エキサイティング東京…Part2

東京国立博物館を後にして次に向かったのは千代田線「根津」駅です。それが最寄りのメトロの駅だったのですが…。すでに12時を超え、だんだん時間も苦しくなってきます。次は今回の東京行きの発端となった岡本太郎の「明日の神話」の取材に出かけなければなりません。

「根津」駅の構内案内に着目するとこれから足を伸ばすつもりの小田急線に直通ということが判明。どこかで見て覚えていたのかもしれませんが、思わず心でガッツポーズでした。

これで次の目的地「岡本太郎美術館」へスムーズに移動できます。といっても電車の所要時間は40分を下りません。ゆっくりお昼を食べているわけにはいかず、そのまま最寄りの「向ヶ丘遊園」へ向かうことにしました。

各停のメトロから「代々木上原」で小田急線の急行に乗り継ぎ、変わっていく景色を眺めながらの一人旅です。川崎市。都会で働く人々のベッドタウンなんでしょうね。ちょっとずつのどかな住宅街が見えてきます。

「向ヶ丘遊園」駅は急行停車駅でした。なので乗り換えることなく、駅に降り立ちました。南口からタクシーに乗るとよいと美術館のHPでチェックしていましたが、タクシーの姿は無く、とりあえず簡単にお昼をと、近くのコーヒーショップでこれまた軽く「鶏のチーズフォンデュの入ったトースト」とアイスコーヒーをいただきました。量は少ないのですがどうもこれ以上は無理そうです。

店員さんにタクシー乗り場を尋ねると駅を出たところにあるということのようです。店を出てそちらに向かうと確かにタクシー乗り場はありました。しかしタクシーが止まっている気配は無く、二人のご婦人がベンチに掛けています。「(タクシー)来ませんか。」と尋ねると「いつもならたくさんあるんですのよ。」と暑いのにもまいるわという表情で答えると、日の当たるベンチを避けてこちらにいらっしゃいとばかり私に日陰の部分をわけて下さいました。

なかなか来ないタクシーを待ってしばらくじっとしていました。その後一つ二つ声を掛けてみたもののまともな会話になることは残念ながら無く、そのうち一台が来て二人になり、またおばあさまが来られたので同じように日陰を作ってお誘いして三人で待ち…、30分程でしょうか、ようやく2台続けてタクシーがやってきました。

「日本民家園へ」これもHPに書かれていた通り運転手に告げるとすぐに車が出ました。「なかなか来ませんでしたが…。」と尋ねると「晴れたらこんなもんだね。」の一言でおしまい。何を尋ねてもぶっきらぼうに片付けられてしまうのだろうとその後はずっと車窓に目をやりました。

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タクシーは生田緑地の入り口で停まりました。ここから先は歩いていきます。東京の近郊にこのような木々に覆われた空気のおいしい場所があるものだと関心し、それまでの暑さを忘れさせてくれる木陰の涼しさにそれだけで得した気分になりました。

日本民家園も時間があれば訪れてみたい、昔のつくりの木造古民家群が点在する公園です。好奇心はくすぐられますが、そんな誘惑に負けていたらこの先どうなるものと心を鬼にして目を反らします。どんどん杉林を行くと奥に建物が見えてきました。

川崎市岡本太郎美術館
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母の塔 (原型制作年1971年)
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岡本太郎美術館のシンボルタワーである高さ30mの「母の塔」です。「大地に深く根ざした巨木のたくましさ」と「ゆたかでふくよかな母のやさしさ」、「天空に向かって燃えさかる永遠の生命」をイメージして制作されたとあります。
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下から見上げて写してみました。

シンボルタワーに引きずられて階段を上って建物の上部に行きましたが、おかげで入り口を見失ってしまいました。もう一度振り出しに戻ると、右手にカフェTARO、そして左手に美術館入り口がありました。
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そして玄関に足を踏み入れると待っているのが岡本太郎の墓碑にもなっているという彫刻です。

午後の日(1967年)
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頬杖をつき、のどかに笑っている子どものような表情に無垢な心を持ちつづけ太郎自身を観ることができます。

ここまでは撮影ができますがもちろん展覧会ですからその先はノンフォト。例のごとく音声ガイドを求め、いざ入場です。

画家としての太郎が自分の絵に込めたのは「対極」という思想です。彼の描くタブローは抽象の中に平然と具象が混在しますし、何よりも鮮やかな色彩同士が強いコントラストを放ちます。「生」と「死」、「硬」と「柔」、「曲線」と「直線」…。テーマ、表現方法、そして表現形態に常に対極主義が貫かれています。その対極とは間断なき闘いであり、いつもせめぎ合って熱を帯び、エネルギーを放散しているかのように感じられます。

岡本太郎という人は、TVという媒体を使って自分の内奥をぶちまけた人です。目をむいてその生き方を説いた。「芸術は爆発だ!」と。そのアクの強い、人を圧倒するような言動、その大げさな仕草に、奇をてらった下手すると信用の置けない人物かのように映ったかもしれません。

彼は職業を尋ねられた際、返答に困ってややしてから、「あえて言うなら人間だ!」と答えたそうです。画家でもあり彫刻家でもあるのは当然のこと、民俗学を学び書を編み、TVでは役者としても登場し、留まるところを知らずどこにでも食指を伸ばしていくマルチな「人間」。それが岡本太郎に違いありません。

太郎は、大正から昭和にかけて一世を風靡した漫画家の岡本一平と豪華絢爛な作品群で読者を魅了した小説家で歌人の岡本かの子の間に生まれた一人息子です。互いを対等に認めあい高め合った家族であると川端康成が評しています。妻として夫として父母として息子としてといった「…として」が外され、自らが進みたいように進む。そう願うのならばそのように進ませる。そんな風に互いを尊敬しながら信頼を寄せる家族像が天才太郎をはぐくんだのでしょう。

今回の展覧会では30年余り行方不明になっていてこのほどメキシコでバラバラになって発見され、日本に持ち帰って復元された巨大壁画「明日の神話」の原画が特別コーナーで展示されていました。まさにお目当てがこの展示物だったのですが、太郎のこの作品にかけた情熱が余すところなく伝えられた見事な構成でした。

そもそもどうしてそのような壁画を描いたのでしょう。

メキシコの実業家スワレス氏がメキシコオリンピックを控え建設中の当時世界一の超高層ホテル「オデル・デ・メヒコ(メキシコ・ホテル)」のロビーを飾る壁画を太郎に依頼しました。そのサイズたるや高さ5.5m幅30mの大壁画です。太郎は1967年8月末メキシコを訪れ、メキシコ・シティの現場にたったとたんにひらめいて帰国後すぐにエスキースに取りかかり、続けてNo.4まで下絵を仕上げ、68年の春には下絵No.3をもってメキシコに発ちます。その下絵を見たスワレス氏は「これこそ世紀の傑作だ」として吸い込まれるように、近寄っては眺め、離れては、反り返るようにして全体を味わい絵に没入していたそうです。

メキシコは骸骨崇拝があるそうです。祭の際登場する骸骨の土産物がそれを物語っています。また壁画が当時はやっていたそうで、シケイロスなどの画家も太郎と並んで壁画が置かれる予定だったといいます。鮮やかな太郎の色づかいが受け入れられたのもメキシコの風土とマッチしていたからではないでしょうか。

さて、彼は同時期にアジアではじめて行われた日本万国博覧会のテーマプロデューサーに就任し、かの「太陽の塔」は誰もが知っているでしょうが、ちょうどそれらに結実していくテーマプロデューサーの仕事が緒に就いたばかりでした。

太郎57才。日本とメキシコのみならず、万博に協力するためにパリ・ロンドン・プラハへも取材に出かけるなど世界を股にかけ、多忙な毎日を送り、その間にも個展を開くなど精力的に活動を続けています。

岡本太郎が「明日の神話」について語ったこととして「原爆が爆発し、世界は混乱するが、人間はその災い、運命を乗り越え未来を切り開いていく-といった気持ちを表現した」と述べています。画面には1954年にビキニ環礁の水爆実験で被爆したマグロ漁船・第五福竜丸やマグロも描かれています。

画面中央で燃えさかる骸骨。怪しげなバラバラになった昆虫の頭部のようなキノコ雲。小さなヤツは赤い舌ベロを出している。右側には昇天していく人間や動物たちの魂。その下にはマグロを引っ張る第五福竜丸。中央至る所におびただしく描かれた燃えている人々。だが、画面左には明るい背景の中で踊り、まどろむ人物が三体。悲劇が描かれているだけではない。ふしぎな平穏が内包されている。まさに太郎の専売特許「対極主義」がここに見いだせます。

完成した大壁画ですが、その後不遇に見舞われます。建設途中でホテルが倒産し、太郎の壁画も放置され、その後行方がわからなくなりました。30年余りたった2003年、妻の敏子さんが執念で探し出しました。その後日本に持ち帰るプロジェクトが立ち上げられ、修復が具体化したというわけです。

話は変わりますが、私はよく太郎のことをピカソといい間違えてしまうことがあります。ピカソは生涯8万点に及ぶ作品を世に送り出しました。それこそマルチな芸術家として、また20世紀の天才として互いに相通じるところがありそうです。

太郎は日本に「ピカソ」を紹介したことでも知られています。ピカソが太郎を認め、また太郎もピカソを認める。対等の立場で語り合える。素晴らしいことです。

また、太郎は縄文式土器の造形的な価値を日本人に知らしめた人物でもあります。彼の洞察力や著作は逸品ですし、その語り口はストレートでウラがありません。妙に説得力があり、心酔してしまいます。

そして大衆に打って出るプロダクトデザインの数々。けれど、快適さとか機能主義とかでなく、主張するモノ達を生み出す。そうしながら岡本太郎という存在をアピールする仕掛けをそれらに込めている。そんな芸術家としての物づくりにしてやられてしまいます。

岡本太郎美術館で彼の多くの作品に触れ、また言葉に触れて、私の中でも湧き上がるエネルギーを感じてしまいました。天才太郎にどうやら惚れた?のかしら…。

さて、美術館についての感想を記しておこうと思います。

はじめはおだやかに岡本太郎を紹介し、途中から岡本太郎に引き込み、そして最後には岡本太郎シャワーを思いっきり注ぎ込む…抽象的ですが、そんなイメージですね。

そして見せ方がうまい。太郎の母かの子への思慕を形にした「誇り」(かの子の文学碑にもなっている)を中心に据え、ガラス越しに八方から臨める。また、そのように立体作品を正面からだけでなく、通路につくられたスリットや小窓から鑑賞することができるなど、細かい計算がされていると思わせる展示室なのです。いかに太郎を見せたいかが伝わってきますし、まんまと術中にはまってしまったようです。

長いレポートになってしまいました。…が最後に一つ。

見つけました。ミニチュア石膏像のガチャポン!!どなたかのブログでその存在を知り、いつぞや見つけたら手に入れるぞと思っておりました。
ミュージアムショップの入り口にその機械が2台置いてありました。

もちろんやりましたよ。3回も。

はじめにヘルメス。次にマルス。そしてジョルジュと来てくれたら最高だったんですが、またもやヘルメス…。同じのが2つ出た時点で終了でした。

400円って安いですよね。でも同じの2つは要らないです。

そんなこんなでとりあえずハッピー!!で岡本太郎美術館を後にしました。

次回はいよいよ汐留です。(って、長っ!読んでくれたあなた…、感謝します。)
by my-colorM | 2006-08-21 19:37 | 日記