが1883年1月から2月にかけての3週間に滞在して描かれたものであるという。クラカタウ島の大噴火が同年8月に起こっていることから、時期的合致は見られない。ただし、モネはこのエトルタの地をたいそう気に入り、その後3年間毎年訪れ、60点もの作品を残しているという。

1886年の印象派展に出品された作品にしろ、モネのエトルタにおける残る作品にしろ、検証するに値する作品はまだまだあると思われる。

絵の見方は様々であってよい。重要なことは、新たな視点を持つことだ。興味関心を抱くことから作品との対話が進み、深い鑑賞へとつながっていく。個人が絵を観ながら、作者やその思い、その時代についての想像を膨らませ、思いを巡らし、そのことを通して、今を生きる個人の感性をより高め、深めていくことが鑑賞という行為である。

件の学部報がもたらした新たな視点に従うならば、作品の中に歴史的大事件・大災害の痕を見つけることができるかもしれない。

 


(参考までに、Orga’s Gallaryは絵画作品の画像収録数が膨大で、検証してみる価値がある。)
by my-colorM | 2007-08-26 01:38 | アート