18年前の今日のこと…

(今回こそ全く私的な内容で…失礼します。)

「今日中に産みましょう。」

かかりつけの産科をまだかまだかと数日前から訪ねてはそのたびに家に帰されていましたが、
昼前に破水してようやく入院となり、注射をしてから陣痛促進剤の点滴を打つ直前に先生から掛けられた言葉でした。

自分の体にこれから起こることがどういうことなのか、一体どうなっていくのかがよくわかっていない私…。
初産でした。





「は、はい…。」

注射は産道を柔らかくするものと説明がありました。

予定日は9月23日。秋分の日でした。数日前に指定の内科で骨盤のレントゲン写真を撮りにいき、おなかの中でのんびり育ってきた胎児もなんとか通り抜けることができるだろうという診断をいただいていました。10ヶ月目に入り急に太り始めて、むくみも出てきていましたし、予定日を過ぎてもなかなか兆候がなく、入院前に何回も通ったのはただただ心配だったからです。

そんなこともあって、とにかく先生にお任せするしかないと思っていました。

分娩室に入る前、別の待機室にベッドが2つあり、そこで胎児の心音をとるベルトをおなかに巻いて、点滴を打ちながら、横になって待ちます。隣のベッドは空いていました。

ぼんやりと(今日中か、10月1日、たしかにキリがいいな…)(明日は日曜日だから先生の都合だろうか…。)そんなことを考えながら小刻みに打っている心音にまだ見ぬ子どもとの対面を思いました。

女の子なら「真梨子」、男の子なら「大輔」。命名字典で画数を調べながら二人で候補を絞っていました。どっちかな?私たちは産まれて来るまま受け入れたいと考えていましたから、性別を訊ねることはしませんでした。

少しすると、次第にグワ~ンッとおなかが張り、息がつまるような痛みがやってきました。その痛みで緊張と不安が一気に襲いかかりました。これが陣痛か、ならば間欠という時が来るだろう。ところがその痛みは間断なく押し寄せます。たまらず看護婦さんを呼びましたが、「力を抜いて!余計な力を入れたら赤ちゃんが苦しいんだからね!」と励まされているのか怒られているのか…。力を抜けったって…!ギリギリ巻いてくる痛みをこらえようと思ったら自ずと力が入るってもので…!横になったりいろいろと向きを変えてみても身を置く場所がない。楽な姿勢が見つからないのです。

腰をさすってくれながら「息を止めたらダメよ。ほら、胸で息をしたらいいから。そうそう。」を看護婦さんが声を掛けてくれます。痛みが治まるわけではありませんでしたが、そばにいてくれるだけで不安は和らぐ気がしました。

隣のベッドに別の妊婦さんが入った気配がしました。カーテン越しに看護婦さんとの話し声が聞こえてきます。ウンウンうなってもいられないし、私だけ看護婦さんにいつまでも甘えることもできません。じっと耐え続けることになりました。

隣の方は初めてのお産ではなかったようで、割と落ち着いていらっしゃるようでした。数時間で先に分娩室に向かわれました。うらやましさと焦りが同時にわき起こりました。

どのくらい経っていたか記憶は定かではありませんが、耳について苦しいので心音ベルトは看護婦さんがついているときだけにしてもらいました。そしてやはりいつまでも痛みが続くので「ずっと痛くって…」と泣きつくと、先生に相談してくださり、点滴を外してもらえることになりました。心音の拍動を聞かずに済み、押し寄せるような痛みもようやく耐えられるレベルにまで治まり、というか状況に慣れたのかもしれませんが、おなかに力を入れてはいけないということにのみ集中してそのときをひたすら待ちました。

胎児がグッと下がってきているのはいつの間にか呼吸がしやすくなっているので気がつきました。それまでは大きなおなかで胸が圧迫されていて小さな息を小刻みにしているような状態でしたから。

夜の10時をまわったくらいでしょうか。
「全開大」の状況となり、分娩室に向かうことになりました。
もう一度「今日中に産むよ。頑張ろうな。」と普段眼孔がするどい先生がにこっと笑って声を掛けてくださり、思わず「はい!」と返事をしました。

分娩台でもしばらく待ちの状態が続きました。なかなか赤ちゃんが降りてこないらしいのです。

それでもようやくそのときはやって来ました。
「いきんで!」「もっと!」「もう一回!」
そのたびに頑張るのですがどうやら力が弱いようで…。

吸引分娩という補助手段を受けることになりました。
そしてまた鉄棒を握りしめ、歯(くつわ)を食いしばり、ありったけの力を込めます…。

すごい勢い(そう、まさに一気に!)でドロンと産まれ出てきました。
10月1日(土)23:46。男の子でした。
すぐに産声を発しました。真っ赤な、しかししっかりと大きな赤ん坊でした。
「3,908グラム。」秤に乗せて先生が教えてくれました。

看護婦さんが赤ん坊をガーゼでぬぐって胸のあたりまで連れてきてくれました。
のぞき込むと何とも言えない安堵と「これからだな」という思いとが交錯しました。

…このように18年前の10月1日はふがいない私とそんな私のもとに来てくれた一人息子の格闘の1日だったわけです。

誕生日。

毎年、何かとプレゼントを奮発して(といっても大抵私が文化祭前の超多忙な日だったりするのでプレゼントの目録だったりしたこともしばしばですが…)、甘い親を続けてきたように思います。
おそらく順当にいけば来年には息子は親元を離れて暮らすことになるはず。
来年からは誕生日を共に過ごすことがほとんどなくなるのだろうと思います。
なので断片的にしか話せなかった誕生の日の様子を書き留めておくことにしたということです。

さて、10月2日になってしまいましたが、その後、看護婦さんは赤ん坊を連れて待合室で今か今かと待っていてくれた夫と実家から来てくれていた母とにガラス越しで面会をさせてくれました。

産後の処置が済むとベッドに横たわりましたが、待機室と分娩台で聞いていた心音が完全に私の耳に残っていて一晩中鳴り響いているようでした。体は疲れ切っているのに、うれしさと責任と不安と期待ととまどい、両親やそれにまつわる家族、見知らぬ過去の人々への感謝…ありとあらゆる思いが次から次から浮かんできて、それでも一番最後には幸せな気持ちが湧いてきて口角をゆるませるのでした。そうしているうちに朝がやってきました。

その日はソウルオリンピックの閉会式の日で、マラソンの実況中継が流れていました。

その後、息子の名前は改めて命名することにしました。
命名の由来はここには書けませんが、アルバムの「おかあさんからひとこと」の欄の最後に「素晴らしい一生を送ること。21世紀の担い手としてガンバレ!!」と熱く書いていました。これは今でも同じ気持ちです。

子育ては苦しかったことよりも楽しかったことの方が断然多かったように思います。しかも一緒に成長してこれました。夫から言わせるといつまでも母子一体だそうです。たしかにまだまだ互いに未熟者。完全に手を離しても自立できるようになるまでこれからもう一踏ん張り、親としての仕事を果たさなければなりません。
by my-colorM | 2006-10-01 00:49 | 日記